第10章 ― 黒き使徒の影、初めての囁き ―
深夜のE.O.D本部。
いつもは規則正しい機械音が響くだけの指令フロアが、
この日は異様な緊張に満ちていた。
大型モニターには都市郊外の衛星映像が映し出され、
その中心に黒い煙のような“渦”が立ち上がっていた。
玲奈司令官は腕を組んだまま、唇を引き結ぶ。
「……災獣の反応じゃないわ。
これほどの高密度な瘴気……初めての値よ」
隣でオペレーターの茅ヶ崎が震える声で言う。
「司令……この濃度……
前回の災獣ガルドモルスの三倍です……!」
志乃が思わず蓮の方を見た。
蓮はまだ制服の肩を押さえたまま、
険しい顔でモニターを凝視していた。
“外側の意思”――《アバターズ》。
リエナが告げたその言葉が、
胸の奥に重く沈んでいる。
(あれが……最初の……?)
矢守が腕を組んでつぶやいた。
「蓮……準備できるか?」
蓮は深呼吸し、頷いた。
「……行くよ。
あれが本当に“アバターズ”が送ったものなら……
見過ごすわけにはいかない」
志乃は心配そうに眉を寄せる。
「でも……前回の戦いのダメージがまだ……
フェンリルの声も不安定なんでしょう?」
蓮は軽く目を伏せた。
「……それでも行くよ。
俺が行かないと……誰が止めるんだ」
その言葉に、志乃は口を開きかけて――
何も言えずに唇を噛んだ。
その時、
静かに扉が開いた。
白銀の毛並みを揺らしながら、
狼――“白銀の核”が蓮の足元に寄り添う。
そしてその後ろからリエナが姿を見せた。
「蓮。
行く前に一つだけ伝える」
蓮は振り返る。
リエナの瞳は、夜より深かった。
「アバターズは……あなたに気づいた。
今日の戦いは、
蓮――あなた自身が“狙われる”最初の日になる」
蓮の心臓がわずかに震えた。
だが――すぐにその震えを飲み込む。
「……上等だよ。
俺の力を怖がるなら……なおさら止めてやる」
リエナは短く頷き、
白狼は静かにフェンリルの力を送り込むように蓮の手に鼻先を触れた。
蓮の胸の奥に、
風のような温かさが流れ込む。
(……行こう)
蓮は走り出した。
■ 荒野に開いた“黒い裂け目”
現場に到着したE.O.Dの機動隊車両から、
蓮は降り立った。
空気が重く淀み、
土は黒くひび割れ、
中心には“穴”が開いていた。
まるで地面が腐ったような色。
「蓮、付近に生体反応……!
出るよ、来るわ!!」
茅ヶ崎の声がヘッドセットから響いた。
次の瞬間――
黒い裂け目から、何かがゆっくり姿を現した。
ズ……ズズ……
それは災獣ガルドモルスと違い、
“形”がはっきりしていなかった。
黒い粘土を無理やり人型にしたような体。
だが胸の中心だけは、赤黒く脈動する核があった。
「新種か……?」
矢守が呟く。
だがリエナは首を振った。
「いいえ……
これが《グローム》。
アバターズ直属の使徒よ」
グロームはゆっくりと顔らしき部分を上げ、
蓮を“見た”。
その瞬間――
蓮の耳の奥に、声が響いた。
――――見ツケタ。
蓮の背筋に、氷の針が突き刺さるような感覚。
フェンリルの声が内側から吠えた。
《蓮、耳を塞げ!
こいつは……瘴気で心を侵す!》
だが遅かった。
黒い声が、蓮の脳に直接のしかかる。
――半身。
――オ前ハ……我ラノ邪魔。
蓮は膝をつく。
「ぐ……っ、頭が……!」
「蓮!?」
志乃の叫びが遠く聞こえる。
白銀の狼が蓮の背に鼻を押し当て、
光を流し込む。
蓮の胸に温かさが広がり、
黒い声が押し返される。
(大丈夫……!
俺は……まだ……!)
蓮はゆっくり立ち上がった。
「……来いよ。
“俺を狙う”ってんなら……
正面から相手してやる!!」
その瞬間――
蓮の身体から白銀の光があふれ出した。
ビースト化。
白銀の巨体――フェンリルが咆哮とともに姿を現す。
アオオオオオォォン!!
大地が震え、風が巻く。
グロームは揺らめきながら腕を伸ばし、
黒い槍のような影を放った。
フェンリルは前脚で地を踏み砕き、
その影を弾き飛ばす。
《こいつ……形が安定しねぇ……!
瘴気そのものが生きてるようだ!》
フェンリルの声が鋭く響く。
蓮はその声に呼応して叫ぶ。
(だったら……形ごと砕いてやる!!)
フェンリルは跳び上がる。
尾が白銀の光を帯び――
ブォォォンッ!!
そのままグロームの胸へ叩き込む。
影が裂け、
黒い粘土が飛び散る。
だが――
再び集まり、形を取り戻す。
リエナの声が蓮に届く。
「蓮!
グロームは再生する!
核を叩かないとダメ!!!」
《核か……どこだ!?》
蓮が視線を走らせた瞬間――
それは見えた。
グロームの胸の中心、
赤黒く脈動する“球体”。
(あれだ――!!)
フェンリルは低く身を伏せ、
地を蹴る。
疾風のような速さでグロームに肉薄し――
ガブッ!!
牙で核へ噛みついた。
グロームが爆ぜるような叫びを上げる。
《ガアアアァアアア!!!》
蓮は力を込め、
白銀の光を注ぎ込む。
核が砕け、
グロームの体が黒い霧となって散っていった。
夜風だけが残った。
フェンリルは長い息を吐き、
蓮はゆっくりと意識を戻していく。
だが――
その時。
崩れた黒い霧の中から、
“声だけ”が響いた。
――本命ハ……まだ先ダ。
半身ヨ……待ッテイロ。
蓮の胸がどくんと脈打つ。
フェンリルの意識がざわついた。
《蓮……こいつら……
本気でお前を狙ってる……!》
蓮は拳を握りしめた。
(……来いよ。
俺を狙うなら……
フェンリルごと、全部相手してやる!)
だが――蓮はまだ知らない。
その自信の裏で、
フェンリルの力の“もう一つの側面”が静かに目を覚まし始めていることを。
――第10章・完。




