真実
その後、朝礼を終えて職員室を出ると、市川くんがこちらに向かって歩いてきた。
「市川くん」
とっさに呼んでしまった。
呼ばれた市川くんも、驚いたような顔をして私を見た。
「・・・ちょっと来て」
実験室に市川くんを連れて行った。
「私に何か言うことある?」
「・・・」
でしょうね。絶対謝る気はないと思った。
「・・・宿泊研修のことなんだけど」
市川くんの目つきが変わった。
「絶対聞いてくると思ってた。行かないから」
「どうして?」
「行きたくないから」
「琥珀も行くのに?てっきり私とのこと監視でもするんじゃないかと思ったけど、あんたにとっては大しイベントじゃないんだね」
「行ったことないから知らない」
「私と琥珀、二人っきりになれる時間めっちゃあるんだけどなー」
「・・・殺す。まじで」
「本当の理由は?」
「俺のことばかにしたいだけでしょ?」
ばかにされるような理由があるということなのか?
一回も行ったことがないってことはそれなりの理由ということか。
「担任として事情を知っておかなきゃいけないの。嘘をつくことがあればご両親にも連絡しなきゃいけない」
「余計なことすんなよ」
「・・・わかった。私がご両親を説得する」
「だから無駄だって」
やっぱり、家庭の事情なんだ。
「ご両親が許してくれないんだね?」
市川くんが私を睨みつけた。
「だったら何?弱みでも握ったつもり?」
「市川くんの家、会社だよね。お金の事情とは思えないけど」
「うっわ。調べたんだ・・・きも」
「いや、調査書」
「何でも把握しないと気が済まないわけ?」
親が「何でも把握したい人」ってことか?監視でもされてるのか。
「市川くんは一人っ子?」
市川くんが舌打ちした。
「何で舌打ち?兄弟いるの?」
「もう喋んな。まじで殺す」
「申し訳ないけど、出席するはずだったのに本人が勝手に欠席したら問題になるの。ご両親に確認させてもらうね」
市川くんは椅子を蹴飛ばして実験室を出た。
今までの小学校の担任はどうしてたんだろう。
介入しなかったのかな。
朝のホームルームのために教室に行くと、みんなが一斉に私を見て静かになった。
なんだろう。いつもと違う。
ふと琥珀が視界に入った。
すると、琥珀がひらひらと携帯を振って私にアピールしている。
こっそり携帯を確認すると、琥珀からLINEがきていた。
「湊がなつめを殴ったのを見た人がいるって」
それは想定内だ。
もしかしたら、見ている人がいたかもしれないと考えはした。
あとは、どう話すかだった。
「どうやら、私が市川くんに殴られたという噂が広まってるみたいだね」
教室が一瞬静まり返り、すぐにざわざわしだした。
クスクス笑っている生徒もいる。
「何で殴ったの?」
「別れ話?(笑)」
誤解を解こうとするより、それっぽい理由を考えなくては。
「当事者二人ともここにいるけど、聞きたいことある人いる?」
教室は静まり返った。
まあ、聞いてくる人はいないだろう。
必死に頭をフル回転させる。
「本当に誰もいないの?こんな噂になったのに、気にならないの?」
また少し時間稼ぎをする。
そろそろ話し始めなきゃ。
「まず、密会してたという噂から説明するね。結論から言うと、私と市川くんは噂になることを狙ってました」
市川くんは茫然とした顔をしている。
顔に出てしまってはいるけど、口を挟んでほしくなかったからこれでいい。
「こないだ、たまたま市川くんと話す機会があったんだけど、お互い誰かに見られているのに気付いたんだ。それで市川くんが『俺たち付き合ってるって噂とか広まりそうですね』って言って。そこから、噂のせいで転校したり、辞職した先生がいるって話になった」
まだ足りない。パッとしない感じだ。
ちょっと不安も与えないところだ。
「最近悪い噂が広まるせいでいじめとか不登校とかが例年増えてるんだよね。うちの学校を担当してる教育委員会でも、かなり問題になってるんだ。もし状況が悪化すれば、私が退職することになる可能性があったし、市川くんが退学になったり不登校になる可能性も十分あったと思う」
現状報告として話す。
昔から懸念されてきた内容だ。嘘ではない。
