呪いと救い
高校教師を目指そうと思ったのは、憧れの女教師がいたからだ。
高1から高3まで、担任は「辻村先生」だった。
高校の時のクラスはヤンキー(もはや輩)が多かった。仲良くなれそうなタイプの人が一人もおらず、他の人はすぐにグループが出来上がってしまった。
私はおとなしめのグループに話しかけられることが多かったが、話しかけてくるその子を見て後ろでクスクス笑っているのが目に入り、居心地の悪さから授業の合間は机に突っ伏して過ごしていた。
志穂とはクラスが離れたが、一緒に弁当を食べていた。
「白雪さん、グループ交換してくれない?白雪さんのグループ、うるさいから嫌でしょ?」
輩の仲間がいるグループのメンバーになってしまった時に輩に声をかけられ、自信がなくて怖がっていた私が交換したのがきっかけで輩からのお願いはエスカレートしていった。
「白雪さん、発表の資料作ってくれない?」
「白雪さん、宿題見せて」
「白雪さん、席交換してくれない?」
私は断れずにすべてやり遂げ、一番後ろの席から前の席になった。
そして輩グループは後ろへ行き、輩に頼まれた人たちが前にいる構図が出来上がった。
一部の生徒は辻村先生にクレームを言いに行ったが、状況が変わることはなかった。
とはいえ誰も後ろの席に行きたいわけではない。不条理なことが納得いかないのだ。
一番前ということは授業を真剣に聞かないといけないし、後ろは常に騒がしい。
それでも辻村先生は全く気にせずに授業をしていた。
声が聞き取れずに後ろを気にしながらため息をつく生徒も多かったせいか、やがて辻村先生は全て黒板に書くようになった。
それだと時間が足りなくなると思ったのか、今度は資料を作り、プロジェクターで映すようになった。
なぜ輩のせいで、先生がここまでしなきゃいけないのか。私はいらだちを感じていた。
そんな辻村先生が一度だけ輩に怒ったことがあった。
輩たちが大きめのソフトボールでキャッチボールをして遊んでいた時だった。
そのボールが私の頭に当たり、ペンケースに当たって下に中身がぶちまけられた。
辻村先生は話すのをやめた。
輩たちはふざけて笑いながら「ごめんごめん」と謝ってきたが、
バン!!!!
教科書を教団に叩きつける音が鳴り響いた。
辻村先生は、
「おい。お前らが授業中何をしようが私はどうでもいい。でもちゃんと勉強してる人の邪魔をするなら出て行ってもらう。早くペンケースを拾って。ボールを返してもらって謝りなさい。白雪さんは拾わなくていいから」
と、淡々と言った。
他の輩たちはざわざわし、「っす」と謝り(?)ながらペンケースを拾いに来た輩を見て、前の席の人たちはクスクス笑って「ださ」と口々に言った。
輩たちがまた騒ぎ始めた時に、先生は
「白雪さん。席が一番前になったのは不運じゃなくて、勝ち取ったんだと思ってみて。世の中は下克上で、弱肉強食なの。大人になったら好きな仕事とか転職に就けるように、一番前でしっかり授業を聞いててね。私も頑張るから」
と言って笑った。
先生は私が席を交換したことを知っていた。
あの時、私はなんだか感動して、胸がスカッとしたのを感じて泣きそうになった。
前の方に座っていた生徒たちは、どんなに寝てしまう人でも辻村先生の授業だけはしっかり聞くようになった。
クレームを言いに行った女子は「辻村先生、『私が責任をもって後悔させない授業をするからついてきてほしい』って言ってた」と後から話したことから辻村先生のファンは増えた。
私もこの人みたいになりたいと思った。自信や威厳というものは、蓄積した知識や経験からもにじみ出るのだと実感した瞬間だった。
「そういえば辻村先生って国語だったよね。今どうしてるんだろう」
志穂のクラスの国語の授業も、辻村先生が担当だった。
志穂がいたから高校生活は楽しかった部分もある。
