二十話
視察三日目は何事もなく過ぎた。簡単に言えば、ハレイストはまた別の貴族を訪れ、少し話して屋敷に戻った。
そして、視察四日目。
「あの王子は、またか!」
トーレインは滞在しているレオナルド公の屋敷の廊下を早足で歩いていた。その声にはまぎれもない怒りが表れている。
原因は何時もの如くハレイストだ。
ハレイストは今日は貴族を訪れる予定は無い。と言うのも、今日は自警団の訓練を見に行く予定だったのだが、彼等は祭りの後片付けと準備に追われているらしい。
普段ならば王国騎士団の者達もいるのだが、今は争いが間近に迫っており、それどころではない。ブルクリードとスフィランスの境界でならば獣達の侵入を防げる。仮に、境界に行かず領地を守ったとしても、獣達に領地に入り込まれたら守り切れない。それでは本末転倒である。
で、急遽予定が無くなったハレイストに、トーレインは城から持って来た公務を終わらせてもらおうとハレイストが居るはずの部屋に向かったのだ。その手に沢山の書類を抱えて。
「何故ああも脱走の腕だけが上がるんだ…」
トーレインは呻いた。
そう、トーレインがハレイストの部屋を訪れると、そこはもぬけの空だった。
ひとまず抱えていた書類を机の上に置き、ハレイストを捜す事にしたのだ。が、屋敷に居る誰に尋ねてもハレイストの行方を知っている者は居なかった。城を離れたこの場所でも脱走を実行したのだ、ハレイストは。
「脱走する努力を公務に向けて欲しい…」
廊下を歩きながらトーレインは重々しく溜め息を吐いた。
その頃、ハレイストはフードを被って街を歩いていた。特徴的な深緋の髪が隠れているとは言え、その容姿は隠せていない。擦れ違う人はほぼ例外なくハレイストを振り返った。
王子である事はばれていないだろうが、とても目立っている。本人は目立っている事に気付いていないが。
そんなハレイストは上機嫌で街を歩いていた。説教くさいトーレインの目を盗み、苦手な公務から解放されたのだ。帰ってからが怖いが、今は考えない事にする。
「兄上に何かお土産でも買って行こうかな」
ハレイストは道の両脇に軒を連ねる店を見ながら呟く。ルクシオンはハレイストによく土産を持って来る。国内を転々としている為、その先々でハレイストに土産を買って来るのだ。主にハレイストが好きな本が多い。
一方、ハレイストは基本的に城から、と言うか王都から出ない。城下街には頻繁に行くが、見慣れた物ばかりで珍しい物が無い。まぁ、ルクシオンならばハレイストがくれた物ならば何でも喜ぶ、と言うか、狂喜乱舞しそうだが。
「う~ん、何がいいかな?短剣とかは…止めといた方が良いかな。取り敢えず、武器にならない、って言うのが条件かな」
ルクシオンと言うと、戦っている印象が強い。とすると、長剣は既に持っているのだから、短剣を土産にするのも良いかと思ったハレイストだったが、止めた。これ以上ルクシオンに武器を持たせてはいけない気がしたのだ。
短剣は基本護身用だが、ルクシオン程の剣の腕ならば護身用はいらないだろう。それに、護身用というよりは暴走した時に人に投げ付けかねない。ルクシオンの腕力を持ってして投げられた短剣が急所に刺されば命を落としてしまうかもしれない。流石にそれは避けたい。
唯でさえ他の者達が貴族達を害さないように注意をしているというのに、これ以上注意を払う対象を増やすのは嫌なのだ。
何か武器にならない物でお土産に丁度良い物を探しながらハレイストは人を避けながら歩いていく。その視線は絶えずさまよい、品物を吟味している。
売られているのは服や食べ物、装飾品や本、置物や剣等、品揃えは豊富だった。
そんな中、ハレイストはある物に目を付けた。
「ねぇ、これは何?」
ハレイストはある店の前で立ち止まると、店の主人に尋ねた。ハレイストが示す先に置いてあるのは透明な器を逆さにし、それに糸が通されており、糸の途中にこれまた透明な棒が付いている物だった。
「お客さん、ここら辺は始めてかい?」
「三年ぶりんなんだ」
「じゃぁ知らねぇのも無理はねぇか」
ハレイストに目を向けた大柄な主人が尋ねると、ハレイストは僅かに微笑みを浮かべて答えた。その何処か恥じ入った様子に、主人は豪快な笑い声を上げた。
「これはな、ガラス細工だ」
「ガラス細工?」
主人が言った言葉をハレイストは鸚鵡返しにして首を傾げた。
「おう。ガラスって言うと窓に使うぐらいしか思いつかねぇだろ?」
主人の言葉にハレイストは無言で頷く。
ガラスは壊れやすく、扱うのが難しい為、窓のような単純な形にしか出来ないのだ。
「これはな、熱したガラスの中に息を吹き込んで膨らまして作ったんだ。その棒は熱したガラスを型に流し込んで作った」
主人は胸を叩いて誇らしげに説明する。
「他の色もある?黄色とか」
ハレイストは並ぶガラス細工を一通り見てから主人に尋ねた。ガラス細工には染料が使われているのか、青や赤や緑などがあったが、黄色が無かった。ルクシオンを連想する色は金だ。流石に金はないだろうから、黄色ぐらいだろう。
「奥にあるぞ。見るかい?」
「是非!」
店主は歯を見せて笑いながらハレイストを店の奥に誘った。ハレイストは嬉しそうに頷くと、店主の後に付いて店の奥へと入っていった。
この時、ハレイストの頭の中はルクシオンへのお土産の事しかなかった。
だから、突然訪れた衝撃に、何が起こったのかわからなかった。最後に見たのは、醜悪に笑う店主の男の顔。
「ゆっくり寝てな、第二王子殿下。会う事はもうないだろうがな」
その男の言葉を耳にするのを最後に、ハレイストは床に崩れ落ちた。
やっと…やっと進んだ!
ようやく話に進展がありました。
長かった…、長くしたのは自分ですが。
次の話ではずっと出したかった登場人物(?)を出せたら良いな~、と思っております。