第九話
ハレイスは護衛の騎士達と合流し、廊下を執務室に向かって歩いていた。トーレインはハレイストに頼まれ事をされた為、傍には居ない。会議の後は何時もそうなので誰も気にしない。
会議が終わった直後にルクシオンはハレイスト共に退出しようとしたが、貴族達に捕まった。久しぶりに城に帰ってきたルクシオンと話がしたかったのだろう。凄まじい怒気を向けられたばかりだと言うのに、だ。その神経の図太さには恐れ入る。
ルクシオンがハレイストに助けを求める視線を送ったが、ハレイストは既に背を向けていた為、気付く事は無かった。公務が溜まっている為、少しでも時間が惜しいのだ。普段から真面目にやればそんな事にはならないのだが。
「ハレイスト殿下」
その時後ろから呼び止められた。ハレイストが振り返ると、ジルフィスが足早に歩いて来る所だった。銀の髪が歩み毎に揺れる。
「ジルフィス、どうかした?」
ハレイストは立ち止まり、ジルフィスが近付いて来るのを待ってから声を掛けた。
「ルクシオン殿下から伝言を預かりました。お前らは下がれ、俺がお部屋までお連れする」
前半はハレイストに、後半は護衛の騎士達にジルフィスが言う。許可を求める様に寄越された騎士達の視線にハレイストが頷く。
「御苦労様。後は騎士団長殿にお願いするよ」
ハレイストがにこやかに言うと、騎士達は一礼して去って行った。それを二人は無言で見送り、その姿が廊下の角に消えると、ハレイストが口を開いた。
「兄上からの伝言は明日の朝食を共に、で良い?」
「よくお分かりで」
その言葉にジルフィスが口の端を吊り上げて笑う。それまでの丁寧な言葉遣いを止め、ジルフィスは友に話し掛ける様な口調になった。しかし、ハレイストはそれを咎めない。むしろ。こういう気軽な話し方の方が好きだったりする。
「何時もの事だからね。兄上は当分逃げられないだろう?」
可笑しそうにハレイストが言う。たまにルクシオンが帰って来ると、貴族達は我先にと押し掛ける。少しでも覚えを良くしたいのだろう。その人の波は途切れる事が無く、根の優しいルクシオンは邪険に扱う事が出来ない。結果、ハレイストと話す事が出来ないのだ。その後には溜まりに溜まった公務をこなさなければならないのだから。
「そうだな。争いの時は雄雄しいんだがな。貴族共相手だと駄目だな」
並んで歩きながらジルフィスが苦笑する。争いの時、ジルフィスは常にルクシオンの傍に居る。二つ名は銀の鷹。獣嫌いなくせに二つ名に獣を用いる貴族達の考えが分からないハレイストである。
「さっきは怒ってたけどね」
「大事な弟を馬鹿にされたからだろ」
「まぁ、怒ってくれたのが兄上で良かったよ。もうすぐ乱入して来そうだったから」
ハレイストが朗らかに笑う。会議室の隣の部屋からは殺気が漏れていた。今にも爆発するのではないかと思った程だ。
「愛されてんだな」
「ありがたいことにね」
ジルフィスがしみじみと言う。彼もその気配を感じ取っていた。だからこそ、怒鳴りそうになるのを堪える事が出来たのだ。獲物を奪ったら自分がただでは済まないからだ。
「何度か本当に暗殺しようとしてたけどね。止めるのが大変で。気付かない内にやっちゃってる時もあるから」
ハレイストが困ったように笑う。しかし、その瞳は笑っていなかった。それを確認したジルフィスが溜め息を吐く。その重々しい溜め息にハレイストが首を傾げる。先程の鋭い雰囲気は消え、貴族達が罵倒する第二王子の雰囲気に戻った。
「その姿を貴族共に見せてやりたいぜ」
そうすれば貴族共も黙るのに、と続けようとした言葉をジルフィスは飲み込んだ。ハレイストが立ち止まり、冷え冷えとした視線を彼に向けていたからだ。その空気に圧倒され、ジルフィスは本能的に口を噤んだ。
ハレイストはジルフィスが黙ると、何事も無かったかのように口を開いた。
「今は駄目だよ。この計画にどれだけ時間が掛かったと思ってるのさ」
ハレイストが子供の様に唇を尖らせる。その様子は大人に遊びを邪魔された悪戯っ子の様だ。
「分かってるから我慢してんだろ?俺だって付いて行きたいのによ」
不機嫌にジルフィスが言い放つ。
「あんまり人数居ても困るからね」
「四人、だったよな?」
「五人だよ」
ハレイストが即座に訂正する。その言葉に、ジルフィスは目を見開いた。しかし、次の瞬間には不機嫌な顔付きになった。彼の表情がここまで変わるのも珍しい。騎士達の訓練の時は常に無表情、常に冷静、訓練の内容は鬼。怒らせたら命は無いと思え、というのが騎士達の間で囁かれている事である。本人も知っている筈だが、何も言わない。
「誰だ、その羨ましい奴は」
「君ではないね」
ハレイストは笑顔で言い切った。ジルフィスに期待させる隙を与えなかった。
「…少しは期待させろ」
ジルフィスが歩みを再開させながら言う。彼は自分も連れて行ってくれるのではないかと、淡い期待を抱いたのだ。すぐにその期待は打ち破られたが。
「無意味に期待させる方が酷いと思わない?」
ハレイストがジルフィスの後を追うように歩く。言っている事はもっともだが、それでも期待したくなるのが人間である。
「分かってはいるがな…」
正直分かりたくない、というのが本音だ。ジルフィスが溜め息を吐く。が、何を言ってもハレイストの考えが変わるとは思えないのでそれ以上何も言わなかった。ハレイストはジルフィスの後ろを笑顔のまま黙って執務室まで歩いた。
これ以降更新のペースが遅くなります
遅くはなりますがちゃんと書くので気長にお付き合い下さい=3