五十一話
---今から約1300年前、獣は人に飼われ、虐げられていた。獣同士で争わされ重労働に借り出され、面白半分に虐殺される。しかし、獣達は従順に従っていた。正確に言えば、反抗する知能が無かったのだ。あったのは本能程度の欲求だけ。中には賢いものもいたが、人に手懐けられていた。
この時、一人の研究者がいた。とても熱心で、優秀な研究者だった。
彼はある時、信じられないものを発見した。それは、絶滅したと思われていたドラゴンの卵だった。この時代、希少な獣を見つけた場合には、王へと献上することが義務付けられていた。破れば待っているのは死刑のみ。
しかし、研究者の男はそれをしなかった。献上したが最後、殺されるのは火を見るよりも明らかだったのだ。もちろん、王侯貴族達に遊ばれた後で。
貴重なドラゴンの子供だ。研究の対象にはうってつけだった。研究対象を差し出すほど、男は国王に忠誠を誓ってはいなかった。研究者である男にとっては国への忠誠よりも、己の好奇心を満たす事の方が重要だった。
男が考えたのは、ドラゴンに、獣に知性を与えること。上手くいけば世紀の大発明だったが、それは諸刃の剣だった。獣が知性を持った場合、人間に刃向かうかもしれないからだ。しかし、男にとってそんな事はどうでも良かった。後の事など知らない。ただ、目の前の課題を達成する事しか頭に無い。だから、研究に勤しんだ。
---それから5年後、薬は完成した。トレニアルと名付けられたその薬は、少量でも十分な効果を発揮した。薬の効能は知識欲を植え付ける事。この時、ドラゴンの子供は卵から孵ってまだ2ヶ月だった。
ドラゴンは男によく懐き、その後ろを追い掛けていた。雛鳥が生まれて初めて見た相手を親と認識するように、ドラゴンは男を親として認識した。男も、ドラゴンを大切に扱った。
ドラゴンに薬が投与されると、効果はすぐに表れた。人の言葉を操り、他の獣の言葉をも操った。その知識欲は止まることを知らず、様々な事を吸収していった。遂には、帝王学、経済学までも学び、獣がどういう扱いを受けているかも知った。そう、ドラゴンは知ってしまったのだ。獣が人に虐げられていることを。その事実を、獣が認識していない事を。
しかし、何も出来無い自分にドラゴンは腹が立った。
ドラゴンは研究所から出た事が無かったのだ。出れば兵士に見付かり、城に連れて行かれるからだ。外の事を知識として知っていても、実際に見た事は無かった。見たいと何度も願ったが、優秀な頭は外に出ればどうなるかを十分に理解していた。ただただ、静かに過ごすしかなかった。悔しさに泣くドラゴンを宥めてくれたのはいつも男だった。
いつしか、男はドラゴンにとってかけがえの無い存在となった。
同様に、ドラゴンは男にとって守るべき娘のような存在になっていた。
しかし、運命はそう甘く無かった--。
ある日、研究所に城からの使者が来た。持って来たのは召喚状。男を城に呼び出す物だった。男は覚悟した。王侯貴族に自らがドラゴンを飼っていることに気付いたのだろう。十分に注意していたつもりだったが、どこからか情報が漏れたらしい。これで男の行く末は決まってしまった。抵抗はせず、大人しく連れて行かれた。ただし、ドラゴンと一緒に。まだ幼いドラゴンに抗う力は無かった。
馬車で城に連れて行かれる道中で、男は泣いて謝り続けた。
最初はただ単に研究の為に大切にしていた事。気付けば、娘のように思っていた事。最後まで守れなかった事。
ドラゴンは、男を怒る事はしなかった。
最初はどうであれ、今娘のように思ってくれているなら良い。男が自分を王侯貴族に差し出さなかった事で、自分は短いけれど、楽しい生活を送れたから。
男とドラゴンは互いに死を覚悟した。
男は思った。自分を見捨ててドラゴンが逃げてくれないだろうかと。そう言えば良いのに、離れたくない自分の愚かさを呪った。
ドラゴンは思った。自分だけなら逃げられる。でも、自分はまだ小さいから、男と一緒には逃げられない。なら、逃げる事はしない。
二人は祈った。せめて、互いに楽に死ねるように、と。
城に連れて行かれると、そのまま王の前に放り出された。居るのは王と王妃と大臣、貴族、騎士団の団長。それと、男とドラゴンだけだった。
ドラゴンが兵士に押さえ付けられている目の前で、王は男を殺すように命じた。しかも、楽には殺さず、痛めつけるように。ドラゴンに見せることで恐怖心を植え付け、飼いならそうと考えたのだ。
目の前で傷ついていく自分の大切な人。自分が存在するせいで、辛い思いをしている男。何も出来無い自分。ドラゴンは涙を流し、暴れた。しかし、子供のドラゴンの力では屈強な兵士に対抗する事等不可能だった。
遂に男は事切れた。体を無数の傷に覆われ、いたるところから血を流し、痛みに顔を歪め、涙を流したまま。それは、見るに堪えない光景だった。ドラゴンは体から力が抜けるのを感じた。
しかし、次の瞬間に聞こえた声に、血が沸騰する様な感覚を覚えた。聞こえたのは、笑い声だった。可笑しくて堪らない、とでも言う様な笑い声。王が、王妃が、大臣が、貴族が、騎士が、兵士が。部屋に居る全ての人間が。笑っていた。男の死体を指差し、笑った。優雅に、秀麗に、醜悪に。
その瞬間、ドラゴンは怒り狂い、暴れだした。兵士の拘束を振り払い、男に突進すると、その体を咥え、捕まえようと伸ばされた騎士の手を避け、必死で翼を動かして飛び去った。
こうして、ドラゴンは人男を殺した間への復習を決意し、仲間を集めた。
こうして、人間と獣の争いは始まった。




