転機
あれから数か月が経った。
森川は高3になり、私は22歳で、今年も担任だった。
もう3年目だが、相変わらず歳を聞いてくる生徒もいる。
「30」と言ってみたり、「プライベートな話はしません」とか言っているうちに生徒と完全に壁ができてしまった。
これでいい。無駄な関係性は必要ない。
森川が来る前にさっさと職員室に戻るようになり、森川との会話も減っていった。
ほぼ人と会話をせず、スーパーに寄って帰宅する。
ビールを飲み、たまに近くのカラオケに行く。
会話がなくても授業で声を出せるようにするためだ。
まあ、もともとカラオケは好きだ。
しらふでは行きたくならないのに、酔うと歌いたくなる。
どうしてなんだろう。
休みの日は昼まで寝ていたり、部屋の掃除をしたり、通い始めた習字教室に行ったり、料理をして過ごしている。
そう過ごしていくうちに充実感が芽生えていった。
あれから、琥珀に連絡をしても返信が来ることはなかった。
おそらくブロックされているのをいいことに、メモ代わりに使っている。
琥珀から返信が来るのを気にするのであれば、メモを見て思い出せばいい。
誰かに連絡することはないが、たまに森川からクソゲーの勧誘が来たり、面白い話が送られてきたりしていた。
もちろん既読無視だ。
でも一度だけ返信をした。勧誘されたクソゲーを始めて、ライフを送った。
すると、楽しそうな顔の桃の口から顔を出して「Yummy!!」と言いながらカレーを食べている猫のスタンプが送られてきた。
なぜ桃は自分の口から猫が出ているのに楽しそうなのか。
どんな気持ちで猫はカレーを食べて「Yummy!!」と言っているのか。
なぜ口の中でカレーを食べようなどど思い立ったのか。
もちろん既読無視した。
クソゲーはその日のうちにアンインストールした。
篠田から「元気?」や「志穂と別れた」などど返信が来た。
返信がなくても数日後にまた来るのでスタンプを送ったり、「元気」とだけ返していた。
そのあとは記憶がフラッシュバックして中学時代のことを考えたりしていた。
楽しい記憶ももちろんあったが、篠田からキスされたりしたことを思い出すこともあった。
昨日はあやからも連絡が来ていた。琥珀の噂を聞いたらしい。
よりを戻したいとも言っていたが、どう返事したらいいのかわからない。
仲を取り持つ気もない。
お互いが付き合いたいと思ったら付き合えばいい。
そんな中、今日は授業がない時間があった。
どこかの授業でも見学しようかと職員室を出ると、今年から正職員で勤務している英語担当の桐沢先生が、森川と楽しそうに話していた。
桐沢先生はいつもカーディガンにスカートを合わせていて顔もかわいいので、もちろん男子生徒からかなり人気があった。
噂ではファンクラブがあるらしい。
そんな桐沢先生が森川を気に入ってることは有名な話だ。
そもそも森川はバカキャラに加え、お調子者でそれなりにモテると相澤くんが言っていた。
桐沢先生は25歳らしい。歳は近いが、私よりキャピキャピして見える。
私といつも話していた雰囲気と違い、ただ笑っているだけの森川がおもしろい。
ちょっと頭良さそう(笑)
横を通り過ぎようとすると、「あっせんせー!」と言いこっちに来た。
いやいや何でこっちくるんだよ。まだ話してたでしょうが。敵を増やすんじゃないよ。
桐沢先生は特に表情を変えることもなく職員室に戻っていく。
「せんせー大丈夫?」
「何が?(笑)別に大丈夫だよ」
「最近話しかける暇もなくいなくなっちゃうから」
「忙しいだけだよ」
本当は、森川達と話すことで女子グループが冷たい視線を向けてくることに今は耐えられないのだ。
