六十一話
「此処まで長かったの」
エディンズが私室に戻ると、懐かしい声がした。ここ数年程聞かなかった声だ。
「どうやって入ったのだ?
近衛がいたはずだが」
「それを俺に聞くのか?」
エディンズが声の方を振り返りながら言うと、声が笑う。
「てか、秘密の通路を俺に教えたのはお前だぞ?」
「その割には、全く会いに来なかったがな。薄情な友人だ」
エディンズが皮肉げな笑みをその口元に浮かべて見たのは、黒の髪と漆黒の瞳を持つ、これまた黒の服に身を包んだ壮年の男だった。とは言え、歳にしては黒々とした髪とがっしりとした体格も相まって、本来の歳よりは若く見える。
彼の名前はアレックス。ヴァイパーの現No.1であり、ギルバートが尊敬する人物であり、エディンズの考えを変えた人物にして、エディンズの無二の親友だ。
「俺だって忙しいんだ。主に後継者を育てるのに」
「それは儂も同じなのだがな」
肩をすくめて見せるアレックスに、エディンズが言う。
アレックスは壁際から移動し、部屋に置いてあるソファに腰掛ける。その前のテーブルには、二人分の紅茶と茶菓子が用意されていた。
「で、俺が来るのは予想の範疇ってか?」
用意された紅茶を飲みながら、アレックスは正面に腰掛けたエディンズに口の片端を吊り上げて見せた。その問いに、エディンズは笑みを以って答えた。
アレックスの言う通り、エディンズは彼が来る事を予想していた。その用件もまた、大方の予想がついてた。
「お前の後継者を連れて行くと決めたのはハレイストだぞ。儂じゃない」
「お前の次男坊と一緒に行く事を決めたのはギルバートだ」
エディンズが事も無げに言うと、アレックスは溜め息と共に言葉を吐き出した。
用件の一つ目。アレックスが育てたヴァイパーの次期No.1と目されていたギルバートをハレイストがスフィアランスに連れて行く事への謝罪の要求。
ただ、これはギルバート本人の意志の為、謝罪する気はない。謝罪するとしてもそれは自分ではなく息子のハレイストだと主張したエディンズ。本人の意志だからしょうがないと諦めているアレックス。
どちらかと言うと、これはただ単にエディンズに謝罪されるかもしれないと言う期待の為だったりする。意外と喰えないエディンズは基本的に謝る事はしない。と言うか、常に堂々としているので、逆に謝罪されると申し訳ない気持ちになる。そもそも、王が簡単に謝罪など述べてはいけないのだ。
「で、本題は?」
エディンズが言うと、アレックスは紅茶の入ったカップを下ろし、その顔つきを真剣なものにした。その視線はエディンズを責めるような色を含んでいたが、その視線を向けられている当人は優雅に紅茶を飲んでいる。
「わかってるだろうが」
「まぁの」
アレックスが苦々しげに言うと、エディンズは至極あっさりと頷いた。その反応に、アレックスの顔が更に苦々しげになる。
エディンズは飄々としているが、一度心を決めると梃子でも動かない。他人の意見など聞き入れない。昔、アレックスがエディンズの考え方を変えられたのは、本人が自分の考えに疑問を持ったからだ。そうでなければ、エディンズは考えを変えなかっただろう。
「子供たちはどうするつもりだ。国は?」
「もう幼子ではないのだ。大丈夫だろう。国も、あの子らに任せれば良い。
年寄りは退場する頃合いだろう」
「それは俺も含まれるのか?」
「お前は一から後継者育てだ」
エディンズの言葉にアレックスが顔を顰めると、エディンズは笑いながら言った。
その言葉に、アレックスは項垂れた。後継者を育てる以前に、後継者に相応しい者を探さなければならない。ギルバートの五人の部下か探してもいいかもしれないが、あの五人も大概個性が強い。女たらしに無口に喧嘩腰に悪戯好き×2。しかも無口と喧嘩腰の会話が成り立つのが不思議でならない。読心術でも会得しているのだろうか。だとしたら、色々便利なのだが、それは対無口限定だ。
