6-05. 仮面舞踏会
夕日が沈み、空に星が瞬き始める頃――王都の人々は、こぞって王城へと向かっていた。
街全体が高揚した空気に包まれている。人々は皆、きらびやかに着飾り、それぞれに思い思いの仮面をつけていた。目元だけを覆うもの、顔全体を隠すもの、羽飾りがあしらわれた豪奢なものまで、種類はさまざまだ。
グレーテルとメフィストも、例に漏れず仮面を着けていた。
「ドレスコードは仮面だけ……って聞いたけど、やっぱりみんな、綺麗な服を着てるね」
きょろきょろと周囲を見回しながら、グレーテルが呟く。その手は、人混みではぐれないように、メフィストの腕をしっかり掴んでいた。
数日前、大聖堂への潜入を試みて以降、まじないの施された内部への侵入方法は見つからないまま。未だ問題の核心には触れられず、悶々とした日々が続いていた。
そんな中で迎えた、仮面舞踏会の夜。
「今日は、大聖堂のことは忘れて、楽しもうか」
グレーテルの心に刺さった小さな棘を見抜いたように、メフィストが穏やかに微笑む。
その言葉に、グレーテルもつられるように笑った。メフィストが言葉を掛けてくれるだけで、棘が抜けて気持ちが前向きになる気がした。
「そうだね。せっかく、メフィストが素敵なドレスを用意してくれたんだし」
そう言いながら、グレーテルは自分の装いへと視線を落とす。
グレーテルが身に纏うのは、黒と紫を基調としたドレスだった。
闇夜を思わせる漆黒のビロードに、淡く揺れる紫のオーガンジーが重ねられている。腰元から裾にかけて、夜明けのグラデーションのように色が変わり、歩くたびに柔らかな光を帯びて揺れた。
一方で、メフィストの装いは、漆黒を基調とした礼装だった。艶のある黒のジャケットは、体に程よく沿う仕立てで、その輪郭は洗練されている。胸元には、アンバーをあしらったブローチが輝いていた。光を受けて色味が深まるそれは、グレーテルの瞳の色にそっくりだった。
(メフィストは、ペアで参加するなら、お互いの色を取り入れるのが普通って言ってたけど……)
ちらりと自分のドレスの紫に目を落とし、それからメフィストの胸元の琥珀色のブローチを見る。
(て、照れる……っ!)
顔が熱くなるのをこらえながら、なるべく意識を逸らすようにして、グレーテルは前を向いた。
人の流れに従って歩いていくと、やがて王城の門をくぐり、正面の建物へと足を踏み入れる。
そこは壮麗な大広間になっており、そのあまりの広さと美しさに、思わず「わぁ……」と声が漏れた。
すぐに我に返り、グレーテルはあわてて口を引き結ぶ。それを見たメフィストが、くつくつと笑った。
「あはは、顎は外れなさそうだね」
「散々言われたからね……。気をつけてます」
ホールの中ほどまで進むと、給仕のひとりがすっと近づいてきて、グレーテルにグラスを差し出した。
「ありがとうございます」
思わず受け取ったグレーテルの手から、流れるようにメフィストがグラスを抜き取る。
「初めてのお酒は、俺に奢って貰うんでしょ?」
その一言に、グレーテルはハッとする。差し出された飲み物が、アルコールだったのだと気づいた。
メフィストは別の給仕に向かって手を挙げると、新たなグラスを受け取り、そのままグレーテルに渡した。
「君は、こっち」
「ありがとう、メフィスト」
「どういたしまして」
二人で笑って、どちらからともなく、グラスを掲げる。
「乾杯」
カツン――と、かすかにグラスがぶつかる音がした。周囲のざわめいている中でも、その音はくっきりと耳に届く。
グレーテルはグラスを傾け、そっと口をつける。ちょうどよく冷えた果実水は、甘酸っぱい味がした。
「生きてるうちに、こんなすごい場所に来れると思わなかった……」
ぽつりと呟けば、メフィストがくつくつと笑う。
「俺も客として人間の夜会に参加することになるとは、思わなかったね」
「そうなの? メフィストはこういう場は慣れてそうだけど」
「どちらかといえば、給仕役をする方が多いかな」
「エスコート完璧なのに」
グレーテルの言葉を聞いて、メフィストは空になったグラスを給仕に渡す。そして、からかうように目を細めた。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
優雅に手を差し出し腰を折りながら、ちらりと視線をホール中央へ向ける。そこでは、数組の男女が、奏でられる音楽に身を任せて踊っていた。
「え、でも、私、踊ったことなんて……」
「大丈夫。誰でも参加できる会なんだ。踊ったことある人間の方が少ないよ」
ほら、と促される。グレーテルは飲みかけのグラスを近くのテーブルに置き、戸惑いながらも手を取った。
ホールを見渡せば、踊っている人々は、皆が完璧なステップを踏んでいるわけではない。音楽に合わせて揺れるだけの人、楽しげに回るだけの人――それぞれが、自分なりに場を楽しんでいる。
その様子を見て、グレーテルは緊張が少しほぐれていくのが分かった。
「失礼」
「わっ……!」
輪の中に踏み入れた瞬間、メフィストの腕がすっと伸びて、グレーテルの腰を抱いた。
ほんの一瞬で、向かい合わせになり密着する。グレーテルは顔を上げられず、ただただメフィストの肩口を見つめて固まってしまった。
「顔を上げて」
「む、無理……っ!」
「なんで?」
「は、恥ずかしい……っ!」
声を絞り出せば、メフィストがくつくつと笑う声が降ってくる。
「あはは、久しぶりに人並みの羞恥心が顔を出したね」
「…………足、踏んでいい?」
「遠慮しとくよ」
軽口を叩くのも、今では慣れたものだった。グレーテルは内心でくすりと笑いつつ、ちらりとメフィストを伺う。
ずっとこちらを見つめていたのか、仮面越しにメフィストの闇色の瞳と目が合ってしまい、慌てて肩口へと目線を戻した。
(私、幸せ者だなぁ……)
恥ずかしくて、顔はあげられないけれど。それでも、確かにメフィストと一緒に踊っているのだ。
それが、例え、リードされるままに、たまに足をもつれさせる不格好なダンスだとしても。
今、この場所で、間違いなく、グレーテルはメフィストと一緒に舞踏会を楽しんでいた。




