琥珀との別れ
陸翔くんと別れてから数か月経っても話題に出てくるほど私たちにとっては強烈な印象だったらしい。
私は陸翔くんに洗脳、支配されていたのだと志穂は言った。
「てかさ。あんたのこと依存症だと思ったことないよ。うちら」
琥珀が作ったつまみを食べながら志穂が言った。
「よかった。すぐに寝ちゃってたからそれも悪かったんだけどね」
「うちらの時は寝ないじゃん。そういうことだよ。桃山の話がつまらなかったか、ストレスだったか」
「そもそも会話ってそんなになかったかもしれない。いつも洋画見てたし」
「私も寝る自信ある」
「篠田と連絡取るなって言われた。今思えば志穂の彼氏なのに普通に連絡取っちゃってたなって思う」
「別に私は気にしないよ」
「俺嫌われたんかって思ってたけどそういうことだったのね。なーんだ」
篠田が私の携帯についているキーホルダーを見ながら嬉しそうに言ったが、すぐに表情を曇らせた。
「てか治療代請求したら?ケガさせといてやばくない?訴える?」
「いや、そこまでしなくていいよ。下手に刺激したくない」
「なんか腑に落ちねえな。地獄に落としたい」
「あのクズとまだ関わらなきゃいけないより縁を切るのが正解だと思う」
琥珀も話に入ってきた。
手に持っている携帯には私と同じビールのキーホルダーがついている。
前についていたガラス製だとまた割れる可能性があるからと、今度はプラスチック製のキーホルダーになっていた。
瓶ビールの横にビールが注がれたグラスがついていて、なかなか気に入っている。
「君たちはどうしてもお揃いにしたいのかい」
篠田があきれたように言う。
「変な男がつかないように」
琥珀が言うと、「それは彼氏のセリフだよ」と志穂が言った。
「彼女とはお揃いにしないの?」
「え、琥珀って彼女いたっけ」
私が言うと、琥珀が冷めた目で私を見る。
話聞いてないな、こいつ。みたいな顔。
「ごめんごめん。てか彼女いるならお揃いやめたほうがいいじゃん」
「なんで?関係あんの?」
琥珀の言葉に志穂が「えー?」と不満そうにした。
「私なら自分の彼氏が異性と住んでてその人とお揃いのもの持ってたらやだな」
「なら彼女とのお揃いもあればいいの?」
「やだ~何言ってんの~?彼女のこと大事にしてあげなよ」
「大事にって?」
「特別扱いしてあげなよ~。これじゃあ棗が彼女みたいじゃん」
「まだわかんないでしょ。でもそろそろ考えないとだめだよ」
篠田が言ってビールを飲み干した。
「桃山ってやつも琥珀くんのことを異性として警戒してたわけでさ。歳上だの歳下だの関係なく、距離感気をつけないと誤解されるよ。今後もそれは付きまとうんだから」
篠田の言葉に、琥珀が何か言おうとしたときだった。
志穂の携帯に着信が着て、志穂は外に出た。
琥珀は「風呂」と言って脱衣所に行った。
篠田がため息をついたので篠田を見ると、ビールを飲み干した。
「志穂さ、男と連絡取ってんだよね。今の電話もそいつかも」
「え、そうなの」
「仕事終わりに待ち合わせしてて、待ち合わせ場所に向かったら男の名前呼んで電話してた」
「そうか・・・携帯見たりした?」
「してない。でもゴムの数が減ってた」
「それって」
「いやでも数え間違いかもしれないし・・・わからん。別れよっかな」
「え?まだ確定じゃないんだからそんな」
「お前も別れたしさ」
「ん?それは何の関係があるの?」
「中学の時に俺ら別れたのって志穂のせいだよ」
「え?」
突然キスされた。
え?
「お前の噂を流したの。志穂が」
いや、それよりも今のは。
え、てか志穂がなんで?
え?いやいや。え?
