六十話
「兄上、質問は?」
「…ちょっと待て。今整理中だ」
エディンズが話し終え、ハレイストが尋ねると、ルクシオンは頭を抱えて唸った。スピアはのんびりとお茶を飲み、トーレインとエレンは厳しい顔をしている。スピアはエディンズの過去を知っていた。だが、トーレインとエレンは知らなかった。故に、その過去に思う所があるのだろう。それは怒りか哀れみかは分からないが。
ルクシオンが唸っている間、その原因を作った二人はお茶を飲み、ほのぼのとしていた。
「…取り敢えず、ハレイストも父上も、仲間だって事だよな?」
「そうですね」
「うむ」
ルクシオンがそれだけ呟くと、二人はあっさりと肯定した。
その答えを聞くと、ルクシオンは一転、明るく笑った。
「んじゃ、良いや。
考えたってしょうがないし」
結論。ルクシオンは考える事を放棄した。
「…怒らんのか?」
快活に笑ったルクシオンに、エディンズが怪訝そうに言う。エディンズとしては、責められると思ったのだ。父親らしい事を一つもしてやれなかった事とか、幼い頃の自分の愚かさなどを。
ハレイストもエディンズと同じような顔をしていた。ただ、ハレイストが考えていたのは、自分だけ仲間外れにされていた事に対しての怒りだったが。
「別に?
過去より今の方が大事だろ?
なら、怒るより先の事を考えた方がよっぽどか良い。
それに、親父には親父なりの考えが、ハレイストにはハレイストなりの考えがあった。
それだけだろ?」
「…ふむ」
「流石兄上」
ルクシオンが笑顔で言った言葉に、エディンズは僅かに顔を綻ばせ、ハレイストは苦笑する。この懐の広さと、人に対する信頼を持てる所が、周囲がルクシオンを王にしたい理由だった。
王は孤独だと言う。ならば、王は独りで全てをこなすべきか?独りで全てを背負うべきか?
答えは否。確かに、軽々しく誰かを信頼するべきではない。信頼ではなく、信用するべきだ。信じて頼るのではなく、信じて用いる。そこは、上下関係をはっきりさせるべきだろう。
人は、相手に与えられたものに相応しいものを返そうとする。友情には笑いを、親愛には安らぎを、期待には努力を、信用には結果を、信頼には協力を。まぁ、その形は多々あるが、人とはそういうものだと思う。
「…こういうとこに弱いのよね、私」
「包容力はあるだろうな。鈍いが」
「しかも筋金入りよ」
「お前の態度にも問題があると思うぞ?」
「はっきりと言葉にされた事はないわ」
「言葉にされたら受けるのか?」
「その時にならないと何とも言えないわね」
「…素直じゃないな」
「今更よ」
「どうした?」
顔を寄せ合い、小声で何かを囁くトーレインとエレンに、ルクシオンは首を傾げた。その声は何処か不機嫌そうだ。そんなルクシオンの様子に微笑むエディンズとハレイストとスピア。と、溜め息を吐くエレンとルクシオンに向かって笑みを浮かべるトーレイン。
「何でもありませんよ」
「…お前の笑顔は胡散臭いな」
笑顔で言ったトーレインに、ルクシオンは顔を顰める。トーレインは基本無表情だ。それが崩れるのは父のトディスと母、妻のリリアーヌと気心のしれたエレン。それと、主であるハレイストの前ぐらいだ。
特に、貴族の前では鉄仮面だ。曰く、「腐った貴族にくれてやる愛想はありません」とか。成る程、道理である。
「でないと、貴族を相手にしていられませんので。
それに、こうして相手に思考を読まれにくいからこそ、ハレイスト殿下に協力出来ましたから」
トーレインがにこやかに言うと、ルクシオンの額に僅かに青筋が浮かんだ。流石のルクシオンも、トーレインの嫌味を理解できたらしい。
曰く、「貴方は思考が駄々漏れで相手にばれやすいから、一人蚊帳の外だったんですよ」だ。直接的ではないが、トーレインは王族相手でも容赦が無い。彼が忠義を尽くすのは主のハレイストだけだ。エレンはいわば戦友のようなもの。ルクシオンはハレイストにくっつく鬱陶しいハレイストの兄。
二人の間で火花が飛び散る。
それを見たエレンはため息を吐き、エディンズとスピアは苦笑し、ハレイストは笑っていた。
ハレイストの笑い声を聞いたルクシオンがハレイストの方に鋭く振り返る。その形相は鬼のようだった。対して、そんな顔を向けられたハレイストは首を傾げた。
「というか、人質ってどういう事だ!
この国を去ってスフィアランスに行くと言うのか!」
「そうですよ?」
余りにもあっさりとした答えに、ルクシオンは出鼻をくじかれた。そのまま力なく机に突っ伏す。
「何か証があった方が民も安心するでしょう?
それに、獣達ともゆっくり過ごしたいので。
今回も十年前も、慌しくてのんびり出来ませんでしたから」
机に突っ伏す自分の兄を見て、ハレイストが苦笑しながら言う。しかし、ルクシオンは突っ伏したまま沈黙を保っている。
確かに、ハレイストが獣達と共に過ごした時間は僅かだ。それでも、彼は獣達に心惹かれ、獣達も彼に興味を持った。それこそ、本を読み漁ったり、質問攻めにしたり、集団で一人に寄って集るほどには。
それに、ギルバートも、トーレインも、リリアーヌも、ラミアも、セオリア河の向こう側を見てみたいと言った。そこに住む獣達を見てみたい、と。
「…住む所はどうするんだ」
「大分前にステリアン元国王陛下が行った事があるんです。
その時に人の常識とか建築技術とか教えてもらったそうです。
ですから、スフィアランスには木を組んで作られた家がいくつかあるんですよ。
獣達も雨風凌ぐのに使ってるみたいですし」
机に突っ伏したままの為、くぐもった声を発したルクシオンにハレイストがさらりと答える。あっさりと返された事に、ルクシオンは詰まる。
しかし、そこで諦めないのがルクシオンだ。
「食べ物は」
「向こうは緑が多いのはご存知でしょう?
獣達と一緒に果物とか木の実を食べますよ。
実際、美味しかったですよ?」
「風呂とかは」
「夏は川で水浴びします。
冬になったら、地面に穴を掘って、石を埋め込んでから川から水を引き入れて焼いた石をいれて暖かくします」
「着替えとかは」
「こちらから数着持っていって、川で洗って着回しますよ」
「トイレとか」
「…兄上、何としてでも反対したいんですね」
何時までも続く応酬に、ハレイストは苦笑する。その様子は何処か嬉しそうだ。
「当たり前だろうが!
争いが終わったら、兄弟水入らずでゆっくり出来ると思ったのに…」
「それなら儂も混ぜて欲しいがの」
顔を上げ、情けない顔をしながら言ったルクシオンの言葉にエディンズも便乗する。ちなみに、ルクシオンは悲壮な顔をしているが、エディンズはからかいの色を浮かべている。兄と父からじっとりと見詰められ、ハレイストは首を傾げる。
「ちゃんと帰って来ますよ?
月に一度のセオリア河が干上がる時じゃなくても、秘密の通路使えば何時でもこれますから」
「本当か!?」
「兄上には何処にあるか教えませんけどね」
ハレイストの言葉に、一転して嬉しそうになったルクシオンは、再度ハレイストの言葉で沈没した。
「父上は知ってますよね?
自由に行き来できる事」
「上の息子はからかうと面白いのだ」
ハレイストの問いに、エディンズはそれはそれは良い笑顔で以って答えた。




