脅迫と挫折
その日の放課後、市川くんは私を呼び出した。
黙っている条件として私を脅すつもりだろうか。
もちろん、一瞬は動揺した。
「知っている」と事実だけを伝えられたことで、噂を流されたトラウマが蘇った上に、あれこれ勝手な憶測をしてしまうからだ。
でも、琥珀には知られないようにし、「私だけに」報告したことに意味がある。
直接話す必要があるのは間違いない。
こちらから呼び出すよりも好都合だ。
私は空き教室に行くことを提案し、一緒に移動した。
「話って何?」
「・・・聞かなくてもわかるでしょ(笑)」
「もったいぶる必要はないんじゃない?呼び出したのは市川くんなんだから」
「教師のくせに、生徒との距離がおかしいと自分で思わない?」
市川くんが蔑むような目で私を見て言った。
そうですね、と言うわけにはいかない。
まずは否定から入る。
「昔から知っているっていう点ではあまり思わないかな」
「でもそれを知らない人はどう思うだろう」
「疑われてもおかしくないとは思う。まあ、言い訳をするとしたら、一線は越えてない」
「じゃあ言い訳をしないとしたら?」
「距離が近いと思われるなら気を付ける」
「気をつけるじゃもう済まないから。度を越えてるって思わない?」
「別に疑われるようなことはしてないつもりだけど」
「家にも出入りしてるのに?普通じゃないよ」
尾行と監視か。普通じゃないのはどっちかな。
「数年前の話だし、うちにある荷物を取りにきたりもしてるから」
「そんな弁解、誰が聞いてくれるんだろうね(笑)」
「勝手に噂でも流せばいいものを、わざわざ言ってくる目的はなんなの?」
「俺の大事な友達を危険から守りたいだけ。で、あんたは教師生活と琥珀を守れるからいいでしょ?」
「まず市川くん、学校では先生って呼びなさいね」
市川くんが笑った。
「自分の立場わかってんの?」
「立場とか関係ない。礼儀は守ってもらう」
「俺を煽ってんの?噂を広めてもいいわけ?」
「勝手にすれば?まあ、噂が広まれば琥珀に疑われるだろうけど」
「・・・」
「何で琥珀も一緒に呼び出さないの?当事者なのに」
「・・・」
「琥珀は察しがいい子だから、私に対する態度が変わってたらどう思うだろうね」
「・・・」
黙って私をにらみつけている。
予想通りだ。
琥珀に知られないように私を遠ざけたいのだけが目的だ。
「で、そこまで私と琥珀の関係に執着する理由は?」
「大事な友達からあんたを引き離すため」
「大事な友達」という程度ならここまではしない。
「先生、って、呼びなさいね。もう忘れた?」
「うっせーないちいち。偉そうにしないでよ」
「もし私がこの会話を録音していたらどうする?もし私が噂なんて気にせずに、市川くんに言われたことを琥珀にばらしたら?」
「・・・は?」
「私はあんたが怖いんじゃなくて、琥珀を守りたいという市川くんの気持ちを尊重しようとしてるだけ。だから琥珀のために距離をとれというなら応じるだけなの。それだけは履き違えないで。本来は私と琥珀のことなんて、他人のあんたには関係ないの。舐めた態度を取るようなら応じないから。身の振り方を考えなさい」
つい、まくしたててしまった。おとなげなかった。
「友達を守りたいだけ」という薄っぺらい説明だけを受けお前のくだらない感情だけを理由に琥珀から私を遠ざけるというやり方。
勝手に疑って噂を広めればいいものを、お前のくだらない感情のために脅迫まがいなことをする。
それはこちらからの脅しの材料にもなるのにね。
甘いんだよ。クソガキが。
まあ、仕方がない。
琥珀を手に入れたい。自分だけのものにしたい。
でも、琥珀に嫌われたり、自分が琥珀を傷つけることは絶対したくないのだろう。
他に方法がないということだ。
「・・・琥珀は何でこんなやつを・・・」
市川くんは小さく舌打ちをした。
生徒や教師がほとんど通らない空き教室を選んだはずだったが、生徒が通りかかった上にこちらを見ている。こいつの身の振り方によっては噂になる可能性もあるが、どうみても楽しい雰囲気ではないことはわかるはずだ。
まあ、でも今はいい。少し待つか。
「琥珀といつ知り合ったの?」
「お前が会う前から」
「そうなんだ。じゃあその時から友達だったんだね」
「そ。お前なんて大した年数じゃないよ(笑)」
「自分のほうが仲がいい、相手を知っている」という優越感。
出会ってからの年数は市川くんのほうが長い。
