四十話
「ただいま戻りました」
城下町の大きな建物の一室。調度品は最低限しかないが、落ち着いた雰囲気は部屋の主を思わせる。
一人椅子に腰掛け、窓の外を眺める男の背後に、机を挟んで青年になりかけた少年が立っている。薄金の髪を縛り、氷のような瞳を椅子に座る男に真っ直ぐに向けている。
「ご苦労様、ギルバート。どうなった?」
男は労いの言葉をかけ、外を眺めたまま尋ねる。
「第一王子殿下は犯人を知りました。捕まるのも時間の問題かと」
「第二王子は?」
「予定通りです。相手方の反応は分かりませんが」
ギルバートは丁寧な口調で受け答えする。
「戻ってくるかどうか、だな」
男は楽しそうに笑う。
「お前はどっちだと思う?戻ってくるか、否か」
そこで男は初めてギルバートを見た。浮かぶのは楽しそうで、不敵な笑み。
「あいつなら、戻ってくるでしょう。それだけの魅力があります。イーダン達は反対しそうですが」
ギルバートはそう言って笑う。
男の右腕として組織のN0.2に君臨するギルバートには精鋭五人の部下がいる。彼ら六人はまだ十代半ばだが、組織内での信頼は厚い。
勿論、組織のトップである目の前の男からの信頼も、男に対する忠誠心も。
「そうか」
男は短く答えると、視線を外に戻した。
「下がって良い。第二王子が何か言ってきたら出来るだけ協力してやれ」
「了解」
男は外を見たままギルバートに退室を促し、ギルバートは頭を下げて出て行った。
男は手元の紙に視線を落とす。その際に、短い黒の髪が揺れた。
「約束は果たす、それが俺達の夢だからな」
男は漆黒の瞳を窓に向け、窓の向こうの城を見据えた。
「お世話になりました」
ハレイストは感謝を込めて頭を下げた。
すると、ハレイストの前に並ぶ獣達が慌てたように頭を下げ返す。
カテリ婆さんの話を聞き終えた後、ハレイストが流した涙に、獣達はハレイストが悪い人ではないと判断したらしく、近寄ってきた。ハレイストは喜び、それから夕方まで獣達と話したり遊んで過ごしたのだ。
「頑張ってください、ハレイスト殿」
エルーシオが微笑み、
「約束を違えるなよ」
サランドは無表情のままに言う。
ハレイストは対照的な反応に苦笑を漏らす。
「ハレイスト」
高く澄んだ声が獣達の壁の向こうからハレイストの耳に届く。
ハレイストの目の前の獣の壁は自然と左右にわかれ、中央に道を作る。
「ルティーナ様」
ハレイストはゆっくりと歩いてくるドラゴンに声を掛けた。
近づいて来るドラゴンは銀色の鱗を夕陽に輝かせ、その身を紅く染めていた。ハレイストの髪と同じ色だ。
ハレイストとルティーナが対峙する空間だけが切り取られた神話の世界のようだ。気高き王子と聖なる獣。
さながら、一枚の絵のような光景は、その場にいる獣達の心に深く刻み込まれた。
「この子を連れて行きなさい。道案内と、伝言役を務めます。スカラ」
ルティーナが呼ぶと、一羽の小さなトリが飛んで来た。
「初めまして、あたしはツバメのスカラ。よろしくね」
トリはハレイストの肩に止まると、明るく甲高い声で自己紹介をした。まだ子供なのだろうか、その瞳には隠しきれない好奇心が浮かんでいた。
「初めまして、スカラ。僕はハレイスト。よろしくね」
ハレイストはスカラに顔を向け、自分も自己紹介をする。
ツバメは体力もあるし、飛ぶのも早い。ツバメはかつては大陸を渡った渡り鳥というものらしいから。
「ありがとうございます。そちらも、何かあれば連絡を下さい。
争いを止めるのは時間が掛かるかもしれませんが、成し遂げて見せます」
ハレイストは唇をかみ締めながら言った。
王子とは言え、ルクシオンの用に剣が強い訳でもないので、前線に立つ事はない。だが、会議に参加する事は出来る。十五歳になるまで発言権は無いが。
「急いては事を仕損じる。時間は掛かっても構いません。それと、一人で重責を背負わない事です。私達は貴方の味方ですよ、ハレイスト」
ルティーナが笑う。今まで、どれだけの同胞を亡くしてきたのだろうか。人間の身勝手な言い分のせいで。
何故、笑っていられるのか。
「…人間が、憎くはないのですか?」
ハレイストがぽつりと呟く。それは、無意識のうちに零れ落ちたものだった。
ルティーナが笑みを消した。
その呟きがルティーナに聞こえた事を悟り、ハレイストは口を開く。
「すみません、忘れてください」
ハレイストは微笑んで見せる。疑問ではあったが、聞くつもりは無かった。何となく、聞いてはいけない気がしたから。
ルティーナは何かを迷うように地面を見つめていた。
「…確かに、私は人間を憎みました」