6-04. もう一つの目的
とてとて、と小さな足音を響かせて近づいてくる黒いプードルの姿を見つけ、グレーテルはベンチから勢いよく立ち上がった。
「メフィスト!」
ぱっと駆け寄り、ふわふわの小さな体を抱き上げる。
「おかえり。大丈夫だった?」
行き交う人々は多いが、誰もグレーテルとメフィストに注意を払わない。ちらりと視線を送っても、すぐに興味を失って去っていく。
メフィストは身体を腕の中に預け、グレーテルにだけ聞こえるよう小声で囁く。
「人気のないとこまで、連れて行って」
グレーテルは小さく頷いて、歩き出す。通りから脇道へ入り、人目の少ない路地を選んで進んでいく。
やがて、人の気配が途切れたところで足を止めた。
「この辺で、いいかな?」
確認しながら、グレーテルは再びメフィストをぎゅっと抱きしめる。背中に顔をうずめて、深く息を吸い込んだ。相変わらず、深い夜のような香りがする。
もふもふの毛並みに包まれて、頬に伝わる感触がたまらなく心地いい。
(かわいい……)
思わず目を細め、すりすりと背中に頬ずりをする。ふわふわの感触に包まれて、癒やしを堪能していた、その瞬間。
ふっと、腕の中の質量が消えた。
「?!」
頬にあった、ふわふわの毛が、布地のさらりとした感触に変化する。
腕の中にいたはずの小さな身体は消え失せ、なぜかグレーテルは、メフィストを背中越しに抱き締めていた。
「ちょっ……えっ……?!」
慌てて見上げれば、ちらりと後ろを振り返ったメフィストと目が合う。
闇色の瞳が、意地悪そうに細まった。
「抱き心地はどう?」
確信犯だ。絶対に、わざとだ。
グレーテルはパッと頬を赤くすると、腕を離して、ぽかぽかとその背中を叩いた。
「もうっ! もとに戻るなら、言ってよ!」
あはは、とメフィストが愉快そうに笑っている。反省の色は全く見えない。
「ほら、おいで。潜入調査の結果を報告しようか」
あっさりとそう言って、路地から出る道を進み始める。
意識しているのが自分だけなのが悔しくて、グレーテルはむっとしながら、その背中を睨んだ。
「メフィストって……照れたりしないの?」
ゆっくりと、グレーテルはメフィストのあとに続く。追いついてきたグレーテルを横目で見ながら、メフィストはくつくつと笑った。
「どうだろうね。身体的な接触では、羞恥心は感じないけど」
「……そうなの? 肉体がないから?」
「悪魔の性質だろうね。俺たちにとって、他人と肌を重ねるのは当たり前のことだから」
ふーん? とグレーテルが、よく理解していないような、納得していないような、釈然としない返事をする。
「でも」と続け、メフィストがふっ、と口元を緩めた。
「嫌いなやつに触れられれば、嫌悪感はある。そういう奴と触れ合うのは好まないよ」
「ほら、行こう」と言って、メフィストは話を打ち切る。さらに質問を重ねようと口を開きかけたグレーテルは、言葉の行き先を失った。
(それって、私に触れるのは……嫌じゃないってこと……だよね?)
手を繋ぐことも、空を飛ぶ時に抱き上げてもらうこともある。犬姿のメフィストは、大人しく腕の中にいてくれた。
グレーテルは自然と頬が緩んでいくのを感じた。
(嬉しい)
思わずにまにまとしてしまいそうになるのを誤魔化すように、グレーテルは両手で頬をぐにぐにと揉んだ。
幸い、メフィストは前を向いて歩いているので、表情には気づかれなかった。
「大聖堂内で怪しい場所は、二箇所だね」
大通りへと向かいながら、メフィストが報告をする。
「一つはおそらく、王家の墓。もう一つは、大司教が入って行った部屋だけど、こっちの方が本命に近いんじゃないかな」
脇道から出ると、人通りが増える。忙しなく行き交う人々は、誰もグレーテルとメフィストに注意を払わない。
「外からの侵入を拒む、まじないだけじゃなく、内から出るのを拒む、まじないも施してあったよ」
「それって……中に何か居るってこと……?」
「そうなるね」
メフィストがくつくつと笑う。
「加えて、随分と腕のいい魔術師がいるみたいで、俺でも壊せない。人間の君が大聖堂に侵入して、まじないを台無しにする方法もあるけど、流石にリスクが高すぎるね」
「打つ手無し?」
「大司教を捕まえて、内部情報を吐かせるのもアリだけど……」
メフィストの視線が、ちらりとグレーテルに向けられる。
「君は好まない方法かな」
グレーテルは目を瞬く。
出会った頃は、なにかと残虐性の高いことを言っていたメフィストが。なんなら、言ってもいないことを、言ったことにしていたメフィストが。
こうして、気持ちを汲んで提案をしてくれることに、嬉しさが込み上げてくる。
「やっぱり、メフィストは優しいね」
そう口にすれば、今度はメフィストが目を瞬いた。
「…………そう?」
「そうだよ。私が嫌だなって思うこと、ちゃんと分かってくれてる」
「まぁ、それなりに付き合いも長くなってきたからね」
「とにかく」とメフィストは続ける。
「大聖堂を探るのは、これ以上は厳しいかな」
「分かった。メフィスト、潜入してくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
「これから、どうしようね」
浮かれた王都の雰囲気を眺めながら、グレーテルは、ぼんやりと考える。
大聖堂に行けば、もしかしたら、母親の手掛かりが掴めるかもしれない。メフィストと一緒なら、すぐに解決できるかもと思っていたが、現実はそう上手くはいかないらしい。
「もう一つ、目的が残ってるよ」
唐突にそう言ったメフィストを、グレーテルはきょとんとした顔で見上げる。
「え?」
「仮面舞踏会」
メフィストの口元が、にんまりと弧を描く。
「参加したいんでしょう?」




