出席番号だけ書いたバレンタイン
三階の窓は、少しだけ風が強い。
――でも、その前の話。
四月。
入学したばかりの頃、校舎はまだ少しだけよそよそしかった。
三年生の兄がいたから、廊下を歩くと、その友達たちが気軽に声をかけてきた。
「お、ゆきじゃん」
「中学生なったのか〜」
当たり前みたいに笑いかけてくる。
その中に、ひとりだけ。
何も言わない人がいた。
野球部の人。
目が合うと、ほんの一瞬だけ止まる。
でも、何も言わないで通り過ぎる。
それが、なぜか気になった。
理由なんてなかった。
ただ、その人だけが、ずっと心に残った。
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放課後。
三階の窓から、二階の窓を見ている。
三年生の教室。
誰かが顔を出すたびに、胸が少しだけ跳ねる。
あの人がいるかもしれないから。
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秋。
帰り道。
前を歩く、見慣れた背中。
私は友達と一緒にいた。
何度も迷って、それでも思い切って声をかけた。
「……あの」
振り向いた彼と、目が合う。
頭が真っ白になる。
言葉が出てこない。
沈黙の中で、隣にいた友達が背中を押す。
「この子、好きなんだって」
彼は少しだけ困ったような顔をして、何も言わなかった。
否定も、肯定もせずに。
私はやっとの思いで言う。
「……三連休、終わったら……返事ください」
⸻
三連休が終わって、その日の放課後。
体育館の扉を開けた瞬間――
彼が、ひとりで立っていた。
(来てくれたんだ)
そう分かったのに、体が動かなかった。
びっくりしすぎて、そのまま素通りしてしまった。
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更衣室で急いで着替えた。
(行かなきゃ)
そう思って外に出る。
でも――
もう、いなかった。
体育館の窓から見えたのは、
ひとりで帰っていく後ろ姿。
その距離が、どうしても埋まらなかった。
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お正月。
兄宛の年賀状の中に、彼の名前。
「ゆきにもよろしく!」
たった一言なのに、
それだけで、ちゃんとつながっている気がした。
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バレンタイン。
名前は書けなかった。
でも気づいてほしくて、
「何年何組 出席番号」だけ書いて、下駄箱に入れた。
あの時の自分なりの、精一杯だった。
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ホワイトデー。
それは、卒業式の日でもあった。
朝、三階の窓から校門を見る。
彼が登校してくるのが見えた。
ふと顔を上げた彼と、窓越しに目が合う。
その瞬間だけ、距離がなくなった気がした。
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しばらくして――
彼が、三階まで来てくれた。
ざわつく廊下の中で。
「ゆき」
初めて名前を呼ばれた。
その一言だけで、全部が報われた気がした。
手渡されたのは、ホワイトデーのお返しと、手紙。
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教室に戻って、すぐに開いた。
「ゆきにバレンタインもらえて嬉しかった。
卒業しても電話してきていいからね。
ゆきに会いに学校に来るからね。」
短い言葉なのに、
ずっと欲しかった答えが、そこにあった。
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卒業式のあと。
私は、ちゃんと言えた。
「第二ボタン、ください」
彼は少しだけ照れながら、それを外してくれた。
その重みが、やけにあたたかかった。
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それで終わりだった。
でも――
あの日は、ちゃんと幸せだった。
少しだけ寂しくて、でも、それ以上に嬉しかった。
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そのあと。
私が二年生になったある日。
放課後、部活に向かう途中。
彼が、いた。
本当に、会いに来てくれていた。
あの手紙の通りに。
嬉しかったのに。
でも――
また、何もできなかった。
ただ、素通りしてしまった。
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あとから、何度も思った。
あの時、声をかけていればって。
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それ以来。
彼に会うことは、二度となかった。
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それでも。
あの時間は、ちゃんと残っている。
言えなかった言葉も、
間に合わなかった一歩も、
全部そのままの形で。
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大人になった今でも、思い出す。
三階の窓から見ていた景色を。
あの時の風の強さを。
届きそうで届かなかった距離を。
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たぶんあの恋は、
うまくいかなかったから、消えなかった。
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そして今でも、少しだけ思う。
もし、もう一度だけ会えたなら。
今度は、ちゃんと立ち止まれる気がする。
これは、私が中学一年生の時の実体験をもとに書きました。
うまくいかなかったけど、今でも大切な思い出です。
読んでくださってありがとうございました。




