十三話
会議の翌日、つまり、ルクシオンと朝食を共にする約束をした日。その日、ハレイストは何時もより早く起きた。何時もは侍女であるエレンが起こしに来るぎりぎりの時間まで寝ている。
が、今日はそうもいかない。ルクシオンの朝は早いのだ。その代わり、寝るのは早い。寝付くのも早いが。
ハレイストは顔を出したばかりの太陽を窓の外に見てから、寝室を出て隣の部屋に移動した。
「おはよう、エレン。今日の僕の服は?」
ハレイストが隣の部屋に移動すると、エレンが既に紅茶の準備をしていた。部屋の中には紅茶の良い匂いが充満している。
「おはようございます、ハレイスト様。御洋服はソファの上に畳んでありますわ」
紅茶を準備する手を止め、エレンが頭を下げる。その拍子に一つに纏められた栗色の髪が揺れた。朝早い時間だと言うのに、エレンの格好には隙が無い。化粧も施されている。他の侍女に比べれば格段に薄い化粧だが。
「ありがとう。こんな朝早くにごめんね」
ハレイストはエレンが示したソファに向かい、畳んで置かれていた服を手に取りながら言う。
今の時間帯は、下女や下男が起き出す時間帯だ。その少し後に侍女や侍従達が起きる。更にその後に貴族や王族が。ただし、ルクシオンは例外で、城の誰よりも早く起きる。
「気にしないで下さいませ。早起き過ぎるルクシオン殿下が悪いのです。ハレイスト様が謝る事ではありませんわ」
エレンが微笑みながら言う。この笑みにやられた男は数知れず。下は平民から上は公爵まで。幅広い男性層から人気を得ている。その誰もがもれなく玉砕したが。
子爵家の一人娘であるエレンは、普通ならば政略結婚をする。しかし、母である子爵位大臣の考えは違った。エレンが選んだ男ならば誰でも良いと言うのだ。私の娘が悪い男に引っ掛かる筈が無い、と断言したらしい。その言葉に男達が燃えたのはどうしようも無い事実である。
「で、エレンは良い人見つかった?」
ハレイストはエレンに背を向けて夜着を脱ぎ捨てる。エレンもハレイストから目を逸らし、紅茶の準備を続ける。
「いいえ。どの男性も同じにしか見えません」
うんざりした声音のエレンにハレイストは苦笑する。顔は見えないが、おそらく怒った表情をしているはずだ。
「どの男も外見しか見てくれないから?」
「それか、家柄、です。女は大人しく言う事を聞いていろ、だそうですわ」
怒りを隠し切れないようにエレンが言う。怒っていても、紅茶を準備する手付きは滑らかだ。
「目が節穴な男ばっかりなんだね。エレンの真価はその面倒見の良さなのに」
ハレイストは着替え終わると、部屋の中央に置いてあるテーブルに着いた。目の前に差し出された紅茶を美味しそうに飲み干す。
「そう言って下さるのはハレイスト様だけですわ」
エレンが茶器を片付けながら可笑しそうに笑う。紅茶の入ったカップを置いたハレイストは呆れた様にエレンを見る。
「君の事を心から思ってくれる人も居ると思うよ?君が気付いていないだけで」
「あら、誰ですか?」
「秘密。僕が言ったって面白くないだろう?それに、自分で言いたいだろうし」
興味深そうに尋ねてきたエレンにハレイストはいたずらっぽく笑う。思いを伝えるのは自分で言わないと意味が無い。そうでないと、自分がどれだけ真剣か、どれだけ思っているかが正確に伝わらないから。
後で怒られるのも嫌だし、とハレイストは心の中で付け足した。いや、あの人なら笑って許してくれるかも知しれないけど、その顔は引き攣ってるんだろうな、とハレイストは考えた。その光景が脳裏に浮かんで思わず笑い声を漏らす。
「どうかなさいましたか?」
我に返って笑うのを止めると、エレンが首を傾げてハレイストを見ていた。
「何でもないよ。そろそろ兄上が来る頃かな?」
エレンに首を傾げながら見られたら面白い反応しそうだな、と思いつつ、ハレイストは話題を変えた。
太陽が城下街を照らし、朝の支度にせわしなく動く人々が見える。何時もそれぐらいの時間帯にルクシオンはハレイストの部屋を訪れる。
「ハレイスト!」
今現在のように突然に、共の一人も付けず。
「おはようございます、兄上」
扉を勢い良く押し開いて飛び込んで来たルクシオンに動じる事無くハレイストはにこやかに挨拶をする。傍に控えているエレンは顔を不快そうに歪めていた。
「おはよう、弟よ。やっとゆっくり話が出来るな」
ルクシオンは律儀に扉を閉めてハレイストに歩み寄る。嬉しそうな笑みを浮かべているが、その意識は扉の方に向かっていた。
「エレンもおはよう。また綺麗になったな」
「また共の方を置いて来たのですか?」
笑顔で褒めるルクシオンの言葉を無視してエレンが呆れた様に言う。
「それに、何度申し上げれば分かって頂けるのですか?城内を走らない。ノックをする。一人で行動しない。最低限の礼儀を守って下さい。仮にもこの国の第一王子でいらっしゃるのですから」
笑顔を貼り付けたエレンが捲くし立てる。公の場では王子然とした態度だが、ハレイストの前では威厳の欠片も無い。そんな姿ばかり見ているエレンはルクシオンに対して色々と 鬱憤が溜まっているのだ。
「仮に、じゃなくて王子なんだが」
ルクシオンが恐る恐る訂正する。が、そんな事に取り合うエレンではない。
「ならばそれらしくして下さいませ。有能でも馬鹿では意味がありませんわ」
エレンは笑顔で言い切る。貴族達ならここで怒りを爆発させるところだが、ルクシオンはしなかった。いや、出来ないと言うべきか。
「エレン、あんまり兄上を虐めないであげてくれるかな?それと、朝食の準備を頼むよ。お腹が空いたから」
何時までも続きそうなやり取りにハレイストが割って入る。
二人のやり取りも恒例なのだが、放っておくと何時までも続くのだ。以前は放っておいたら一時間程続いた。その時も終わりは見えず、ハレイストが止めたのだ。今のように。
「かしこまりました。座ってお待ち下さいませ」
エレンは頭を下げると、足早に部屋を出て行った。部屋から出るときにルクシオンを睨むのを忘れずに。
部屋に残ったのは寂しそうな顔をしているルクシオンと笑顔のハレイストだけ。
静かな室内に、重々しい溜め息が響いた。