「どうした?」
難しい顔をして黙り込んだアレックスを見て、エディンズが首を傾げる。
「いや、前途多難だな、と思ってな」
「そうか。頑張れ」
自分は関係ないとでも言うような言葉に、アレックスが僅かに青筋を立てる。もとはと言えば、こいつがこんな計画を立てたからいけないのだ。そもそも、こいつがもっと早くに自分の考えを改めていれば……。
アレックスはそこまで考え、やめた。どれもこれも可能性の無い話だ。それに、過去の事はどうしようもない。それより、これから先の事を考えた方が余程建設的だ。ただ、先の事を考えると気が重くなるのだが。
「で、本題は良いのか?」
またも話しが逸れた事を指摘すると、アレックスは頭を抱える腕を外し、エディンズを睨みつける。
「本当に、考えを変える気はないのか?」
詰問するようなアレックスの声音は、何処か懇願にも似た響きを帯びていた。
だが、エディンズの決意は揺らがない。
「ない。
これは向こうも了承している。それに、向こうだけ、などと言うのは卑怯だろう?事に決着をつけるには、何かしらの犠牲を払うのが世の常」
「…あいつらは知ってんのか?」
揺れる水面を何の感情も浮かばぬ瞳で見るエディンズに、アレックスが静かに問う。その問いに、エディンズは皮肉げな笑みを浮かべた。
「知らせるわけがなかろう?」
茶色の水面に己の顔を映し、それを眺めながらエディンズは答える。
「あの子らは、知れば何かしら手を打とうとする。だが、それで民の気が収まると思うか?収まる訳が無い。
貴族の横行を許し、男手を徴兵し前線に送った。それに儂は何の手も打たなかった。今なら、民の怒りが儂に向いている今なら、この手が最善なのだ」
エディンズの言葉は、己に言い聞かせているようだった。
彼とて、自分の子供達がこの先どのような国を創りあげていくのか見てみたい。だが、この先の未来にしこりがあってはならない。民に犠牲を払わせた報いは誰かが受けねばならない。王とは、民を纏め、導き、そして、責任を負わなければならない。
「本当に、考えを変える気はないんだな?」
「くどい」
アレックスの問いを、エディンズは一言で切って捨てる。
アレックスは大きく、ゆっくりと息を吐いた。
エディンズの考えを変えるのは失敗。今からそれを回避する為に根回しをしても、時間がない。せめて、その決意をもっと早く言ってくれれば打つ手があったのに。いや、それを見越した上で昨日その旨を連絡して来たのだろう。
「この頑固爺め」
「頑固で結構」
アレックスはそう言うと、僅かに残っていた紅茶を飲み干して立ち上がる。対するエディンズは冷めてしまった紅茶を飲みながら、アレックスに視線を向ける事無く応えた。
そんな友人の姿を見たアレックスは再度溜め息を吐き、背を向けた。
「無駄な足掻きをするなよ」
その背に、やはり視線を上げないままエディンズが声を掛ける。アレックスは足を止める事無く、エディンズに一瞥もくれないで姿を消した。
最後に、一言だけ残して。
一人残されたエディンズは空になったカップを下ろし、窓越しに空を見上げる。
「『知るか』、か。何ともあいつらしい言葉だな」
友人が残していった言葉。それは、まだ諦めていない者の言葉だった。当の本人は、諦めたと言うのに。いや、目的はもう直ぐ果たされる、諦めたとは言わないのかもしれない。
この決意は諦めか、達成の先にある無気力か。
「どちらにせよ、あまり変わりはないかの……」
更新一ヶ月近く放棄してごめんなさい<(_ _)>
やっと地獄?の学年末テストが終わったので執筆再開します。
ただ、あまりにも間を空けていたせいで今までの内容とこれからの内容を忘れました((汗
ごちゃごちゃになる(←手遅れ)かもしれませんが、頑張って完結させます。
これからもお願いします^^;