この間わざわざ女友達を紹介したのも、琥珀には全く興味がないことを知っているからだ。
でも、琥珀にとって一番近い存在は私で、私に対する好意にも気づいている。
琥珀に対する執着、愛情、独占欲のうちのどれか。
優越感を超えた感情をコントロールできなくなったのだろう。
まあ、それをはっきりさせることまでは必要ない。
中学も同じとは聞いたが、小学校もだろうか。
過去にあの辺に住んでいたか、今も住んでいる可能性もある。
「琥珀の家庭環境も知ってるってことだよね」
「まあ、それはなんとなくだけど」
なんらかのきっかけで知った上で仲良くなったのか。
同情か、もしかしたら共感か。
「もし私か琥珀に盗聴器とかカメラとか仕掛けてるなら、業者に撤去を頼むつもりだけど」
「は?」
「一線を越えたことはないって言ったと思うけど、会うからには家の外なんてもっと気を配ってる。一切誤解されるようなことはしてないはずだから、もしかしてと思って」
「そんなことしなくても俺にはわかるから(笑)」
私の家の近くに住んでいる、もしくは高い頻度で備考、監視している。
執着強め、といったところか。
まあ、これも今ははっきりさせる必要はない。
「市川くんって、琥珀が何のバイトするか知ってる?」
「えっ、バイト先まで行くつもり?こわっ(笑)」
「本人に聞かないために市川くんに聞いただけ」
「・・・」
「父親とうまくいってるのかな」
「何?俺にわざわざ聞くことで余裕ぶりたい?」
「私が関われないなら、何かあるときは市川くんしかいないでしょ?」
「・・・頼まれなくてもわかってっから。じゃあもう話は終わり?」
「LINE教えて」
「は?なんで。やだけど」
「連絡取らずに私をどう監視するつもり?」
「監視って何?人聞き悪くない?」
「私はどうやって琥珀と接触してないって証拠を説明するの?」
「トーク消したり、こっそり電話したり、あんたならやりかねないもんね(笑)」
「だからLINE教えてって。好きなときに家に来るなり、ビデオ通話するなり、証拠送れだの言えばいい」
「そんな程度なわけね」
「安心した?」
「いや?やっぱり俺は正しいって思っただけ」
愛情も独占欲もかなり強め。
言葉にちりばめられて、琥珀への感情を私に伝えたいほどの想い。
異性である私なら余計に、敵意があってもおかしくない。
でも市川くんには琥珀を傷つける気が一切ない。
なら、私は市川くんを敵だと思うつもりもない。
まあ正直なところ、距離を置いたくらいで琥珀の気持ちが離れるとも思っていない。
「琥珀と毎日LINEしてんの?」
「逆にどうなの?」
「俺はほぼ毎日LINEしてる」
「そうなんだ。私は琥珀から来たら返すだけ」
私をなめてる仕返しのマウントだ。
頻度の高さでは勝ってるでしょうね。
でも琥珀が自分からLINEするなんて、私だけだろうから。
「琥珀のことブロックしな」
「それは無理」
「は?」
「そんなことしたら私に会いに来ちゃうよ?いいの?」
「は?お前殺すよ?」
「私の家に出入りしたら琥珀が危ないから、それを避けたいんじゃないの?キレる必要ある?本当に琥珀のこと守りたいと思ってるなら身の振り方考えなって」
「・・・まじで、何でそんな強気なの?」
「私、何も持ってないの。怖いものも、失うものも別にない」
「はっ(笑)だから従うしかないってわけね。かわいそ(笑)」
嬉しそう。
自分が私たちの関係を支配してるとでも思ってるんだろうね。
「できないことは、いくつかある。担任の変更と国語担当の変更。これは私の力ではどうにもならない」
「じゃあ引っ越しは?」
「そんな大掛かりなこともできない」
「じゃあ出禁で」
「それはそうだね。すんなり受け入れるかどうかは別として」
「・・・琥珀って女の趣味悪いんだな」
「あんたに私の良さを理解してもらわなくてもいい(笑)」
「まじであんたのどこがいいんだか」
「やけに女に対する偏見が強いね」
「女っていう生き物がクソだからね」
「主語が大きいこと。引っ越しかあ・・・アリっちゃありだけど、通勤面倒になるんだよな」
市川くんはしばらく黙ったあと、鋭い目で私をにらみつけた。
「何?」
「・・・まじで軽い気持ちで琥珀に接してたんだね。クソビッチが。軽蔑するわ」
今度は罵倒してくるわけね。
あっさり条件を飲んだせいもあるだろうな。
あとは今の私の発言が、自分を正当化できる材料になったから?