感情が揺れるすべての出来事から離れたい。
ただ授業だけやって、誰ともかかわらずに自分の仕事を全うして帰ってビールを飲む。
それでいいのだ。
楽しい瞬間があるということは、辛い瞬間を思い出すきっかけにもなる。
それなら感情を無にすればいい。
「琥珀がいなくなって寂しい?」
そんなことわざわざ聞いてくんな。
「んー別に」
「嘘だね。琥珀にLINEしてるくせに」
「なんであんたにそんなことわかるの」
「連絡取ってるの?って聞いたらLINE来てるって言ってたから」
ブロックされたんだと思ってた。
最後に送ったメモは「炊きっぱなしの米を捨てる」だ。
もし見ているならため息をついているだろう。
「中学でせんせーとのこと噂になってるって妹から聞いた。だから今は距離取ってんでしょ?」
周りの噂のせいで琥珀と連絡すら取れなくなるなんて。
一番腹が立つのは志穂だけど、それにしても他人のことなのに噂をして何が楽しいのか。
「琥珀は元気そうだよ。めんどくさいやつもいるらしいけど。男子が特に噂してるから一人を徹してるけどめんどくさい女子が話しかけてくるらしい。彼女と別れたのもあるらしい」
「・・・くだらないよね。他人のことなんてどうでもいいはずなのに」
「そう思ってないから琥珀と離れたんじゃないの?」
うるさいな。
「ちょっと教師のプライベートに突っ込みすぎじゃない?」
「先生、俺のこと避けてない?」
「もう戻んな」
「たまに声かけてほしいって琥珀に言われてるし、俺は冷たくされても話しかけるけどね」
「・・・」
琥珀は離れていても気にしてくれてる。
それにしても、こいつともちょっと距離が近すぎるのは事実だ。
子どもに、しかも自分の生徒にそんなこと言われるなんて。
「俺は先生の変な噂流したりしないし、ちゃんと一線置いてるよ」
一線は置くものじゃなくて引くものなんだけどね。
「一線を飛び越えようと思ったことないし」
「越える」じゃなくて「飛び越える」なんだ。
たしかに森川って飛び越えそうだもんね。
「調子狂うわ」
「・・・フレンチクルーラー?てか先生、ただでさえ友達いないんだから俺との友情大事にしなよ。生徒が先生を選ぶのが許されるんだから、せんせーだって自分の好きな人を大事にしたらいいだけじゃん。俺とかね。どうせ噂とか気にして俺を遠ざけようとしてるんだろうけどさ、俺いなくなったら先生ぼっちだよ?」
失礼すぎん?てかめっちゃ勝手に語ってくる。
「嫌いな人を大事にしなきゃいけないこともあるかもしれないけど、噂だのなんだの気にしたり、嫌いな人のために労力を使って嫌な気持ちになるなんてクソ無駄なことじゃない?そんなことに振り回されたら人生楽しくないよ、せんせ」
森川に諭されそうな雰囲気になっている。
「森川は人に嫌われたりするの、怖くないの?」
「別に?楽しければいいかな」
気にしないって意外と難しい。
気にしないようにすることにまず労力が必要だ。
「今俺のことバカだなって思ったでしょ(笑)」
いやずっと思ってるけど(笑)
「人生一回なんだし、嫌な思いをして過ごすとか時間の無駄じゃん。向き合う必要もないし。だから楽しいことを見つけてなるべく楽しいことをして生きていけばいくだけ。俺は今世そうやって過ごすつもり。来世はイケメンな猫になって金持ちの家で一生食っちゃ寝したいし。ジェリーみたいな友達作る」
「猫の友達作れよ。てか人生二回設定してんじゃん」
「まあ俺はジェリーと喧嘩しないよ?食べ物盗ませて一緒に食う」
「食い意地」
こういうやつだからみんなに好かれるんだろうな。
私なんかに話しかけてくれるようなやつだし。