「私も何年か前、嘘の噂を流されたことがある。で、市川くんもそうだって話になった。他にも悪質な噂がたくさん広まってる。そのせいで教育委員会の調査が入ったり、学校での制度がもっと厳重になれば、犯人に当たる生徒は簡単に炙り出せることになるよね。結果、生徒の個人情報が簡単に漏洩する可能性だってある。犯人を突き止めようとしたり、犯人じゃない人が巻き込まれたり。自殺、他殺の問題が起こった学校もたくさんニュースになってるよね」
これで背景は完璧だ。
・・・多分。
「市川くんは、今までの噂が辛かったって言ってた。今回私たちが付き合ってるだの、密会してるだのって噂になったことがわかって、私たちの今までの噂を消せるかもしれないって思った。だから、生徒に見られるまでの間、何度か空き教室に行って話をしてるんだ。さっきも空き教室に市川くんを呼び出して、あえて遅刻気味で先に戻ってもらったんだよね。市川くんは教室に入ったとき、効果あったなって思った?」
呼んだのは違う案件なんだけど、それっぽくなったかも。
市川くん、頼む。返事してくれ。
「俺が入ってきた途端、しーんってなったから。もう、ああ、ですよね・・・って」
私の時ですでに同じだったからほぼ確定だった。
ありがとう、市川くん。よく頑張ってくれた。
「まあ、みんなの反応だけじゃなくて、噂をされてるっていう証拠は得てるんだけどね。この噂のせいで前の噂は消されたってわかった。前の噂を知ってる人もいたはずなのにこんなに簡単に上書きされちゃった、ってことだよ。噂がどんだけくだらないかがわかるでしょ?」
「じゃあ、わざわざくだらない噂のためにここまでする必要あったんですか。しかも二人で」
そう言ったのは琥珀だ。
本心な感じもするし、ナイスパスとも言える。
「始まりはくだらないことかもしれないけど、ここまで広まってることに私と市川くんはかなり深刻性を感じてるからね。それに『二人だから』噂になったんだよ」
「今この噂を消せば、湊がゲイだっていう噂が再燃する可能性もあるってことか」
琥珀の言葉に、数人がクスクスと笑った。
「琥珀、俺と空き教室で会おっか」
笑いが起こった。
笑えないのは私だけだ。
「先生・・・あいつに殴られた話してください」
琥珀が呆れた顔をしながらつなげてくれた。
「そうそう。それでさ、昨日市川くんに私の忘れ物を取りにきてもらおうと思って、青山先生に伝言お願いしたんだ」
市川くんはきょとんとした顔で私を見ている。
私が何を話すのか、全く読めないようだ。
「昨日私が体調崩したのは本当なの。実はここ数日間、歯が痛くてさ。集中力切れちゃっててミスも多かったと思うから、それについてはみんなに申し訳なかったと思ってる。もう、あまりにもひどい痛みで眠れなかったし、痛み止めも効かなくなってさ。昨日はうっかりその歯をがちっと噛んじゃって、あまりの痛さに血圧が下がって倒れちゃったんだよね。早退したら歯医者に行こうって思ってた」
ずるいけど、自分の言い訳までできた。
市川くんは「何言ってんだ?」みたいな表情をして、眉間にしわを寄せて首を前に出した。
隣の女子に話しかけられた後「話なげえな」と言った。
誰のせいだと思ってんだ。
「市川くんがファイルを届けてくれたのはみんな知ってると思うんだけど、私たちも何人かと目が合ってる。で、『先生、それどうしたんですか?』って聞かれたの。歯が割れて、歯茎が腫れたせいで顔まで腫れてきてたから。そしたら市川くんが『俺に殴られたみたいですね』って殴ったふりをしたせいでざわついてるのが見えてさ」
「・・・それは非現実的すぎて信じられません」
琥珀が口をはさんだ。
「私もとっさに痛いほうのほっぺを押さえてたし。まさかとは思ったけど、さすがにここまで広まるなんて思ってなかったよ。どんなに非現実的でもこれが現実なの。市川くんなんて『逃げてんじゃねーぞ!』とかドラマみたいなことをデカい声で言いだしたとき、もう終わったかもって思った。目撃者が増えるのも怖くて逃げたよ(笑)」
数人笑ってる。
少しは信ぴょう性あるってことかな。
「そこまでする必要性がわからないんですけど、みんなをからかうためにふざけたってことですか?」
ちょっと怪訝そうに生徒が言った。
・・・お前、まさか。噂を広めた本人か?(笑)
「いやいや・・・ふざけてるのは、こんなくだらないことでも毎回噂を流す人たちだと思わない?で、その噂のせいでとうとう今日の朝礼で話題までなってる。私たちは殴られてないし、殴ってないのに。これはもう笑い話じゃすまない事態なんだよ」
