第32章 ― 届かない手 ―
異変の兆候は、
小さすぎるほどだった。
都市圏から外れた、
山間部の集落。
人口は少なく、
監視網も薄い。
「……影性反応……
レベルは……低……?」
志乃が、
端末を見つめる。
矢守が、
眉をひそめた。
「……低すぎる……
これは……
“前兆”じゃない……
“すでに始まってる”」
蓮は、
黙って立ち上がった。
「……行く」
■ 非公式初動
車両は、
正式ルートを使えない。
旧道を選び、
灯りを落とす。
「……公式支援は……
期待できない」
玲奈司令官の声が、
無線に乗る。
「……空からの確認も……
できないわ」
蓮は、
短く答えた。
「……わかってます」
フェンリルの気配が、
胸の奥で揺れる。
《……遅イ……》
「……ああ……」
■ 集落
現地に着いた時、
空気はすでに――
変質していた。
静かすぎる。
犬の鳴き声も、
風の音もない。
「……嫌な感じ……」
志乃が、
小さく呟く。
地面に、
黒い染み。
影が、
染み出した跡。
関守博士が、
低く言う。
「……局所顕現……
だが……
“点”じゃない……
“面”だ……」
■ 遅れ
集落の中心。
倒壊した家屋。
その下から――
人の手が、
覗いていた。
蓮は、
駆け寄る。
「……っ……!」
瓦礫を持ち上げる。
間に合わない。
胸が、
締め付けられる。
《……蓮……》
フェンリルの声が、
沈む。
《……コレハ……
“結果”ダ……》
「……まだ……!」
蓮は、
必死に瓦礫を退ける。
だが――
応答は、
返らなかった。
■ 限界
志乃が、
唇を噛む。
「……これ以上……
私たちだけじゃ……」
矢守が、
拳を握る。
「……公式の支援があれば……
もっと早く……」
蓮は、
立ち尽くした。
(……俺が……
“非公式”だから……)
その思考を、
彼自身が打ち消す。
(……違う……
それだけじゃない……)
■ 影の目的
影は、
もう姿を消していた。
だが――
何かを確かめた痕跡だけが残る。
関守博士が、
震える声で言った。
「……影は……
“救えない状況”を……
作った……」
志乃が、
顔を上げる。
「……試してる……?」
博士は、
頷いた。
「……彼を……
“選ばせる”ために……」
■ 崩れかける理性
蓮の中で、
白銀の鼓動が――
強く、重く鳴る。
《……蓮……
次ハ……
間ニ合ウ……》
フェンリルの声は、
断定的だった。
《……深ク……
踏ミ込メバ……》
蓮は、
歯を食いしばる。
「……それでも……
今は……
間に合わなかった……」
拳が、
震える。
(……力が足りない……)
その思考が――
最も危険だった。
■ 残されたもの
集落の外れ。
生き残った人々が、
数人だけ集まっていた。
泣く声。
呆然と立つ影。
一人の少女が、
蓮を見上げる。
「……お兄ちゃん……
助けて……くれた……?」
蓮は、
言葉を失う。
「……ごめん……」
それしか、
言えなかった。
■ それでも立つ理由
夜。
簡易拠点に戻った後。
誰も、
すぐには話さなかった。
やがて、
蓮が口を開く。
「……今日……
救えなかった……」
志乃が、
静かに言う。
「……でも……
来なかったら……
もっと……」
蓮は、
首を振った。
「……それでも……
事実だ」
フェンリルの声が、
低く響く。
《……蓮……
人ハ……
限界ヲ知ル……》
「……ああ……」
蓮は、
深く息を吸う。
「……だから……
選び続けるんだ……」
救えない現実を、
否定せず。
それでも、
立つ。
■ 次への影
影は、
確実に理解した。
非公式の守護者は、
万能ではない。
だからこそ――
揺さぶる価値がある。
次は、
もっと分かりやすく。
もっと残酷に。
白銀の鼓動が、
静かに鳴り続ける。
蓮は、
その音を抱えたまま、
立っていた。
――第32章・終。