「とにかく俺は異性だからって媚び売ったりするやつより、せんせーに「あんた」とか言われてるほうが楽しいって思ってるよ。だから俺の楽しみ奪わないでね」
森川がそう言い残して、無駄に早く走って行った。
だろうな。
絶対あいつ授業抜け出してきてる。
森川が琥珀と仲がいいことで、琥珀が元気だと知ることができた。
森川みたいになりたいと琥珀が言ってたことがあったけど、ちょっとわかるかもしれない。
本当は感情に振り回されたくない。
自分の人生にだけ責任を持ちたい。
いろんな場所で楽しいことを見つけたい。
大事な人だけ大事にして生きていきたい。
今まで出す感情と、出すべき場所が間違っていただけだ。無にする必要なんてない。
無駄なものを除外すれば大切な感情だけが残るはずだ。
琥珀のことは大切にしていたつもりだ。
だから、お互いのために離れたことは必然だったんだ。
好きだと言ってくれた琥珀を大切にして、楽しいと言ってくれる森川と会話を続ける人生でいい。
嫌なことからうまく逃げたり、気にしないようにする訓練をしよう。
篠田に返信するのはもうやめるつもりだ。
連絡を取るたびに不快な感情が湧くのは無駄なことだ。
記憶から消すことはできなくても、思い出すきっかけから遠ざかることはできる。
あやには
「お互いに頑張ろうね」
と返信して終わった。
私を好きだと言ってくれた琥珀を裏切ったり、あやを傷つけるようなことはしたくない。
琥珀に連絡をするのもやめた。
いなくなった寂しさを埋めてもらおうとしていたのは間違いだった。
琥珀はわかっていて返信をしない。
だから「ずっと好きだ」という言葉を残してくれた。
私よりずっと大人だ。
その気持ちを尊重しなければならない。
森川はわかってくれているからきっと琥珀のことは報告してくれるはずだ。
相談できる人も、自分を正解に導いてくれる人も私にはいないけど、これからゆっくり探せばいい。
なんだか気分が軽い。
そうだ。いつか髪をバッサリ切りたいと思っていた。
美容室を予約しよう。
今までは黒髪のロングから変えたことはなかった。
思い切ってミディアムくらいの長さにしてみよう。
思い切って新しい美容室を予約した。
メモ代わりの琥珀とのトークに「11時美容室」と送った。
もちろん既読は、当日になってもつかなかった。
これでいい。わざわざやめる必要もない。
琥珀に当てたメッセージでもないし、これでいいんだ。
美容室は家から近い。
もともとパン屋だったらしく、クリーム色の壁に茶色の屋根でかわいらしい外観なのが気になっていた。
「予約していた白雪です」
「やっぱり!」
対応してくれた受付の女性で、一人の男性が振り返った。
「白雪さん」
え、誰?
「覚えてる?」
この覚えていませんと言わんばかりの「間」でわからないのか。
「俺香山だけど」
いや誰だよ。
いや、待てよ。
高校の時、私の席にボールをぶつけてペンケースを落とした不良かも。
でも髪は違うし、髪がピンクだし・・・顔もよく覚えてない。
こんな顔だっけ。
「お前は親友だ」とか言って実は黒幕だった韓国俳優みたいな顔をしている。
「高校の時一緒のクラスだったんだけど」
確定だ。キュイン。
なぜ香山くんを覚えているかと言うと、香山くんの下の名前は「ケン」だ。
「香川県」と書くところをつい「香山県」と書いた生徒が続出したからだ。
「香川くん・・・?」
「いや香山だし!」
「あっ」
逆パターンをやってしまった。
「『シラユキ ナツメ』って見て、絶対そうだと思ったんだよね。
てか変わってないね!こちらにどうぞ!」
お前が切るんかーい。厄日なの?