「こないだ坂本に再会して、元中の飲み会に行ったんだけどさ。志穂からお前が他の男と浮気してるって聞いたって話になった」
「そ・・・」
言葉が出てこない。いろいろ急すぎて情報処理が追いつかない。
それでも篠田は畳みかけるように話してくる。
「帰ってから志穂に聞いたら、最初は覚えてないとか言ったけど、結局羨ましくて魔が差したって言ってた。言うなって言われたけど。お前は許せる?」
羨ましさで私たちを別れさせたってことか。
志穂の噂のせいで篠と距離を感じたんだ。
キスを拒んだからじゃなかったんだ。
「俺は、あのとき浮気されたんだと思って辛かったけどやっぱり許せなくて別れようって言った。でも浮気してんのか直接聞くのが怖くてさ。してないって言われても嘘だろって思っただろうし、したって言われるのも怖くて。でも浮気したっていう割にそいつと仲良さそうなのも誰も見たことなかったし、俺はずっと引きずってた」
「それは・・・」
「あと、俺、志穂とホテル行っただけで何もしてない。志穂が飲み過ぎて帰れないって言うから、何もしないって条件で行った」
「いや、それは嘘だよね。てか別にどっちでもいいけど」
「嘘じゃないから」
「いやまじで。ほんとにまじでどっちでもいい。でもその時言えばよかったんじゃない?」
「空気的に無理だし、ホテル行ったのにヤらないやつとかいる?」
「いや。だから言ってる(笑)」
「でも何もしなかったんだよ。俺寝ちゃって志穂がキレたくらい」
じゃあ志穂に聞けばわかるってことか。
でももうどっちでもいい。
あの時それが証明されたからって、付き合っていたとは限らない。
「もうお前と別れて、浮気野郎になったからにはどうでもよくなって志穂と付き合った。正直、桃山と付き合うって聞いたときはどうかと思ったけどすぐに別れると思ってたし」
「え。陸翔くんのこと知ってたの?」
「あいつメンヘラ製造機で有名だったし」
え・・・・?
「何で知ってたのに言ってくれなかったの・・・?」
とっさに言うと篠田が何か言おうとして、悲しそうな顔をしてやめた。
「暴力振るわれてもいいと思った・・・?」
「違う!そこまでとは思ってなかったし、ただの噂だったかもしれないし」
篠田が話している最中に志穂が戻ってきたので、それに対して私が言い返すことはなかった。
私たちの雰囲気が変だったのか、志穂に「どうしたの・・・?」と言われたのでビールを飲んで篠田と普通に話すしか選択肢はなかった。
篠田の飲むペースも上がっていく。
それにしてもこいつは何なんだ・・・?
ずっと私を好きでいて、浮気もしていなかったってことか・・・?
でも志穂と付き合った。
でもそれは、浮気を否定できなくて諦めたから。
それが今回、志穂が浮気したかもしれなかったからこうなった・・・?
仕返ししたくてキスしたの?
志穂との浮気の次は利用・・・?
いや、浮気はしてないって本人は言ってる。
しかも別れさせようと噂を流したのは志穂・・・?
あの時から好きだった?
じゃあ何で連絡先を教えてきた?
「なつめ?」
琥珀がビールを持って隣に座ってきて、手渡してくれたので我に返った。
「なしたの」
「なんか変なんだよね、棗」
志穂が肩をすくめて言った。
いや、どの口が・・・?
でも別に、あの時つらかったわけじゃない。
魔が差しただけで、私よりも篠田を好きな志穂にそんなにキレる必要はないのかもしれない。
でももし、私が篠田を本気で好きだったら私はどうなっていたんだろう。
私だけが噂を知らなかったわけで。
再会したときどうなっていたんだろう。
思考を遮るように着信がきたので携帯を見ようとして、慌てたせいかうっかりビールにぶつかってしまった。
「わっ」
転がるビールの缶をキャッチし、うつぶせで琥珀の膝に着地する。
ついでにウエットティッシュを探した。
「はい」
琥珀が自分の隣にあったウエットティッシュをテーブルに置いたので「ありがとー」
と言うと、琥珀と目が合った。
笑いかけたが、琥珀は表情を変えない。
同時に、琥珀の膝にうつぶせになっている私のお腹に一瞬何かが当たった。
その瞬間、琥珀が私をそっと起き上がらせて、ウエットティッシュでテーブルを拭いてくれた。
今のって。
とっさに琥珀を見ると、無表情でテーブルを拭いている。
ただ、耳は赤かった。
これはまずい。
「棗、ぼーっとしてないで拭きなよ」
「ごめん」
篠田が私の顔をじっと見ていたので、自分の顔が赤くなっていることに気づいた。
「あっつい。飲み過ぎたかも」
ごまかしてビールを取りにいく。
篠田がトイレに行ったので少しほっとした。
ウエットティッシュを捨てに来た琥珀が、
「ごめん」
と小さな声で言って手を洗った。
なんて言ったらいいんだろう。
気にしないで?
仕方ないよ?
