サラリーマン脱出(コメディ)
私の名前は野中 誠一。
狸穴商事に勤めるごく普通のサラリーマン。
ビルの11階で業務に励む。
仕事はデスクワークの社会保険事務。
今は年末調整の書類発送準備をしている。
ふ、と。
作業の手を止め、壁にかかった時計を見る。
17時53分。
もうすぐで定時。
残業はしない主義だ、片付けよう。
作業は残っているが納期まで一週間以上あるし、今のペースなら2日で終わる。
明日に回しても問題ない。
しかし。
ここからが私にとっての勝負所。
私物をカバンに詰め、心を落ち着かせ、その時を座して待つ。
5……4……3……2……1……
『キンコーン キンコーン』
18時。
終業のチャイムが鳴り響く。
それと同時に席を立ち、挨拶をして部屋を出る。
気を緩めてはならない。
まずはトイレ……に行くのを我慢して階段で1階分降る。
なぜトイレに行かないのかって?
それは同僚とのバッティングがあるからだ。
「今日も疲れた」から始まり、雑談に変わり帰るのに時間がかかる。
話すのは嫌いでは無い。
むしろ好きだが定時以降には勘弁して欲しい。
それを避けるため10階まで降りるのだ。
そうしてトイレに行く。
……ふぅ。
出すもの出した後の、
緩んだ気持ちを引き締める。
なぜなら10階には打ち合わせスペースがあるからだ。
部長など遅くまで打ち合わせをしているのを見た事がある。
鉢合わせたら面倒くさい。
あらかじめ社内システムで
打ち合わせ予定を確認している。
常識であり必須な戦略だ。
だが安心は出来ない。
なぜって?
立場が上の人たちは、予約せずにスペースを使う事が多いからだ。
あれはどうしてなんだろうな?
いや、それはどうでもいい。
足音を殺して静かに進む。
そうして辿り着くエレベーターホール。
だが乗らない。
ここは10階。
私が業務するフロアと1階しか変わらない。
エレベーターで同僚と鉢合わせたらどうする!?
なので敢えて、エレベーターホールの上ボタンを押してから階段を使うのだ。
そうすれば猶予が出来る。
階段は、今度は3階分降りる。
到着するのは7階だ。
というのも8、9階は社員食堂があるからな。
残業する連中は大体ここで英気を養っている。
巻き込まれたら溜まったもんじゃない。
7階はシステム管理フロア。
顔見知りが居ないから、見られても問題ない。
だが。
そんな私の気の緩みが伝わったのか。
システム部長と、ある人物が、歩きながら来るのが見えた。
……っ!
社会保険の事務マネージャー!?
なぜここに……いや、今はそれどころではない!
見つかれば話に巻き込まれる可能性がある!
っ! あれだ!
私はたまたま来ていた、
配達業者の荷物に隠れながら歩みを進める。
業者が変な目で見てくるが、今だけは許してくれ!
そうして。
無事やり過ごす事が出来た。
……危ない所だった。
仕事は臨機応変というが、人の動きも臨機応変だ。
もう、気を抜くことはない!
そのままエレベーターホールに向かい、下のボタンを押す。
今度は乗るのだ。
だが1階には行かない。
2階のボタンを押し、そこで降りる。
1階こそ魔境。
立場なく誰もが入り乱れる伏魔殿。
いつ、その波に飲まれるか予測不能な混沌の地。
私は、非常階段を使うのだ。
静謐で、しかしながらドッシリとした非常階段は、
私の心も守ってくれる。
まさに聖域。
ここまで来たなら勝ち確だ。
……さっき誓っただろう。
気は抜かないと! 思い出せ私!
一歩一歩、確実に段差を降り、ビルの1階に着く。
そして向かうは裏口、
物品搬入に使われる通用口だ。
私にとってはエデンへの道。
守衛に軽く挨拶をし……。
外へ……出た……っ!!
……ふぅ。
ここでようやく、左腕に着けた腕時計を見る。
18時07分。
いつもより2分遅いが及第点。
トラブルがあったからな。
けれど、これで私を縛るものから脱出できたのだ。
解放され足取りは軽い。
これが私の帰宅ルーティン。
さぁ、帰ってゆっくりして、明日も頑張ろう。




