三十六話
「随分と立派な覚悟ですね。
貴方は父親を、兄を敵に回すのですか?殺す必要がある時、貴方にそれが出来ますか?まだ十歳の貴方に、その覚悟はありますか?」
ルティーナが畳み掛けるようにハレイストに問う。そこには、からかいも、馬鹿にした響きも無い。ただ、静かな声で発せられた。
ルティーナの言葉に、サランドは無表情で、エルーシオは哀れみの表情でハレイストを見た。まだ十歳の子供に、その言葉は余りに重い。
現に、ハレイストは表情を強張らせた。
しかし、沈黙は一瞬。
「それが、必要ならば」
ハレイストは声を絞り出した。その声音は苦々しく、痛みを堪えているようだ。
「ですが、それは最終手段です。可能な限り、平和的に解決したいと思っています」
ハレイストが続けた言葉に、ルティーナが噛み付いた。
「甘過ぎるとは思いませんか?欲深さは身を滅ぼしますよ?」
ただ淡々と、声を荒げず、感情を表に出さず、ルティーナは問いを重ねる。
その言葉に、ハレイストは淡く微笑んで見せた。
「それが私です。それに、人間は元々貪欲な生き物ですから」
人間は貪欲だ。何かを得ても満足せず、更に上を目指す。時にそれは、向上心と呼ばれる。貪欲だからこそ、向上心がある。上を目指す事は、貪欲とも、向上心があるとも言える。それは、個人の価値観による。
笑顔で言い切ったハレイストに、ルティーナは深々と溜め息を吐いた。
「…本当に、そっくりですね」
溜め息と共に吐き出された言葉には、呆れたような、諦めた響きがあった。
「えぇ、本当にそっくりですな」
エルーシオが驚いた表情から、穏やかな笑みを浮かべる。サランドは無言のままだが、思いは同じらしい。鋭い眼光は柔らな光を湛えている。
ハレイストは戸惑った。
まだ言葉のやり取りが続くのかと思ったが、ルティーナの言葉で終わってしまった。しかも、何故か昔を懐かしむ目で見られている。それは、ハレイストを通して、別の誰かを見ていた。
「私は、誰に似ているのですか?」
ハレイストが訪ねると、ルティーナはその深い青の瞳にハレイストを移し、優しく笑んだ。
「ステリアンに、ですよ」
「え…?」
ハレイストは憧れであり、尊敬の対象である人物の名前が出され、思わず声を挙げてしまった。しかも、その人に似ているとまで言われた。
突然の事に、ハレイストの頭の中は真っ白になる。
「第四十二代目国王、ステリアン・ヴィル・ヒューズ・アレク・オールソンですよ」
呆然とするハレイストを可笑しそうに見ながらルティーナが丁寧に言いなおす。ゆっくりと、ハレイストの意識にその言葉を染み込ませるように。
「まるで生き写しです。燃えるような赤い髪も、意志の強い灰色の瞳も」
ルティーナはゆっくりと、ハレイストに言い聞かせるように言葉を紡いでいく。その声音は不思議とハレイストを落ち着かせた。真っ白になった頭が、再び思考を始める。
「何より、皆を思う優しい心が」
ルティーナは瞳を閉じ、ステリアンとの会話を思い出す。何百年も前の話。それでも、その日の事は、ステリアンとの日々は今でも覚えている。
『ルティーナ、人間はとても貪欲で、自己中心的だよ。特に、貴族達はね。
でも、私は国王だ。民を守る義務がある。そこには、彼らも含まれるんだ』
『人間が汚いと分かっていても、そいつ等の為に必死になるのですか?馬鹿ですか』
『アハハ。そうだね、分かっていても、止めないよ。
争いは嫌いだ。平和が一番良い。それに、汚いと分かっていても、何故か人間を嫌いになる事は出来ないんだよ。私も人間だからね』
『真正の馬鹿ですね。救いようがありません。そもそも、貴方はあの愚かな人間とは違います』
『そうかもしれないね。でも、私は人間だよ。それは変わらない』
『…人間達が皆貴方のようだったら良かったのに』
『それはそれでつまらない世界だな。人それぞれ個性があるから、この世界は美しい』
『その世界もこのままでは終わりです』
『そうさせない為に、私は尽力するよ。協力してくれるのだろう?』
『馬鹿には歯止め役が必要でしょう。引き受けますよ』
拗ねたように言うルティーナに、ステリアンは苦笑を漏らした。
ステリアンの心は、確かに受け継がれている。何処までも真っ直ぐで、馬鹿で、優しくて、強い意志をもった魂。何よりも平和を願い、民を想う。時に、自分を犠牲にしてでも。
ステリアンは守れなかった。何も、出来かなかった。大切な友を失くしてしまった。大切な仲間も。
「良いでしょう。協力しましょう」
ルティーナは瞳を開け、かつての友にそっくりな少年を見下ろす。
「本当ですか?」
少年が、嬉しそうな笑みを浮かべる。ルティーナも釣られて笑う。
「えぇ」
次こそ、守ってみせよう。子の人の子を、ステリアンの意志を受け継ぐ子を。未来を切り開くかもしれない、ハレイスト・フィス・ノエル・マルディーンを。
「変えて見せなさい。側近を、大臣を、貴族を、国王を、兄を、世界を。変えるのです。私達の手で」
ルティーナが声高に言い放つ。洞窟に響き渡るように、ハレイストに、自分に言い聞かせるように。これが、誓いとなるように。
「異存はありませんね?」
ルティーナはサランドとエルーシオを見る。
「勿論ですとも」
「陛下の御心のままに」
エルーシオはにこやかに、サランドは鷹揚に頷いた。声音や表情は違えど、心は同じだった。
この子を信じてみよう。我等の、世界の運命を託そう。そして、我等がその支えとなる。世界を救うかもしれない、若干十歳の、けれど、意志が強く、他者を想う事を知っているこの子を。
「国へ帰りなさい、ハレイスト。そして、貴方の手で未来を切り開くのです。私達も、出来る限りの事をしましょう」
「必ず、変えて見せます」
ルティーナの言葉に、ハレイストは間髪入れずに言葉を返した。その声は、興奮の為か、上ずっていた。
そして、ハレイストは頭を下げる。認めてもらえた喜びと、一層強くなった決意を秘めて。
「王国に繋がる経路がありますが、夕方頃に案内させる、という事でいいですか?」
つまり、それまで辺りを散策、、もしくは知りたい事を調べて良いと言う事だ。ハレイストにとっては願ってもない申し出だった。
「お言葉に甘えさせて頂きます」
ハレイストは満面の笑みでそれに答えた。好奇心を剥き出したにした子供そのものの表情で。
「では、案内をつけましょう。レドラ」
ルティーナが名を呼ぶと、チーターが音もなくハレイストの背後から現れた。
「お呼びですか、陛下」
「ハレイストを案内しなさい。制限は設けません。望む所に連れて行く事」
「仰せのままに」
レドラと呼ばれたチーターは頭を垂れると、ハレイストに視線を移した。
「よろしくね、レドラ」
「…こちらへどうぞ」
その視線を受けたハレイストがにこやかに挨拶をするが、レドラは答えず、歩き出した。
困惑しながらも、ハレイストはその後に続いた。退出する時、一礼するのを忘れずに。