6-02. ふわふわのプードル
白亜の大聖堂は、太陽の光を浴びて煌めき、輝いていた。天を突く尖塔の上には、祈るように両手を掲げた女神アウレリアの像があり、その姿は信仰の象徴として王都を見守っている。重厚な扉や精緻なステンドグラスが、神聖さと威厳を物語っていた。
「わぁ…………」
「王都に来てから、口が開きっぱなしだよ」
グレーテルは、再度ハッとして口を閉じる。
「この調子だと、お城では顎が外れるかもね」
「もう。さすがに、そこまではならないよ」
都会の建物や空気に、いちいち圧倒されてぽかんとしているのは、そろそろ卒業しなければ――このままだと、一生メフィストにからかわれ続けそうだ。
グレーテルは唇をきゅっと結び直し、意識して周囲を観察する。すると、大聖堂の扉から、人々が次々と中へ入っていくのが見えた。
「なんか……みんな普通に入ってるね」
説教を聞きに来たという雰囲気ではない。和気あいあいとした様子で、大聖堂の中に足を踏み入れている。
「観光地だからね」
「えっ?!」
グレーテルは驚き、言葉を失う。メフィストがくつくつと笑った。
「これくらい大きな建造物になると、それだけで価値がある。他には、装飾なんかも芸術品として評価されているね。ルミアでは寄らなかったけど、あそこの教会も観光する人間は多いよ」
「そうなんだ……」
確かに、ぽかんと口を開けて魅入ってしまうくらい立派な建物だった。
(でも、教会は人攫いをしてる……)
いわゆる、敵ともいえる相手の本拠地なのだ。観光地として門を開いているのも、人々を油断させ、誘い込むためかもしれない。
今この瞬間も、誰かが望まぬままに、どこかへ連れ去られている可能性がある。
グレーテルはふぅっと息を吐き、心を整える。小さく拳を握りしめ、大聖堂の重々しい扉を真っすぐに見据えた。
「入ろう、メフィスト」
油断は――禁物だ。
◆
「ステンドグラスすごかったね! あんな大きなもの、どうやって作るんだろう……? それに、天井もあんなに高いのに、すーっごく細かい絵が描いてあって、びっくりしちゃった!」
大聖堂から出てきたグレーテルは、興奮冷めやらぬ様子で早口で捲し立てる。
正面の扉から入り、観光ルートに沿って進めば、それは見事な壁画や彫刻、太陽の光を取り込んで煌めくステンドグラスなど、まさに圧巻の連続であった。
夢見心地な様子で、口がまた半開きになりかける。メフィストが指先で、そっとグレーテルの顎先をトントンと叩いた。
ふいに触れた冷たい温度に、グレーテルは驚いて口元を引き締める。
「な、なに?」
「観光を楽しめたようで何より」
メフィストはいつもの調子でくつくつと笑いながら、ゆっくりと歩き出した。
言われて、グレーテルはハッとする。
(ふ、普通に楽しんじゃった!)
がっくりと肩を落として、慌ててメフィストの背を追う。
本来の目的は、母の行方を探すこと。なのに――ステンドグラスだの天井画だのと、観光客みたいに浮かれていたなんて。失踪から二年経っているとはいえ、これでは親不孝者にも程がある。もう少し真剣に大聖堂の怪しい部分を見るべきだった。
「あ、あの……。メフィスト、付き合わせてごめんね……」
居た堪れなくなって謝ると、メフィストは小さく笑った。
「別に楽しむのは悪いことじゃないよ。辛いことや気がかりなことがあるからって、いつも苦しんでないといけない訳じゃない」
「でも、私がお母さんを探したいって言ったのに……。それに、今この瞬間にも、人攫いにあってる人がいるかもしれないし……」
「事実を知ってるからと言って、君が助ける義理もなければ、責任を感じる必要もないよ」
メフィストは足を止めると、グレーテルを振り返る。おいで、と右手が差し出され、グレーテルはおずおずとその手を取った。
相変わらず真冬の水のような体温が伝わってくるが、今ではすっかり慣れてしまった。
「そもそも、あの大聖堂に正面から入ったところで、見つかるはずもないよ。見せていいものしか、見せていないんだから」
メフィストは言葉を切ると、ふと真剣な面持ちになる。
「正面には、簡単な魔物除けのまじないしか、かかっていなかった。だから、俺も入れたんだよ。本当に見せたくないものは、観光客はもちろん、魔物や俺たちでさえ辿り着けない場所に隠してるはずだ」
こっち、とメフィストはグレーテルの手を引くと、大通りから裏手の静かな道へと足を進める。
「そういうことだから、今から俺が単独で、大聖堂の探索をしてくるよ」
「えっ?! メフィストだけで?!」
思いも寄らない提案に、グレーテルは驚きの声を上げる。
メフィストは歩みを止めない。グレーテルの手を引き、どんどんと人気の少ない場所へと向かっていく。
「あはは、一人で取り残されるのは不安?」
「えっ、あっ、それは、大丈夫……かな。それよりも、私のお母さんのことなのに、メフィストに全部任せるのが申し訳ないっていうか……」
「君は本当に契約者としての自覚が足りないね」
誰もいない路地裏まで来ると、メフィストは足を止め、グレーテルに向き直る。そして、繋いでいた手をそっと離した。
その瞳は愉しそうに細められている。
「何か手掛かりを見つけるまで、戻ってくるな。くらい言えばいいのに」
「言えないよ! そんなこと! ただでさえ、いろいろ助けてもらってるのに……」
「俺と離れられるいい機会でしょう?」
試すように告げられた言葉に、グレーテルは半眼になる。
「メフィスト……コスモスの村でのこと、根に持ってるんでしょ」
入口の魔除けを口実に引き剥がせないかと聞いてみたり、メフィストがいない隙を狙って家を出ようとしたことを思い出す。
確かに、あの時は悪魔であるメフィストと離れたいと願っていた。けど、その後に、しっかりと伝えたはずだ。
「一緒にいたいって、言ったよね?」
忘れたの? と問えば、メフィストは緩く首を横に振った。
「いいや。覚えてるよ」
「じゃぁ、なんで……?」
「何度聞いても、いいからね」
言葉の真意がつかめず、グレーテルの頭には疑問符が浮かぶ。メフィストは何も言わず、肩をすくめた。
「さて、潜入といこうか。あまり会話は出来なくなるけど、どうしても喋りたかったら、俺のことを抱っこして」
ますます意味がわからない。グレーテルは大量の疑問符を頭の上に浮かべて、メフィストを見つめる。
混乱するグレーテルを余所に、メフィストはくつくつと喉を鳴らして笑い、ぱちんと指を鳴らした。
次の瞬間――その姿がふっとかき消え、代わりにグレーテルの足元に黒いもふもふした何かが現れた。
グレーテルはそろそろと視線を落とす。
「…………メフィスト?」
そこには、闇色の瞳をした、ふわふわのプードルが鎮座していた。