庇護欲から来る正義感?
「まあ好きに解釈して。先生って呼ぶ気がないなら私もあんたに対する態度考えるね」
「もっと気の弱い女だと思ってたわ。まあ、琥珀をもてあそぶようなクソ女だもんね」
他人なら引っ叩いてるところだな。
まあこんなことに時間を費やしたくない。
この辺でもう話を終わらせよう。
「じゃ。お先に」
私が出て行ったあと、机か椅子を蹴る音が聞こえた。
琥珀への気持ち以外にもなにか事情があるのか。
今日の朝、家庭環境調査票を回収したことを思い出し、職員室に戻ると市川くんの書類をちらっと見た。
市川くんの両親はどちらも記載されている。片親ではない。
勤務先、緊急連絡先が二人とも「市川重工」だ。
親が会社を経営しているのか。
______もういい、私には関係ない。
距離を考えなきゃいけないのは事実だ。
私が憤りを感じるのは違う。
ちょっといいビールを買って家に帰ると琥珀からLINEがきていた。
「バイト受かった」
「おめでとう。頑張ってね」
「どこだと思う?」
聞かないつもりが、逆に聞かれてしまった。
そして追いLINEが来た。
柴の子犬が「会いたいです」と言って泣いているスタンプだ。
・・・何をしているんだろう、私は。
必要とはわかっているのに、怒りが湧いてしまう。
ほっとけよ、私たちのことなんて。
こんなにお互いを思いやりながら我慢してるのに、どうして邪魔が入る?
どうしてみんな引き裂こうとしてくるの?
私が教師じゃなくて、琥珀が生徒じゃなきゃよかったのだろうか。
いや、でも学校に行けば琥珀に会えるんだ。
それでいいじゃん。
それ以上望むものがある?
今までだってわかってて教師として生きてきたんだから。
「琥珀、これからは家に来るのはやめよう。しばらく距離を置きたい」
琥珀は「わかった」と言うはずだ。
先に理解して距離を置いたのは琥珀なんだから。
「なんで?」
「やっぱり、今担任になったからには今まで以上に気をつけたい」
自然な言い分だ。
「距離を置いてきたのは今までだってそうだよね」
あれ?
「うん」
「じゃあわざわざ俺に言おうと思ったのはなんで?」
「なんか、今まで以上に不安になっちゃって」
「俺は不安にさせるようなことをしたつもりないよ。俺とLINEしたくないから控えるつもりだから」
そうだよね。
琥珀。
琥珀は離れていても助けてくれた。
LINEだって今まで未読にしてきた。
LINEしたいって言ったのは私の方なのに。
森川とだってLINEしてたし、って自分に言い訳して。
これ以上なんて言ったらいいのかわからない。
自信があった。
LINEしなくたって大したことないって。
でも、連絡を取りたかったのは私の方だったじゃん。
私が不安なんだ。
琥珀と距離を置いたら、私にはもう家族はいないから。
でも私の勝手な、わがままな言い分でしかない。
教師としては失格な理由だ。
どうしたらいい?
なんて返事したらいい?
「家にもいかないから安心して」
涙が出そうだ。
あんなに強気で向かっていったくせに。
本当はいなくなることが怖い。
そうしろって言ったのは自分なのに。
でも、噂になれば今の生活を続けられないのも事実だ。
市川くん、これで満足でしょ?
私から一番大切なものを奪って。
他人の関係性に首突っ込んで、ぶち壊して。
楽しいでしょ?
なんのために教師になったんだっけ。
琥珀と同じクラスになったら毎日会えるって?
そんなの不純な理由でしかない。
こんなことをしてたら、志穂と一緒じゃん。
どうせ人から好かれたり、生徒のためになるような授業をしてきたわけじゃない。
私に向いている仕事ではない。
もう教師なんてやめてしまいたい。