「へえ、高校時代の棗って陰キャだったんだ」
篠田の言葉に私はすこしイラッとした。
「あのさあ。私、陰キャとか陽キャとかに分類するのすごく嫌なんだよね」
私が吐き捨ててビールを飲むと、篠田は小さい声で「え、ごめん」と言った。
入り浸りメンバーに篠田も加入してからだいぶ経つ。
「お?別れの危機?」
「うっせーブス。お前も別れさせるぞ」
「は?私別れたし」
「え、まじか。なんで?」
「もう私琥珀くんと付き合う!」
志穂が言うと、遠くで制服から着替えていた琥珀が首をかしげた。
それに気づいた志穂が悲鳴を上げた。
「ちょっと!あーた!中学生とはいえ、中学生なんだから女の子の前で着替えちゃだめだよ!周りもみんな中学生だから!」
「こはっくん中1になったのか~。俺とタメだね」
どうしてこいつらは酒を飲むとIQが下がるのか。
「てかボクサーはいてんの!?やだ~」
「やだってなんだよ」
志穂の言葉に琥珀はちょっと笑って、ビールを私にくれた。
「ありがと」
「明日送ってってくれんの?」
「え、琥珀くんどっか行くの?」
「俺昨日志穂さんに言ったじゃん。宿泊研修だよ」
「志穂さんだって・・・メロい」
「お前志穂さんって呼ばれてんの?怒りで急成長した姿?」
「こっち見んな」
「俺も別れようかな」
琥珀が言った。志穂が食いつく。
「え!なんで!?」
「あいつ『陽キャ』だし。俺別に『陽キャ』好きなわけじゃないから」
琥珀が篠田をにらみ、篠田は真剣なまなざしで琥珀を見る。
「何あの目。ずるくない?もはや俺を落とそうとしてる?」
「お前の負けだ、篠田。飲もう」
二人は遅くまで飲んで行き、潰れた篠田を志穂が引きずって帰って行った。
琥珀がトイレに行き、掃除を始めた。
「え、さっきやったよ」
「さっきあいつ吐いてたよ。苦手でしょ」
「琥珀・・・来世の私の彼氏かな」
「飲みすぎ」
琥珀が戻ってきたとき、私はうとうとしていた。
「なつめが陰キャでも陽キャでも俺はどっちでもいいよ」
琥珀の言葉に私は眠気が吹き飛んで、寝室に行こうとした琥珀をつかまえた。
「なになに(笑)」
「琥珀はどういう人が好きなの?決め手は?私と似てるから~?」
「飲みすぎだって」
「私、誰に似てるとかそういうのもないけど、好きとかももはやわかんない。大人になってもわかんないなんて、普通じゃないのかな」
無理やり隣に座らせた中学生に話すことじゃないのに(笑)
「普通じゃないのが嫌なら好きな人を探せばいいんじゃない?」
「琥珀は、好きな人が見つかったから付き合ったの?」
「別に。好きって言われたし、俺は普通じゃなくてもいいから」
「そうなんだ・・・」
普通じゃなくてもいいって割り切れたら、くだらないことも気にしなくて済むんだろうか。
「高校の時、別に陽キャになりたかったわけじゃない。クラスで目立ってた陽キャのこと嫌いだったから。でも別に陰キャになりたかったわけでもない。ただ、周りに友達がいないのは寂しくて、志穂のとこに遊びに行ってたんだ。でも志穂は友達たくさんいたし、かわいいって有名だった。羨ましいって思った」
琥珀は時に相槌を打たないけど、黙って聞いている。
「私なんて親からも好かれてなかったし。志穂は親とも仲良かった。もし私が違う人で、志穂みたいな人間だったら、親との関係性も変わってたのかもしれない。いろんな友達と遊んだり、心から好きになって誰かと付き合ったかもしれない。その現実が突き付けられるのに、やっぱり普通の人みたいになりたいって思い立って急に行動してみたりしてきたけど、『お前はそういう人間じゃない』って呪いみたいに、急にうまくいかなくなるの。そしたら、持ってるもの全部を捨てたくなって、でも自分は何にも持ってなくて、自分のことがもっと嫌いになって、『なんで先生になろうと思ったんだっけ。そうだ、辻村先生に憧れたからだ。でも私はそんな風になれない』って思うの。だって、辻村先生が持ってるものを私は持ってないし、なろうと思ってもこんな自分じゃ無理だって心が折れるから。それでも今まで生きてきたのは、死にたくはないからなんだろうなって。そもそも人間が好きじゃないのかもしれない」
