五十二話
ハレイストが話し終えた時、室内は静まり返っていた。
それもそうだろう。ハレイストが話した本当の話を、人間は誰一人として知らないのだ。獣と友好関係を築こうとしたステリアンの手記さえも、図書館の奥まった場所にある本棚の、これまた一番の下の段の隅に隠されるように置かれていたのだ。ほとんど人が立ち入らない、それも、視界に入らない場所に。
人間が書いた本は人間に都合の良いように書かれている。時に説明をあえて省き、都合の良いよいうに解釈し、事実を捻じ曲げる。そして、いつしかそれが人間にとっての事実になっていく。
「で、獣から手を出した訳ではないと分かったか?手を出したのはこちらだ。虐待していたのも、女王から唯一の存在である父親を奪ったのも。全て我々人間の傲慢だ」
ハレイストの言葉に、幾人かの貴族は俯き、顔を背けた。何か思うところがあるのだろう。一応良心は持っているらしい。とは言え、ラクサレムとコフィーにはそんなものは無いようだが。
「それが真実であるという証拠はあるのですか?」
ラクサレムの問いに、ハレイストは首を振る。
「ないな。信じてもらうしかない」
その答えに、ラクサレムは我が意を得たり、と言わんばかりの笑みを浮かべた。ハレイストはそれを無感情に眺める。
「証拠も無いのに信じろとおっしゃるのですか?それは無理と言うものです」
「そうだな」
ラクサレムの言葉に、ハレイストはあっさりと頷く。ラクサレムはうろたえた。こうもあっさり認めるとは思わなかったのだ。必死で信じるように言うかと思ったのだ。
瞳を揺らすラクサレムを、ハレイストは冷たく見据えた。
「だが、貴様が信じる必要は無い。貴様が此処に立つことは二度とない。つまり、貴様の意見など既に何の価値も無い」
冷たく言い捨てられた言葉は、確実にラクサレムの自尊心を傷付けた。
だが、それも道理だ。王族に弓引いた者の言葉が何故意味を持つのだろうか。持つ訳が無い。ラクサレムは意見する権利を自分から放棄したのだ。
「面倒だから退場してもらいたい所だが、話ぐらい聞かせてやるから黙っていろ。次にその口開いたら問答無用で追い出してくれる」
ハレイストが言うと、ラクサレムは顔を真っ赤にしたまま座った。室内から敵意のある視線を幾つも浴びたからだ。つまり、話の腰を折るな、という事だろう。
「さて、邪魔が入ったが続ける。
女王は過去にしがみ付くのを止めて未来を見る事を決めた。それは祖先であるステリアン様のおかげだ。そして、私はステリアン様に似ているらしい。見た目も、志も。
そこで、私と女王は協力する事にした。目標は人と獣の争いに終止符を打つ事。私が記憶を失った振りをしたのもその為だ。
そして、協力し合う事を決めたからこそ、ここ数年死者が出ていない。私が女王に作戦を伝えたからだ」
途端、室内に再度動揺が走る。幾人かの貴族は伝えられた情報を処理しきれないのか、呆然としている。
「裏切り者!」
ラクサレムではんく、今度はコフィーが叫んだ。先程まで静かだったのに、人を糾弾する内容への反応は出来るらしい。
「反逆者に裏切り者と言われてもな」
ハレイストの溜め息交じりの言葉に、二人の大臣が耐え切れずに噴き出し、もう一人がかすかに肩を震わせた。ルクシオンは呆れたような視線をコフィーに向けている。
対するコフィーは、ハレイストの言葉に顔を赤くした。馬鹿にされたと思ったのだろう。いや、実際にされたのだが。
「では問おう。貴様は何を持って私を裏切り者と罵る?」
ハレイストは口の片端を吊り上げ、顔を真っ赤にしたコフィーを見やる。ハレイストは楽しんでいた。馬鹿な振りは疲れるし、日頃散々言われていたので鬱憤が溜まっているのだ。ハレイストも人間、意趣返しぐらいしたくなる。
「獣は敵だ!獣如きが我等人間に逆らうなどおこがましいにも程がある!」
椅子をに座ったままコフィーが叫ぶ。威勢はいいが、椅子に座っているという時点でいまいち迫力に欠けている。
しかし、その言葉に幾人かの貴族が同意するような表情を見せた。
「それは、獣が人より劣っていると言いたいのか?」
「当たり前だ!」
「何故?」
コフィーの激昂した叫びに、ハレイストは冷静に返す。
「何故?何故だと!?理由がいるのか!?」
「あぁ、いるな。人を説得したいのならば、それなりの理由を用意しろ」
「ならば貴様は獣と人が同等とでも言いたいのか!」
「そうだが?」
コフィーの言葉に、ハレイストはあっさりと頷く。その言葉に、ある程度年をとった貴族達から驚きが漏れる。
「いや、ある点では人の方が劣っているな」
ハレイストが付け足したその一言は、王族に反旗を翻そうとした貴族達の怒りに火を付けた。