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闇に浮かぶ紅蓮の炎  作者: 夜月 雪那
第二王子
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第一話

 ここは人の国ブルクリード。平地にあるその国は、貴族階級毎に土地が区切られ、更にその中で家毎に領地が決められている。土地、領地間の行き来は自由で、商人が各地を回る。基本的に穏やかな空気が国全体を包んでいるように見えるが、実際はそうではない。特に、月に一度、獣の国であるスフィアランスとの境界になっているセオリア河が干上がる時は。月に一度のその日は、人と獣の争いの日だ。お互いを殺そうと兵士が、戦士がお互いを傷付ける。昔から続くそれは、今もなお続いている---。


「殿下ーー! ハレイスト殿下ー! 何処ですかー!」

 王都にある城、国王が住むルード城。初代国王の名を冠する城に、男の声が響き渡る。その男の他に、複数の足音が忙しなく行き来している。

「いらっしゃったか!?」

「何処にもいらっしゃいません!」

 叫ぶ男に、顔面蒼白の侍女が答える。彼らが探しているのはこの国の第二王子だ。脱走癖があり、今も公務を放棄して何処かへ消えた。ほぼ毎日繰り返されるこの光景は、一種の名物と化している。

「殿下のお部屋は探したか!?」

「お部屋も庭も洗濯場も騎士団宿舎も鍛練場も探しましたが見つかりません!」

 男の問いに走って来た兵士の一人が答える。相当走り回ったのか、肩で息をしている。次々と届く殿下が居ないという知らせ。

 そんな中を、書類を見ている青年が落ち着いた足取りで歩いて来た。青みがかった黒髪を左耳の下辺りで緩く一つに纏めた青年は、周りの慌しい雰囲気を全く介していない。すぐ横を血相変えた兵士が通り過ぎても、宵闇色の瞳は書類から離れない。

「トーレイン! ハレイスト殿下はどうした!?」

 男が青年を呼び止める。そこで、青年は初めて書類から目を離した。青年の目に、自分と同じ髪を持つ男が映る。

「逆に教えて欲しい位ですよ、父上。全く、公務が溜まっているのにあの王子は…」

 青年が忌々しげに舌打ちしながら言う。彼の名はトーレイン・ヴィルヘルム。ハレイスト第二王子専属の執務補佐官だ。とはいえ、補佐官である筈の彼が主の公務をほとんどやっている。

「無礼な口は慎め! お前が殿下を見張っていなくてどうするのだ! あれほど言っておいただろう!」

 咎める様に叫んだのは彼の父、トディスだ。息子であるトーレインは伯爵家に婿入りしたため名前の後に家名が続くが、トディスは単なる家庭教師なので家名がない。騎士団長等の特別な地位に就くと、名前の後に地位を表す名が続く。

「見張ってましたよ。少し目を離した隙に居なくなったんです。

 放って置けばその内帰って来られるのでは?」

 トーレインが投げやりに言う。こうなった場合、これだけ探しても見付からない時はどれだけ探しても見付からない。城内に居ないのならば、城下街に出掛けたのだろう。

「もう少し心配しろ! お前の主だろうが!」

 トディスが怒鳴る。その声に驚いた周りの人々が何事かと振り向く。その中には、貴族の姿も在った。

「主?あれがですか? 冗談はやめて下さい。あんな愚図、主だと認めた覚えはありません」

 トーレインの嘲笑を含む言葉に、周りを歩いていた貴族達から笑いが漏れる。言い返そうとしたトディスだったが、何も言えなかった。事実だからだ。第二王子は、能無しの愚図である。城内では常識と言っても良いほどの事だ。

「それでは、仕事がありますので失礼します。探すのは諦めた方が賢明ですよ、父上」

 無言のままのトディスにそう言うと、トーレインは去って行った。周りで見物していた貴族達も歩みを再開する。口元に嘲りの笑みを浮かべながら…。

 トディスは無言のまま、近くの窓から空を眺める。空には太陽が天高く昇っている。もうすぐお昼時だ。

「昔はとても利発な方であったのに…。やはり、あの時に何か有ったのだろうか? あの、六年前に…」

 誰に言うとも無しに、トディスは独り呟いた。思い出すのは、第二王子、ハレイストの幼い頃---。



「トディス、人と獣は何故争うの?」

「昔から続いているからですよ、殿下」

「止めないの?」

「どちらかが滅びるまでは終わらないでしょう」

 城の一室、第二王子の私室。椅子に座った幼い王子が家庭教師であるトディスに尋ねる。深緋色の髪は陽光を反射し、より一層鮮やかな赤色に。薄墨色の双眸は好奇心ためか、大きく見開かれ、正面に居るトディスを真っ直ぐに見ている。

「どうして?」

 首を傾げたハレイストにトディスは苦笑する。この好奇心旺盛な子供は、二言目には何故?どうして?と続く。子供らしい無邪気な問いから、大人をびっくりさせる程の鋭い問いまで。

「そういう生き物だからですよ」

「それは、人が? それとも獣が?」

 ハレイストの瞳が悲しげに細められる。その問いに、トディスは静かに息を飲む。その問いは、若干六歳の子供がするような物では無い。大人ですら、疑問に思う事など無いだろう。いや、大人だからこそ、か。

「殿下は、どちらだと思いますか?」

 トディスは敢えて答えず、逆に尋ねた。穏やかな微笑を銀の瞳に浮かべながら。

 ハレイストは逆に尋ねられるとは思わなかったのか、少し驚いた顔をした後、真剣に悩み始めた。その様子を見ていると、年相応に見える。

「んー、わかんないや。それを言える程、僕は物事を知らないから」

 暫く悩んだ後、ハレイストが照れた笑いを浮かべながら答える。自分の無知を恥じるような笑み。まだ六歳なのだか、知らなくても当然なのに。

「これから知る機会もありましょう。まだ、時間はあるのですから。分からない事は、聞けばよろしいのです。知っている方に」

 トディスは笑みを浮かべながら、諭す様に言う。その顔はまるで、愛しい我が子を見ているようだった。いや、トディスにとっては、ハレイストは息子同然だった。その心情は、城に居るほとんどの人に当てはまるだろう。利発で、無邪気で、人懐こい第二王子は皆に可愛がられる。王位を巡って争うはずの異母兄の第一王子ですら、彼には甘い。何事にも、例外は存在するが…。

「そうだね。聞いてみようかな、知っていそうな人に」

「それがよろしいでしょう。しかし、今はお勉強をして頂きます。この後は剣の稽古が控えていますよ」

 トディスの言葉に、ハレイストは嬉しそうに頷いた。

 十年も前の、平凡な一日の記憶。それが、ある意味、ハレイストを見た最後だった…。


 トディスは窓から視線を外し、正面を見た。第二王子を探すのを諦めた兵士や侍女達が自分の仕事に戻って行く。トディスも戻らなければならない。

「帰って来たら説教だな。全く、困った王子だ」

 そう呟くトディスの顔は何処までも穏やかで、優しかった。

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