「…俺は」
琥珀がぽつりと言った。
「お母さんは、『早く寝てくれないかな』って思ってるだけだった。それ以外、なんの欲もなかったし・・・別に何かを食べたいと思ったこともなかった。でもお腹はすくから、あるもの適当に食べたり、母親が食べてたつまみみたいなのをこっそり食べたりしてた。それで・・・家に先生が来て『琥珀くんはちゃんとお家でご飯を食べてますか』とか言ってきたときだけ買ってきたご飯を出してくれたけど、別においしいとも思わなかった。・・・嬉しくもないし」
琥珀は、ひとつひとつを思い出すかのようにゆっくり話す。
「一回、お母さんが『ごみ捨てにいってくる』って言って、3日くらい帰ってこなかったことがあって・・・別に寂しいとも思わなかったけど、その時お母さんはお父さんのところに行ってて。でも・・・お父さんは違う女の人といたから、ねばってもダメだったのか、帰ってきたら泣きながらお酒を飲んで・・・飲む量も増えて、酔いつぶれて・・・吐き散らかしたのを掃除したりしてた。めっちゃ嫌だった。でも、辞めてほしくても暴れるし、誰かから言われてもこっそり飲んでたし、盗んだこともあった。お店の人に注意されて・・・捕まらなかったけど・・・。どうせ飲んでも暴れるし、それでも終わりがくるとも思ってなかったから耐えるしかなかった」
琥珀は私が思っていたよりも過酷な暮らしをしていた。
「でもなつめと会った時、助けてくれる人がいたんだって思った。痛くてお風呂も入れなかったときだった。汚いし、その時は学校に友達もいなかったし・・・近所の人も知ってたから。誰も近づいてこなかったのに、なつめは絆創膏くれた。次の日にいた時に『あの人だ』ってすぐにわかった。それで、『助けて』って思ってた」
気づいたら私は泣きながら聞いていた。
「そしたらお菓子をくれた。・・・おいしいって思った。あの人、今日は来るかなっていつも思ってた。なつめのご飯食べたときも、おいしい、また食べたいって思った。寒くても、痛くても、あの人が来たら楽になるって思っていつも耐えてた。そしたらいつも助けてくれた」
泣いている私を琥珀が見つめる。
「だから、なつめのことはすきだよ。陽キャとか陰キャとか俺はわかんないけど、俺は別にどっちでもいいし。一緒にいてくれるのがなつめならそれでいいんだ。おいしいごはんを作ってくれて・・・俺を助けてくれたから、俺もなつめのためにご飯を作りたいって思った」
綺麗な目で私を見ている。
私のことを好きだと言ってくれる人がいる。
これでいいって言ってくれる。
なら、今の私でよかったんだ。
私がテストの点数が高かった時も、先生に褒められた時も、学校を休んだ時も、両親はいつも「何で棗なんだろう」と言っていた。
肯定されたことも、褒めてもらったことも一度もなかった。
それでも、自分の家ができたとき、自分のために料理を作っていた。
してもらえなかったことを自分にすることで満足感を得ていたのかもしれない。
それでも、私は琥珀のためにご飯を作るのは嬉しかった。
「私たち、同じ気持ちだね」
私が言うと、琥珀は「うん」と言って笑った。
そのあとも朝までずっと話をした。
次の日、二日酔いになった志穂と篠田がどろどろの状態で家にやってきた。
「2人して忘れ物するなんて仲いいじゃん」
2人をからかうと、荷物と携帯をそれぞれ渡した。
「あれからすぐ寝たの?」
「さっきまで飲んでたよ。これから寝る」
「え。陽キャなの?パリピ…」
はっとした篠田に、私は
「陰キャでも陽キャでもどっちでもいいんだ」
と言った。




