第37章 ― 名を呼ばぬまま ―
それは、
大きな破壊ではなかった。
だが――
確実に、
人の生活を削っていった。
■ 小さな崩壊
住宅街の一角。
夜明け前、
影が一瞬だけ現れ、
消えた。
被害は、
電柱一本。
家屋一軒の半壊。
死者は、
いない。
だが――
翌日も、
別の場所で起きる。
次の日も。
「……最近……
多くない?」
誰かが、
そう呟く。
■ 遅れ
E.O.D現場。
警報は鳴る。
部隊は出る。
だが――
間に合わない。
「……影の消失が……
早すぎる……」
「……初動が……
読めない……」
誰も、
口にしない。
だが――
全員が、
同じことを思っていた。
“前なら、防げた”
■ 市民の実感
避難所。
毛布に包まれた女性が、
小さく言う。
「……前は……
来てくれた……
よね……?」
隣の男性が、
視線を落とす。
「……今は……
来ない……」
言葉は、
それ以上続かなかった。
呼んではいけない名が、
空気に滲む。
■ 封じられた名前
テレビ。
コメンテーターが言う。
「……過去の事例と比較すると、
被害抑制率は……」
グラフ。
明らかに、
違う。
だが――
理由は、
説明されない。
説明できないから。
■ 山の上
蓮は、
遠くの街を見ていた。
赤い警告灯。
救急車の音。
《……見テイルダケカ……》
フェンリルの声は、
抑えきれない苛立ちを含む。
「……今……
行ったら……」
《……人ハ……
死ヌ……》
「……行ったら……
もっと……
混乱する……」
白銀の鼓動が、
軋む。
■ 囁き
SNS。
小さな投稿。
――「……あの白いの……
最近……
見ない……」
――「……いた頃の方が……
マシだった……?」
すぐに、
否定がつく。
――「危険だろ」
――「暴走したやつだ」
だが――
完全には、
消えない。
一度知った
“違い”は、
忘れられない。
■ 名を呼ばない理由
志乃が、
端末を見つめて言う。
「……名前を出した瞬間……
また……
責められる……」
矢守が、
低く頷く。
「……だから……
“比較”だけが……
残る……」
関守博士が、
静かに言った。
「……不在は……
証明になる……」
■ フェンリルの問い
夜。
焚き火の前。
《……蓮……》
フェンリルの声は、
静かだった。
《……呼バレテイル……》
「……名は……
呼ばれてない……」
《……違ウ……》
白銀の鼓動が、
微かに強まる。
《……必要ト……
サレ始メテイル……》
蓮は、
黙ったまま、
炎を見つめる。
(……必要だから……
戻るんじゃない……)
■ 再び、選択の前へ
遠くの街で、
また一つ、
影が現れる。
小さく。
素早く。
まるで――
“守護者がいない世界”を
人に教えるように。
蓮は、
立ち上がった。
まだ、
行かない。
だが――
行く時は、近い。
白銀の鼓動が、
確かに、
その時を刻み始めていた。
――第37章・終。