ざわついてきた。
「ちょっと重い話になるけど、これ以上あることないこと噂を流す人達が増えた場合、法的措置を取る可能性も十分ある。名誉棄損でね。教育委員会の調査が入る可能性もある」
これは、志穂に噂を流されたときに森川達が言っていたことで得た知識だ。
「だから、私たちが今回こういう手段を取ったことは注意喚起の一環として考えてほしい。今、SNSでも誹謗中傷で法的措置を取った事例もあったし、自殺した芸能人もいたりして問題になってるよね。犯人探しになって個人情報が拡散されたりしたら、どうなると思う?だから、自分たちの身を守るためにもこれ以上問題が悪化しないように気をつけてほしい。これは、他のクラスにも周知するつもりです」
全身にめちゃくちゃ汗をかきながら、なんとか話している。
みんな、しっかりざわついている。
青山先生にはLINEしておこう。
ここまで来たら何が噂で何が本当かももう関係ないかもしれないし、錯乱するのも間違いない。
こうして私の渾身の作り話は終わった。
放課後になると、市川くんが職員室に来た。
「失礼します。白雪先生いますか」
「あ。市川くん、いつものところにいて」
市川くんがいなくなると、教員たちがこっちを見た。
「白雪先生、今の市川って生徒と噂になってると聞いたんですけど・・・」
よくぞ言ってくれた。
「あ。その件なんですけど・・・別の噂から生徒を守るためにでっちあげた噂なんです。あの子を守るためにも、先生方の中でもかなり問題になっていると注意喚起してくれませんか」
「殴られたっていうのが本当なら大問題ですよ。ご両親を呼んで話をしたほうが」
「私は一切殴られてません。ちゃんと生徒たちに説明しました。申し訳ないのですが、他の生徒達のためにもご協力いただけますとありがたいです」
職員室を出た。
青山先生が追いかけてきた。
「ちょっと、白雪先生。大丈夫なの・・・?」
「ほんとに殴られてないんです。市川くんは人前でそういうことをするような生徒じゃないんですよ」
「そうじゃなくて・・・」
「あ、私は大丈夫です。こうやって心配してくれる人もいますから」
青山先生にはいつか本当のことを話そう。
とりあえず今は、私の話を信じてくれる人を増やしたい。
いつもの空き教室にいくと、市川くんがいた。
「何であんな」
「しーっ。声小さくして」
「・・・何であんなくだらない嘘ついたの」
「くだらないっていうのは失礼じゃない?」
「・・・まあ、そうだけど・・・」
素直だ。
「それについて謝る前に、まず殴ったこと謝ってほしいんだけど」
しーん(笑)
「・・・まあ、いいよ。私も噂のせいで嫌な思いしたことあるし、いつか生徒たちに警告したかったんだよね。いい機会になったと思ってる」
「何で俺を庇ったの?」
「自分のためでもあるだけ。謝れって思ってるし、謝ってすらくれないし、めっちゃ腹立ってるよ。琥珀に嫌われたいなら撤回するけど」
「・・・」
「琥珀の誤解も解けるんだから感謝しな」
「・・・ありがとう」
「やっと謝る気になった?」
「・・・」
めっちゃ頑な~。
むかつく~。
「じゃあ・・・宿泊研修行けない理由は話す気になった?」
「・・・しつこ」
「借りは返してもらうよ」
「・・・」
市川くんが椅子に座った。
向かいに私も座る。
意外と誰も来ない。
噂の効果だろうか。
きっともう少ししたら、あえて見に来る人もいるだろう。
でもそのうちみんな飽きるだろう。
あっという間に飽きるくせに、噂話だけは記憶に残る。
くだらない。
時間が過ぎていく。
市川くんは誰かに見られてないかも気にしてるようだ。
私も手元をごそごそしながら、とりあえず待ってみる。
「・・・俺、本当の子供じゃないんだよね」
とうとう市川くんが、なかなか深刻なことをぽつりと言った。
「・・・ご両親は?」
「・・・多分死んでる」
さらに深刻性が増した・・・
「・・・急に親がいなくなった時、誰も警察に言わなかった。で、死体も見つかってないし、捜索願も出されてないし、結局夜逃げ扱いされて終わった。俺は子供だったし、何もできなかった。そのあとに今の両親が会社を継いで、俺は養子になった」
「・・・」
「で、血が繋がってない姉がいるんだけど、俺にベタベタ触ってくるし、ちゅーしたりしてきた。嫌だから避けてたら、あいつ『俺に襲われた』って言い出して、あいつらに監視されるようになった。そっからあの女が俺をいじめるようになった。今の家族は・・・全員クソだよ」
