第36章 ― 守れない距離 ―
夜明け前の空は、
驚くほど静かだった。
街は、
何事もなかったかのように眠っている。
だが――
蓮にとって、
そこはもう戻れない場所だった。
■ 逃亡
山中の旧トンネル。
湿った空気。
崩れかけた壁。
「……ここなら……
しばらく……」
矢守が、
息を整えながら言う。
追跡ドローンは、
数キロ後方。
完全に振り切れたわけではない。
志乃が、
蓮を見る。
「……眠れてる?」
蓮は、
小さく首を振った。
「……目を閉じると……
街の音が……
聞こえる」
■ 不在の世界
同じ頃。
都市部。
影性反応が、
複数箇所で検知されていた。
だが――
対応は遅い。
「……前なら……
もう……」
E.O.D現場班の一人が、
呟く。
だが、
名前は出ない。
呼んではいけない存在になったから。
影は、
小規模な被害を残し、
去っていく。
まるで――
“いないこと”を
確かめるように。
■ 距離
蓮は、
山の上から街を見ていた。
遠い灯り。
あそこに、
人がいる。
《……行ケ……》
フェンリルの声は、
抑えきれない苛立ちを含む。
《……今ナラ……
誰モ……
止メラレナイ……》
「……行ったら……
守れなくなる」
《……何故ダ……》
「……俺が行けば……
“脅威”として……
人が逃げる……」
白銀の鼓動が、
歪む。
《……矛盾ダ……》
「……そうだな」
■ 守れないという現実
その夜。
遠くで、
火の手が上がった。
小規模な影の顕現。
蓮は、
一歩前に出る。
志乃が、
腕を掴んだ。
「……行ったら……
戻れなくなる……」
蓮は、
歯を食いしばる。
(……今なら……
間に合う……)
だが――
彼は、
動けなかった。
白銀の力が、
沈黙する。
守れるのに、
行けない。
それが、
何よりも――
重かった。
■ フェンリルの苛立ち
《……理解デキナイ……》
フェンリルの声が、
荒れる。
《……守ル力ガ……
アルノニ……》
「……力だけじゃ……
守れない」
《……人ノ理屈ハ……
不合理ダ……》
「……だから……
壊れやすい」
沈黙。
白銀の鼓動が、
小さくなる。
■ 崩れていくもの
数日後。
ニュース。
『影性災害、対応遅れで被害拡大』
『専門家不足が原因か』
誰も、
“名前”を口にしない。
だが――
画面の隅で、
白銀の影を思い出す者はいる。
期待して、
裏切られたと思い込んだ者も。
■ 孤独の自覚
夜。
蓮は、
一人で座っていた。
焚き火の音。
《……蓮……》
フェンリルの声は、
少しだけ低い。
《……オ前ハ……
苦シンデイル……》
「……ああ」
《……ナラバ……
何故……
続ケル……》
蓮は、
しばらく黙っていた。
やがて――
静かに答える。
「……俺が……
やめたら……
本当に……
誰も……
立たなくなる」
白銀の鼓動が、
わずかに強まる。
■ 守護者のいない夜
街は、
今日も眠る。
守護者が、
いなくなった夜。
それでも、
朝は来る。
だからこそ――
蓮は、
立ち続ける。
遠くから。
近づけない距離で。
それが今の、
彼に許された
唯一の守り方だった。
――第36章・終。




