第9章 ― 白銀の記憶、眠りから醒める ―
夜の街は、まだ昼の戦いの余韻を抱えたままだった。
ビルの明かりは戻ったものの、
破壊痕が黒い影のように地面にこびりつき、
時折吹く風が、崩れたコンクリートの粉を舞い上げる。
蓮はE.O.D本部の医務室で、
白い天井をぼんやり見つめていた。
身体は痛い。
だが、それ以上に心が重かった。
“半身――”
リエナが告げた言葉が、耳の奥にこびりついて離れない。
(……どういう意味なんだ……?
俺は……フェンリルの……何なんだ……?)
ベッド横で、医療機器の電子音が規則正しく響く。
その音が妙に遠く感じられた。
戸を叩く音がした。
「入るぞ」
志乃と矢守が入り、
蓮は上体をわずかに起こした。
「……ああ、二人とも」
志乃の顔は心配に染まり、
矢守は腕を組んだまま深く息を吐く。
「蓮くん……あなた、また意識が途切れて……
どうして、あんな無茶を……」
「無茶しなきゃ死ぬだろうが。
……いや、今回は特に危なかった」
蓮は目をそらす。
(……守るためだった。
ただそれだけなのに……)
志乃は少し黙り、
慎重に言葉を選ぶように言った。
「蓮くん……
街の人、あなたのことを“巨獣”だと……」
「わかってる」
蓮は硬い声で遮った。
「見た目だけじゃなくて……
俺自身の中でも……
フェンリルが……強くなってる気がするんだ」
矢守の眉が動いた。
「強くなってる?」
「……俺の考えより早く動いたり、
俺じゃない“怒り”が湧いてきたり……
あれって……俺なのか……?」
言った瞬間、
蓮の胸に冷たいものが落ちた。
志乃は息を呑み、
矢守は沈黙したまま目を伏せた。
そして――
部屋に新たな足音が響いた。
澄んだ靴音。
どこか緊張感をまとった存在。
リエナだった。
白銀の狼は見当たらない。
彼女一人の気配は、逆に異様なくらい静かだった。
「蓮。話さないといけないことがある」
志乃が驚き、矢守が構える。
だが蓮は、
その声に“覚悟の気配”を感じ取っていた。
「……聞くよ」
リエナはゆっくりと歩き、
蓮の前に立った。
夜の灯りに照らされて、
彼女の瞳は深い青にきらめく。
「蓮。
あなたが“フェンリルの半身”だという意味……
本当は、もっと早く伝えないといけなかった」
蓮は息をのむ。
志乃も、矢守も、静かに耳を傾けた。
リエナは続けた。
■ 1. 選ばれたのではなく、呼応した
「蓮。
あなたが巨大化したのは、地球があなたを選んだから――
そう言ったわね」
「ああ……」
リエナは首を横に振った。
「正確には違うの。
“選ばれた”のではなく――
あなた自身が地球に呼応した。」
蓮の心臓が跳ねる。
(呼応……?
じゃあ……俺が、勝手に……?)
リエナは優しいけれど鋭い目で蓮を見る。
「あなたは昔から、気づいていたはず。
“誰かの痛みが、自分の痛みのように響く”って」
蓮は言葉を失った。
幼い頃からそうだった。
困っている人、傷ついた動物、
そして――震えるような大地の音。
他人には聞こえない微かな震動が、
蓮には“声”のように感じられることがあった。
(……まさか……あれが……)
リエナは頷く。
「そう。それが“共鳴”。
あなたと地球とのつながりは、
災獣が出る前から続いていたの」
■ 2. フェンリルの半身とは
蓮は震える声で尋ねた。
「……じゃあ……
“半身”って、どういう……ことなんだ?」
リエナは静かに手を掲げ、
指先で淡い光が揺れた。
「蓮。
ビースト・フェンリルはね――
地球が昔から持っていた“守護の意志”が形になったもの。
でもその力は強すぎて、
永い年月の間に二つに分かれた」
蓮は息を止めた。
「ひとつは、獣の姿のフェンリル。
もうひとつは――
人として生まれた“あなた”」
蓮の心臓が早く打つ。
「俺が……フェンリルの……
もう一つの姿……?」
「そう。
あなたは“半身”。
フェンリルは“半身”。
二つがそろって初めて、本来の力になる」
矢守が驚愕を隠せない。
「蓮が……神獣の……分身……?」
志乃も震える声でつぶやいた。
「そんな……
それってもう……人間じゃ……」
リエナは首を振った。
「違うわ。
蓮は人間。
ただ――
地球に最も近い心を持つ人間だった。
それだけ」
蓮は胸を押さえた。
(……俺は……
そんな存在だったのか……?)
だが同時に、
胸に暗い影が落ちる。
(じゃあ……
フェンリルに飲まれるのは……当然なのか?
俺は……人間じゃなくなるのか……?)
リエナは蓮の心の揺れを見抜き、
そっと近づいて手を触れた。
「飲まれないで。
蓮が蓮でいられるのは、
あなた自身の意思のおかげよ」
その言葉は温かった。
温かいはずなのに、
蓮の目の奥が熱くなった。
■ 3. 白銀の狼の正体
蓮は言葉を搾り出した。
「……じゃあ、あの白い狼は……?」
「フェンリルの“核”。
本来の姿の断片よ。
あなたが暴走しそうになった時、
あれが引き戻している」
蓮は拳を握る。
(……あの白狼も……俺の……?)
リエナはゆっくりと微笑んだ。
「ええ。
あれは……あなたにとって“兄”のような存在でもある」
蓮は驚いて目を見開く。
「兄……?」
「あなたが生まれる前から地球を守り続け、
そしてあなたを待っていた“もう片方”。」
蓮の胸が熱くなる。
(……俺は……ずっと一人だと思ってたのに……)
志乃はそっと蓮の肩に手を置いた。
「蓮くん……
一人じゃないんだね……」
矢守も静かに頷く。
「お前が戦ってたのは……
自分と、自分を守ろうとする存在か……
やっと意味がわかったよ」
蓮は深く息をついた。
心の奥で、
白銀の静かな風が吹いたような気がした。
■ 4. 出現する新たな影
だが、リエナの表情が急に変わる。
真剣。
強い。
そして――“恐怖”の色を含んだ目。
「蓮。
あなたに伝えたのは、まだ半分。
本当の核心は……
“災獣の正体”にある」
蓮は顔を上げた。
「災獣は……大地の瘴気から生まれたんじゃないのか?」
「違う。
瘴気は原因じゃない。
ただの“症状”。」
蓮の背骨が冷たくなる。
「じゃあ……災獣を生み出してるのは……誰なんだ?」
リエナはゆっくりと告げた。
「蓮。
災獣を生み出しているのは――
地球そのものではない。
“外側”の意思よ。」
蓮は息を呑む。
「外側……?
何の……?」
リエナは、深い闇の底に手を伸ばすような声音で言った。
「“彼ら”が来る。
災獣を送り込んでいる、
地球外の黒い意志――
《アバターズ》が。」
部屋の空気が止まる。
蓮の心臓が、
一つ強く跳ねた。
(アバターズ……?
地球の……敵……?)
リエナは視線を蓮に向け、
恐ろしく静かな声で言った。
「蓮。
あなたがビースト・フェンリルとなった理由――
それは災獣を倒すためだけじゃない」
蓮の胸が熱くなる。
「じゃあ……俺が戦う“本当の敵”は……」
リエナは――はっきりと言った。
「アバターズ。
あなたの力を恐れ、
最も警戒している存在よ。」
蓮の運命は、
この瞬間から大きく動き出した。
――第9章・完。




