第27章 ― 白銀の衝動、理性の鎖 ―
第七沿岸区の空は、
不自然なほど低く垂れ込めていた。
雲は渦を巻き、
海は逆流するようにうねる。
風の音が、
獣の唸り声に似ていた。
E.O.D前線指揮所。
「影性反応、急上昇!!
数値が……
今までと桁が違います!!」
矢守が叫ぶ。
「条件破りの……
即時反応か……!」
蓮は、
防護服のまま、
ゆっくりと前へ出た。
胸の奥が、
焼けつくように熱い。
(……来てる……)
《……蓮……
近イ……
境界ガ……》
フェンリルの声は、
いつもより低く、荒い。
「……ああ。
でも……
まだ……越えない」
■ 影の報復
港湾地区。
巨大な影が、
海面から立ち上がった。
災獣とは違う。
輪郭は曖昧で、
だが“質量”だけが異常に重い。
人々が悲鳴を上げ、
逃げ惑う。
――条件違反ヲ確認。
試験内容ヲ変更スル。
空間そのものが、
震えた。
――追加条件。
器ノ顕現レベルニ応ジテ……
影ノ干渉度ヲ引キ上ゲル。
関守博士が叫ぶ。
「まずい……!
影側が……
蓮くんを“基準”にしている!!」
志乃が無線を握りしめる。
「蓮!!
これ以上顕現したら――!!」
蓮は、
すでに空を見上げていた。
■ 引き寄せられる力
白銀の光が、
蓮の足元から漏れ出す。
制御しているはずの力が、
自分から溢れようとしている。
《……蓮……
抑エルナ……》
フェンリルの声が、
明確に“違う”。
《……今コソ……
深ク……引キ出セ……》
蓮は、
息を呑んだ。
「……フェンリル……?」
《……コノ規模ノ干渉ハ……
不完全デハ……
止メラレナイ……》
白銀の鼓動が、
暴れ出す。
視界の端で、
世界が歪む。
人の声が、
遠のく。
(……この感覚……
前より……
近い……)
■ 本能
蓮の脳裏に、
映像が流れ込む。
――影を引き裂く爪。
――敵を噛み砕く牙。
――恐怖で黙る人間たち。
力。
圧倒的な力。
《……蓮……
恐レルナ……》
フェンリルの声は、
甘く、強い。
《……完全ニ近ヅケバ……
守レル……
全部……》
蓮の指が、
無意識に震えた。
(……守れる……?
全部……?)
その言葉は、
あまりにも――
魅力的だった。
■ 理性
その時。
無線から、
志乃の声が飛び込んだ。
「蓮!!
聞こえる!?
――子どもたちが……
まだ港に残ってる!!」
その一言で、
映像が砕けた。
蓮は、
歯を食いしばる。
「……フェンリル……
それは……
“守る”じゃない……」
《……何……?》
「全部を……
力で押さえつけるのは……
“支配”だ……!」
白銀の光が、
一瞬だけ乱れる。
フェンリルの声が、
苛立ちを帯びる。
《……オ前ハ……
迷ッテイル……》
「迷ってるよ!!」
蓮は叫んだ。
「人だから!!
怖いし……
間違えるし……
それでも……」
拳を握る。
「それでも……
選ぶんだ!!」
■ 衝突
白銀の影が、
蓮の背後に現れる。
だが――
完全には重ならない。
半歩、
ズレている。
フェンリルの本能と、
蓮の理性。
初めての、
不一致。
《……蓮……
今ハ……
俺ニ任セロ……》
「……任せない」
蓮は、
自分の胸を叩いた。
「ここは……
俺の世界だ」
その瞬間。
白銀の光が、
一気に収束した。
完全顕現には、
至らない。
だが――
暴走も、しない。
■ 抑えきった代償
影の実体が、
海面で暴れ狂う。
だが、
スカイ・パレットとE.O.D地上班が、
必死に足止めする。
蓮は、
顕現寸前の状態で踏みとどまり、
白銀の衝撃を“最小限”で放つ。
街は、
壊れない。
だが――
蓮は、その場に崩れ落ちた。
「……っ……!」
胸を押さえ、
息ができない。
志乃が駆け寄る。
「蓮!!」
《……蓮……》
フェンリルの声は、
苦しげだった。
《……次ハ……
抑エラレナイ……
可能性ガ高イ……》
蓮は、
かすかに笑った。
「……それでも……
今は……
これでいい……」
影の実体は、
完全には消えず、
海へ沈んでいった。
――影側は、
“答え”を得た。
蓮が、
完全には踏み込まない存在だと。
だが同時に――
踏み込めば、破壊的になる存在だと。
第三都市試験は、
終わっていない。
そして蓮は、
知ってしまった。
フェンリルの中にある
“守るための獣性”が、
人の理性と必ず衝突する日が来ることを。
それでも――
彼は、
その境界に立ち続ける。
――第27章・終。




