三十四話
「無意味、ですか?」
ハレイストが言った言葉を、ルティーナは小さな声で繰り返した。小さくとも美しいその声は、辺りに響き、十分な音量を伴っていた。
「そう思います」
訝しげな問いに、ハレイストは迷い無く答えた。その瞳には、迷い無き強い意志が宿っていた。ルティーナは静かに双眸を閉じ、ハレイストを視界から消した。
「理由を、聞いても?」
そして、双眸を閉じたまま、ハレイストに尋ねた。ハレイストはそれに無言で頷く。瞳を閉じていても、気配でハレイストが頷いたのが分かったのか、ハレイストがそうするのが分かっていたのか、ルティーナは口を開かず、ハレイストの言葉を待った。
「城内では、どうやって獣を殲滅するか、そればかり考えている者が多数います。もしくは、どうやって上に上り詰めるか。そのせいか、城内は殺伐としています。私は、それが普通だと思っていました。また、人は皆獣の殲滅を望んでいるのだ、と」
ハレイストの言葉に、背後でサランドが唸り声を上げた。が、直ぐに隣にいるエルーシオに窘められた。ルティーナは相変わらず双眸を閉じている。
ハレイストはそれらを気にする事無く、言葉を紡いでいく。
「ですが、城の外に、城下に出てみて、その認識を改めました」
ハレイストは僅かに視線を下に向け、緩慢な動作で首を振る。
「城下の人々は、民は、獣の殲滅なんて望んでいませんでした。望むのは、安寧のみです。むしろ、民にとって争いは自分達の穏やかな生活を乱す傍迷惑なものなんです。
ですが、彼等は城から出された命令に背く訳にはいかないんです。獣を庇う事も、争いを止めるように言葉を発する事も、民には許されません。
が、私には、それだけの権利があります。今はまだありませんが、大きくなれば、それだけの権利を得られるのです。しかし、私には、まだ時間も、知識も、仲間も足りません。此処で貴女方に会ったのも何かの縁、是非、争いをなくす為に協力して欲しいのです」
ハレイストは視線を上げ、尚も瞳を閉じ、ハレイストを視界に映さないルティーナを見上げた。その視線に気付いているだろうに、ルティーナは動かない。
変わりに動いたのは、彼女の側近達だった。
「それは人の側の都合でしかない。もし、協力したとして、我等の益は何だ」
サランドが感情の篭もらない声で言う、が、その表情は歪んでいる。
「私も、是非お聞きしたいところですな」
そう言うエルーシオは柔和な笑みを浮かべ、声音も優しげだが、何処か得体が知れない。
感情を隠すのはサランドの方が得意だと思ったが、エルーシオの方が一枚上手らしい。
ハレイストは右足を一歩だけそちらに向け、顔をサランドとエルーシオに向けた。
「長い間、人と獣は争って来ました。ですが、決着は付きません。力だけならば、獣方が上でしょう。ですが、数では、人の方が上です。
何度争いを重ねても決着は付かず、争いの度に、人が、獣が死に、互いに憎しみを抱きます。その連鎖は止まる事がありません。
その隙に、貴族達は画策し、互いに互いを蹴落とし、力をつける為に、税を上げ、民の暮らしは圧迫される」
城下街は活気に溢れている。だが、一度道を外れれば、広がるのは貧民街。争いで家族を亡くし憎しみに目をぎらつかせる人々。飢えで痩せ細った体に似合わぬぎらついた瞳。
そんな中で、まるでそこだけ異世界であるかのように豪勢な貴族の屋敷。
「獣が死に、人が死に、憎しみの連鎖は輪を描くように永遠に続く。それどころか、憎しみは伝染していく。
両者は疲弊しきってもなお、憎しみを糧に争いは続く」
ぎらつく瞳の中で渦巻く黒い感情。その感情が向かうのは貴族か王族か獣か。または、その全てか。
「このままでは、世界は滅びるだけです。他の大陸が、荒土と化したように、いずれこの大陸もそうなります。貴女方はそれを分かっている。分かっていないのは人の方です」
相手の事を知ろうともしないで、昔からの観念に囚われている城内の人間。民は、争いが無駄な物だと気付いている。このまま争いが続けばどうなるかも。
そんな事にも気付かず、自分の事しか考えない愚かな貴族達。民が、世界が、自分達の為にあると信じて疑わない傲慢人な種。民が貴族や王族の為にあるのではなく、民の為に、王族や貴族がいるというのに。
「私は、世界を終わらせない為にも、これからも生きていく為にも、子孫の為にも、争いを終わらせたいのです」
争いが終われば、人と獣が手を取り合って、他の大陸の再生に勤める事が出来る。手を取り合う事が無くても、争わなければ、それだけでも十分だ。互いに協力していけるのが一番理想的だが、それは時間を掛けてゆっくりやっていけば良い。
何よりも、争いを止める事が先決だ。全てはそれから。
「争いを止められるのならば、何でもしましょう。頭を下げる事も、命を賭ける事も厭いません」
ハレイストは笑みを浮かべて言う。十歳の少年に不釣合いな大人びた、決意に満ちた笑み。
「先程、争いは望んでいないと言いましたね。では、私と協力して、争いを無くし、静かな生活を、安寧を手に入れたいと思いませんか?」
そう言った後、ハレイストは笑みを一層深くし、綺麗な笑みを浮かべた。綺麗で、大人びていて、何処か子供が悪戯を持ち掛けているような不思議な笑顔。それは、サランドとエルーシオの心を掴むのに十分過ぎる程のものだった。
サランドとエルーシオは呆然としてハレイストを見た。彼等にとって、ハレイストの言葉は予想を遥かに超えていた。十歳の少年が言う事など、たかが知れていると思ったのだ。
まさか、王族が頭を下げる事を厭わないなど。まだ幼い少年が、そこまでの覚悟を持っていたなど。
誰が、予想出来ようか。
誰も口を開かず、その場に静寂が流れる。ルティーナは瞳を閉じたまま。ハレイストは返事を待って。サランドとエルーシオは驚愕で。
数瞬後、高らかな笑い声が響いた。鈴の音のような、澄んだ笑い声。
驚いたハレイストが視線を上げると、何時の間にか開いていた深い青の双眸と視線が重なった。ルティーナは面白いものでも見るように、瞳を細めていた。
「面白い、人の子」
一応言葉遊び(?)です。
もっと上手く書けると良いんですが、語彙が足りなさ過ぎて無理でした。
暫くハレイストとルティーナの言葉の応酬が続きます。
また、テスト週間に入る為、更新が遅れるかもしれませんが、これからも頑張りますので、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。