違う。
私が何も考えていなかっただけだ。
悪いのは私だ。
「ごめん」
琥珀に言い残して戻った。
謝らなきゃいけないのは私だ。
ずっとこのままの関係性だと勘違いしていた。
問題なのは、どきっとしてしまった私でもある。
これはなんなのか。
特別な感情なのか。
それを考えるなら、この先のことを考えなければならない。
どきっとしたきっかけがあまりにも悪すぎる。
関係性が変わることは、あってはならない。
でも、あるはずがないと錯覚していた。
志穂と篠田は結構酔っているのが救いだった。
「そしたら智弘さあ『それ好きなやつの気が知れん』とか言い出したじゃん。こっちは好きで食べてるんだからさ。嫌いなら食うなよ。わざわざ嫌いだってアピールすんなよって思ったからキレてさ」
「なまこの本来の姿見たことある?って言ったじゃん。あれ見たら食えないよって」
「私だってうなぎ食えんし」
「それは好みじゃん」
「でも私は嫌いなとこをプレゼンしたりしないし」
「ねー棗はどう思う?」
「すぐ棗、棗って。浮気野郎」
「それはお前だろ」
「は?」
静まり返った。
空気が一変してしまった。
どうして次から次へと。
感情が追い付かない。
「何で急にキレてんの?」
「着歴見せな」
「何で?」
「男と連絡取ってんだろ」
「自分だって棗に『ちゅーしてごめん』って送ってたよね?」
「は・・・?いや、お前人の携帯見んなよ」
「じゃあお前も人の携帯にぐだぐだ言うなよ」
待て待て。
私に「ちゅーしてごめん」って送ったって?
それを見られた?
「篠田にちゅーされたの?」
琥珀が私の隣に座って言った。
志穂も私を見ている。
「いや、事故というか」
「事故じゃない。俺は浮気もしてない。あの日は何もしてない」
「ヤッたじゃん」
「お前さ、何でわざわざ嘘つくの?」
「嘘じゃない」
「中2の時に噂流したのもお前だよな。棗が浮気したから別れたって。さっき棗とその話をした。俺は許せないから」
「は・・・?ばかなの・・・?言うなって言ったじゃん」
「俺は言わないなんて言ってないし、浮気もしてない」
「そんなのどうやって証明すんの?(笑)」
「じゃあ噂流してないってどうやって証明する?お前が嘘つきなら誰がお前を信じるんだよ」
「なつめにちゅーしておいて志穂さんにどの口で言ってんの?」
琥珀の言葉に2人が黙った。
「で?志穂さんが棗の噂を流したって?あんたらなんなんだよ」
「琥珀くんには関係ないから」
「琥珀は悪くないよね」
つい、言ってしまった。
志穂が私をにらむ。
「私たちのこと応援するふりしてキスしたんだ。最低」
「いや俺からしたから」
「いや、棗が拒めばいいじゃん。モテる私、かわいそう。みたいな?(笑)」
怒りがわいてくる。
「・・・自分はどうなの?私の噂流して、人の彼氏取っておきながらどんな気持ちで今まで私といたの?」
「被害者ぶんなよ(笑)」
「冷静になんなよ。こっちは被害者だよね。なんで噂流したの?」
「過去のこと掘り返す必要ある?」
「あるよね。ここに当事者全員そろってるんだよ。篠田も悲しんでた」
「いや俺はキレてる」
「はっ(笑)仲いいですね。私と付き合ってる間も浮気してたんじゃないの?」
「お前が嘘ついたりしなければそもそも俺は棗と別れてない」
志穂は泣きそうな顔になった。
「帰るわ」
もちろん、引き止めるつもりはない。
「待てよ志穂」
「・・・なに」
篠田に引き止められて、志穂は泣きながら篠田を見る。
「ごめん」
だめだ。キレそう。
「まずあんたら、なつめに謝るべきなんじゃないの?」
キレる前に琥珀が言ってくれた。
「勝手にちゅーしただの、嘘ついただの、昔ありもしないことを周りに広めただの。2人が解決して済む問題じゃないよね」
「ガキは黙ってなよ。棗のこと好きだもんね。かばえて満足?」
「それは関係ない」
「あるよね。中学で問題になり始めてるって聞いたよ」
「噂を流したのが志穂さんってこと、俺は知ってるから。もともと今日言うつもりだったよ」
「証拠は?」
「証拠うんぬんはどうでもいい。これ以上なつめを傷つけないでくれれば」
「はいはい。純愛純愛(笑)棗のこと性的な目で見てるの、誰が見てもわかるよ(笑)」
つい、志穂の頬を叩いてしまった。
「なにすんだよ!」
もちろん叩き返された。
「琥珀は関係ないからひどいこと言うのやめて」
「関係ある」
琥珀がそう言って私の頬を触ろうとして、やめた。
「なつめが好きなのは本当だから。でも出てくつもりだから安心してほしい」
「え」
「もう父親には連絡してある」
「え、え、まって」
「さっき連絡したから」