・・・これは・・・
なんて声をかけたらいいんだ。
「で・・・小学生の時なんだけど、起こされて気づいたら警察署にいたことがあったんだよね。最初は寝てる間に親が連れてきてるんだって思ってた。でも、そのあとも同じことが起きたから聞いたら、警察署の人がびっくりして『自分で来たのに覚えてないの?』って言い出した。『君は自分の両親がいなくて、殺されたかもしれないから捜索願を出してくれって言ってたんだよ』って。で、『今日もご両親に連絡したからね』って言われて、『親はなんて言ってましたか』って聞いたら『君の言ってることは嘘だから取り下げてくれってあきれてるようだったよ』って言われた。そのあと親が迎えに来た」
「それって・・・」
「・・・で・・・帰ってから、めちゃくちゃクソ親にぶん殴られた。『お前は会社を潰す気か』って。でも記憶がないから泣きながらそう言ったらどっかの病院に連れてかれて、夢遊病だって言われた。そっから俺は毎晩監視されてる」
____聞いてるだけで辛くなってくる。
夢遊病という病名は聞いたことがある。
某アニメで出てきた病名で、実話だと思ってなかった。
本当に存在する病名だったんだ。
「小学校の時に助けを求めたら転校させられたし、俺が話した先生は学校辞めさせられた」
「・・・今もまだ良くなってないの?」
「うん。小学生の間は手足縛られてたよ」
「そこまで・・・」
「毎日わざと漏らしてるうちに縛られなくなった」
「・・・」
『わざとだから」
・・・強調されると怪しく感じるのはどうしてだろう。
「今は部屋から出たらセンサーが反応する」
「日中はどうしてるの?」
「中学の時、どえらい台風が来て学校から帰れなくなったことがあるんだよね。他の親は迎えに来たりしてるのに、うちの親からは学校にしつこく電話が来てさ。『うちの子、何か変なこと言ってませんか?』とか。俺が『無視してください』ってお願いしたら、捜索願まで出された。おかしいと思ったのか、家に先生とかなんかいろんな人が来てから昼間は好きにしていいって言われた。怖いから昼寝とかもしてないし、先生に言ったりしたらどうなるかわかんないから誰にも言わなかった」
____今までどんな思いで過ごしてきたんだろう。
想像以上で、怒りとやるせない気持ちだ。
なんて声をかけたらいいのか本当にわからない。
「・・・どうして私に話してくれたの?」
「・・・話したくなったから。ずっと誰かに話したかったし、助けてほしかったよ。琥珀に話して嫌われるのが怖くて、琥珀には言えなかった。小学校の時転校して会えなくなったけど、中学は奇跡的に一緒になれたから、もっと言えなかった」
「小学校のときから琥珀と・・・仲良かったもんね」
「琥珀は俺に興味なかったし、俺のこと詮索してこなかったから」
「そっか。楽でもあったんだ」
「・・・うん。まあ、そういうことだから。琥珀は理由も知らないけど、修学旅行も行けないってことはわかってると思う。もし担任が変わったらそいつがまた俺に聞いてきて、親にも連絡されるんだろうけど適当に言い訳するんじゃないかな」
「今までどうしてたの?」
「会社がうまくいってないとか、体が弱いとか」
それでも私には話してくれたってことか。
「宿泊研修、行きたい?」
「・・・」
「どうせ無理だろうって思ってるもんね」
「・・・うん。親が二人とも行方不明になってるから・・・もしかしてと思ったら怖くて」
市川くんは時計を見た。
「今日は何も用事ないってことになってるからもう帰らなきゃいけない」
私と琥珀と夜に会った時はどうしてたんだろう。
今まで私と琥珀を監視してたときは?
でも、聞くのは今じゃない。
「うん、わかった」
「じゃあね、先生」
市川くんはリュックを背負うと、小さな声で
「ごめんね」
と言った。
ここで、私は決意した。
「・・・市川くん・・・私に話してくれてありがとう。市川くんが私に話したことで、市川くんが救われる第一歩になれるようにしたい」
そっと、市川くんの手を握った。
「先生・・・」
「私を信じてほしい。じゃあ、また明日」
そして「明日」になった。
市川くんの母親から連絡があった。
市川くんが交通事故にあって意識不明だ、とのことだった。