「今日はどんな感じにしますか?いろいろ聞きたいけどまず接客からやるわ!」
いやなんも聞かないでくれ。
「カラーって書いてたけど何色にする?ピンクどう?」
何でお前とお揃いなんだよ。勘弁してくれ。
「もしかして坊主にする?(笑)」
ボケへたくそかよ。
「カラーメニューは二種類あるんだけど」
「ネットに載ってた外国人風みたいなやつ」
「まじか!外人っぽくなりたいの?」
帰ろうかな。
「どんな色にする?」
「このホワイトベージュがいいな」
「まじか。おすすめの色があるんだけど」
ピンクとか言ってきたら舌打ちしよう。
「このちょっと透明感あるアッシュどう?白雪さん色白だし、白っぽいよりも黒っぽいほうが顔がくすんで見えないと思う。一回ブリーチしたほうが綺麗なグレーっぽい感じになるけどどうかな」
「・・・じゃあそれのブリーチなしで」
「かしこまりましたァ!カットは?毛先傷んでるから、あまり切りたくないとしてもこの辺まで切ったほうがきれいに伸ばせると思う!」
「肩くらいにしたい」
「髪がハネやすくなるけど、あえて外ハネでもいいと思うし、内巻きにセットしてもいいと思う。顔細めだから外ハネにしたり、ちょっと巻いて横にボリュームだしてもいいかも!」
「お願いします」
「おっけー!じゃ切っていきます!」
ちゃんと美容師なんだな。
どうしてもイメージが輩だけど。
「俺のこと覚えててくれたんだね!」
「だって香山くん、ヤンキーで目立ってたし」
「そうかな?周りがそうだっただけじゃない?でも意外と真面目に就職したやつばっかだよ」
「いや。キャッチボール?とかしてたじゃん。授業中なのに」
「え?あー!てか白雪さんの机にボールぶつかったことあったよね」
そうだよ。謝れ謝れ。
「あれさ、やったの山崎なのに俺が行かされてさ。最悪だった」
え、お前ではない・・・?
山崎って誰だっけ。
「俺あのときさあ、白雪さんかわいいって言ってたんだよ」
え。
「それで、あいつら面白がって『席交換してくれって代わりに頼んでこい』とか『宿題見せてもらって俺にも教えろ』とか言われて。でもあの事件のせいで俺話しかけられなくなってさ(笑)」
そうだったんだ。
話しかけられた記憶はほぼ香山くんだから覚えてたんだ。
えー。辻村先生が怒ったからじゃなかったんだ。
「山崎に本気でキレた記憶がある。笑って流されたけど」
「もし今日ここにきてなかったら私、一生香山くんのこと嫌な印象しかなかった・・・」
「だよね~!(笑)あいつのせいだから」
「てか、ボールぶつけたこと覚えてたんだね」
「俺じゃないしぶつけたんじゃないから!(笑)山崎が『ボール投げるから拾ってもらえ』って言ったんだけどペンケースに当てるつもりはなかったらしい。なのに俺が行かされてさ。もう嫌われたなって思って辛かった(笑)」
そうだったんだ・・・・
「ごめん、何も知らなかった」
「いや、悪いのは俺らだし。悪ふざけが過ぎたんだよ。でも、後ろの席だったら白雪さんのこと眺められるからラッキーだった」
そっか。そうだったんだ。
今日来てよかった。知れてよかった。
悪いことばっかじゃなかったんだ。
私のことを見てくれている人がいた。
嫌なイタズラをされたと思ってた。違ったんだ。
香山くんの右手の薬指には指輪が光っている。
わざわざ聞くつもりはないけど、今となっては幸せだといいなと思える。
「白雪さん、今何の仕事してんの?」
「高校教師だよ」
「まじ!?えっろ!」
いつもと違うリアクションが来た(笑)
「『もう、赤点だよ・・・?先生の家で補習ね・・・?』とかある?」
「いや、ないってわかるじゃん。ばかじゃないの?(笑)」
「やー教師かあ。ぴったりじゃん」
「そうかな」
「でも白雪さん、字汚いよね(笑)黒板の字読めなさそう(笑)」
「今習字教室通ってる」
「えっろ!!」
こいつバカだろ。なんでもいいんか。
私を好きだったという人のところにあえて通うつもりはない。
今日が最初で最後だ。
でも、今日は来てよかった。心から思う。