「何で・・・?何で・・・」
琥珀がまっすぐ私の目を見る。
泣きそうになるくらい、やさしくて綺麗な目だ。
「だから、なつめが好きだからだよ。正直、親とか思ったことは一回もない。公園で会った時から今までずっと好きだから。志穂さんが噂を流してうちの学校で噂になったのがきっかけかもしれないけど、そうじゃなくてもいつか俺はなつめに手を出してしまうと思った」
さっきの出来事が頭をよぎる。
「そんなことになったら、なつめは仕事を辞めなきゃいけなくなる。だから出ていく」
「・・・そんな」
「きっかけになったから噂を流してくれた志穂さんにはある意味感謝だね。別に俺は怒ってない。普通のことだから。でも、なつめを傷つけたから志穂さんのことは許さない。手を出した篠田も許さない」
琥珀が篠田をにらむ。
「・・・それはごめん」
「俺は我慢してきた。一緒にいることを大事にしてた。あんたとなつめが付き合った時も、悔しかったけど俺は子供だし仕方ないと思った。でも、再来年には中学校を卒業する」
琥珀が無表情で、それでもやさしい目で私を見る。
「早く高校を卒業したいよ。大人になりたい。でも今は無理だから」
涙が出てくる。
どこかではわかってたのに。
決断するのも私であるべきだったのに。
守るつもりだったのに、いつの間にか守られてしまっていた。
この時点で保護者失格だ。
泣くことしかできない私を見て、琥珀はやさしく笑った。
「離れてもずっとなつめが好きだから。俺がおとなになるまで待ってて」
「だからってこんな急に出てかないでよ。今日じゃなくたっていいじゃん」
「今日にするつもりはなかったんだよ。でももうここで言っちゃったから。無理だなって思った」
「何もしないし、距離を取るって約束したとしても?」
「俺はそんな約束しないし、距離を取ることはできない。だから言ったんだよ」
「やだ」
「俺だってやだよ。でも仕方ない」
琥珀が寝室に行って、荷物を取って出てきた。
「いないときに他の荷物は取りにくるから」
「いる日でいいじゃん」
「なつめ、ばかなの?」
「・・・」
「ばいばい、なつめ」
琥珀が出ていった。
なんの前触れもなく、突然出ていった。
志穂に噂を流されて、どんな気持ちで過ごしていたんだろう。
普通のことだって言ってた。
たった一人で受け入れていたんだ。
私が何も考えてない間に、琥珀はずっと考えてたんだ。
私が思っているよりも琥珀はずっと大人だった。
私のことまで考えてくれていた。
こんな私を好きだと言ってくれた。
その気持ちは絶対に無駄にしない。
琥珀だって傷ついたはずだ。
「2人とも帰って。もう会うこともないと思う」
「棗、話そう」
篠田が言った。志穂は黙っている。
「もう話すことはない。昔の私の噂だって、私は傷ついてない。ただ、人としてやっちゃいけないことだよね。篠田が私にキスしたことも、私は受け入れたつもりはない。二人が私への罪悪感を感じないように仲良くしてただけ。中学で噂を流されても、私は気にしてないけど、琥珀のことを考えると許せないから」
「私もなつめが許せない」
志穂がにらむ。
「私、あんたに何かしたっけ。叩いたこと?」
「そういうとこ、ほんと嫌いだった」
「他に言うことは?ないなら帰って」
「むかつく!ほんとむかつく!」
二人が帰って行った。
特に涙も出なかった。
昔、志穂も教師になりたいと言っていた。
「イケメンの生徒にちやほやされたい」という、不純な動機だった。
結局教員試験は落ちた。
欲だけで、実力不足だったのだ。
あの時、私は高校で人気者で友達がたくさんいた志穂に勝った気持ちだった。
専門に行ってもいろんな友達と遊んでいた志穂に比べて、
私はひたすら実力を磨いたつもりだったから。
篠田と付き合ったのも、ただ自分を好きだと言ってくれるのが嬉しかったからだ。
その気持ちを利用して、高校の時にできない経験を積みたかった。
陸翔くんだってそうだ。
だから私も最低だった。
この関係性はいつ壊れてもおかしくない、脆くて嘘で汚れたゴミくずだったのだ。
それを大事にしているのがいいことだと思っていた。
ドラマで長年の友達がいる主人公をずっと羨ましく思っていた。
でも、もういらない。
本当に志穂が浮気したのか、噂を流したのか。
本当はホテルでヤッたのか、ヤッてないのか。
もうどうでもいいし、確かめる必要もない。
友情の本来の姿を確認するきっかけをくれた、ほんの小さな出来事にすぎない。
友情も、羨望も、感情も、いらないものは全部捨てるだけ。
この先生きていくのに不要だと、身をもって知った。
これからは二度と手持ちに加えなければいい。




