6-06. 魂が、震える
ちらりと視線を寄越しては、すぐに逸らして、肩口を熱心に見続けるグレーテルを見て、メフィストは苦笑する。
(かわいいな)
そんな言葉が頭を過ぎり、目を瞬いた。そして、もう一度、反芻する。
(かわいいな……?)
頑なに視線を逸らしている、グレーテルの頭頂部を見つめた。
大して珍しくもない、茶色い髪。今は仮面で隠れているが、時折覗く、焦げ茶の瞳。
初めて出会った時は、何を取っても地味で平凡な、どこにでもいる少女だと思っていたのに。今では、チョコレートを溶かしたような、その色に思わず手を伸ばしてしまいそうになる。
(自分に嘘をついても仕方ないか)
メフィストは諦めたように笑う。
気付いているのだ。グレーテルが向けてくる、好意と信頼に。そして、それを心地良いと思う自分に。
「優しいね」と言われれば、優しく見せようとする。「助けてくれる」と言われれば、頼まれなくても助けようとする。不思議なことに、言葉にされると、期待に応えようと、そう在ろうとする自分がいる。
聞き慣れない「ありがとう」も、言い慣れない「どういたしまして」も、グレーテルと一緒にいるうちに、いつの間にか身近な言葉になった。
(認めよう。俺は、この子を手放し難くなっている)
契約は成されたのだ。何も慌てる必要はない。力の使い方なんて、数十年後にでも分かれば問題ないのだ。結局、最後に魂の半分は手に入るのだから。
今しばらくは、この素直さを独占していたい。
(ファウストの生まれ変わりを探して会わせるのは、もう少し後にしよう)
そう、決心したのに。
◆
「プレッツェルあるかな?」
ひとしきり踊ったあと、グレーテルとメフィストは食事を取ることにした。
「……小ぶりのやつなら、あるかもね」
立食形式のテーブルには、フィンガーフードがずらりと並んでいた。さすがに大ぶりのプレッツェルが置かれている様子はない。
参加者の中には、食事目当てで来たような人間も多いようで、テーブルの周辺はなかなかの混雑ぶりだ。
そんな中、グレーテルの耳にふと気になる声が飛び込んできた。
「王子様が参加されてるの?!」
「まぁ……! 仮面も被ってるし、お顔も知らないけど、もしかしたら、お話したお相手が王子様ってこともありえるのかしら?!」
「でも、魔術とか錬金術にのめり込んでる人でしょ?」
「それが、誰かを探してるって噂よ」
「花嫁? それとも、錬金術の材料?」
「やだぁ! もう!」
きゃはは、と華やかな笑い声が響く。グレーテルは、思わず隣にいるメフィストを見上げた。
「錬金術って、人間を材料にするの?!」
「術師によっては」
「な、なんで、そんなのが許されて……?!」
「あはは、材料にするのは、髪の毛や少量の血液だよ。流石に、人間の目玉や内臓を使うような術師は現代にはいないんじゃない?」
メフィストは近くの給仕からグラスを受け取り、口を付けながら、ふと眉を寄せた。
(魔術に錬金術……どちらもファウストの得意分野だけど、さすがに考えすぎか……?)
目の前にいれば、魂を見抜いて、生まれ変わりかどうか判断ができる。グレーテルを見つけ出した時のように。けれども、会場にいるかもしれない、というだけでこの大人数の中を探るのは到底不可能な話だった。
すでに興味を食事に移したグレーテルを見つめる。目を輝かせて、どれを食べようか迷っている様は、どこまでも無邪気だ。その手には既に、いくつか摘んだ形跡があった。
「メフィストはどれにする? これ、美味しかったよ! 全種類いけるかなぁ」
「全部食べるつもり?」
そう言いながら、メフィストは手にしたグラスの中身を一気に飲み干し、すぐさま給仕に空のグラスを返した。
「せっかくだし、食べられるだけ食べたい! あ、そうだ! メフィスト。全部、半分こに……」
そう言って振り返ったグレーテルが、ぴたりと動きを止めた。視線はメフィストを通り越し、人混みの中の一点に釘付けになっている。
不審に思い、メフィストもその先を追うが、何を見つけたのかは掴めない。
「どうかした?」
問いかけると、グレーテルの唇が小さく震え、絞り出すように声が漏れた。
「あの……人……」
グレーテルの瞳が捕らえているのは、白地に金の縁取りを施した仮面をつけた、細身の青年だった。仕立ての良い服を着ており、ひと目で上等な召し物だというのが見て取れる。
その髪色は星を溶かしたような、プラチナブロンド。仮面の奥から覗く瞳は、吹き抜けるような青色をしていた。
魂が、震える。
――知らないはずなのに、知っている。
頭を鈍器で殴られたような衝撃に、目の前がくらくらした。胸の内側がざわめき、心の奥底から懐かしさと、そして、愛しさが込み上げる。
確かに、あの人を愛していたのだと、記憶にない感情だけが湧き上がり、グレーテルを絡め取る。
前世と変わらない、その髪色と瞳の色。そして、その魂。間違えるはずがない。その人が誰なのかを、グレーテルは知っている。
「ファウスト……」




