1-05. 望みはここにあり
「えっ、説教を聞きに行った?」
マルタが素っ頓狂な声を上げ、グレーテルと顔を見合わせる。
説教が終わり、解散の時間となっても、シーベルは姿を見せなかった。マルタが文句の一つでも言ってやろう、とシーベルの家に乗り込んだが、そこで母親に「あの子なら説教を聞きに行ったわよ」と返されたのだ。
顔を見合わせて黙り込む二人に、ただならぬ雰囲気を感じたのか、シーベルの母はその顔を曇らせる。
「もしかして、会ってない?」
マルタとグレーテルが同時に頷く。花に惹かれて道草を食っていたとしても、あまりにも長過ぎる。家を出てから何時間も経っているはずだ。
小さな子どもなら、いざ知らず。シーベルは青年であり、寄り道して遊ぶにも限界があるだろう。そもそも、シーベルは遅刻をしたりはするが、約束を反故にするような人間ではない。
グレーテルの胸の中で、じわじわと不安が込み上げてくる。その感覚は、母親が失踪した日の気持ちに似ていた。
――帰ってこない。おかしいな。でも、大人だから。何か用事があったのかも。そのうち、帰ってくるはず。夜になれば、朝になれば、明日になれば、明後日になれば。
そうして、二度と会えなくなる。
「探しましょう」
グレーテルは、顔を上げてそう告げた。シーベルの母親は困ったように眉根を寄せる。
「そうねぇ……。でも、あの子ももう大人だし、黙っていなくなるようなことは――」
「駄目です!」
グレーテルは思わず声を上げて、言葉を遮った。
「私の……私のお母さんも、大人だったけど……帰ってきませんでした」
その言葉に、マルタとシーベルの母は口を閉ざし、静かにグレーテルを見つめた。
しばし沈黙が流れたあと、シーベルの母がそっと頷いた。
「ありがとう、グレーテル。そうね、あなたの言う通りね。探しに行くことにするわ」
その一言に、グレーテルはほっと胸を撫で下ろした。マルタはそっと隣のグレーテルの手を握り、シーベルの母に言った。
「それなら、あたしとグレーテルは、もう一度、教会までの道を見てきます。シーベルのお母さんは、彼が行きそうなところを探してもらえますか?」
「わかったわ。主人にも、一緒に探してもらいましょう。今はたぶん、小麦畑に出てると思うから、声をかけてくるわ」
3人は顔を見合わせ、静かに頷き合う。
――どうか、すぐに見つかりますように。
グレーテルとマルタは並んで教会への道を歩き出した。
◆
教会までの道に、やはり、シーベルの姿はなかった。教会の前で、マルタとグレーテルは途方に暮れる。
「どうしよう」
「シーベルの行きそうなところ……。うーん、うちのパン屋くらいしか思いつかない!」
「街の外に行っちゃったとか?」
「小麦畑になんの用事があるのよ。あいつが遊びの日にわざわざ、収穫を手伝うかしら?」
何でもいい、何か手がかりを。そう思いながら、グレーテルは口を開きかけた。
「とりあえず、マルタの家のパン屋に――」
その時だった。教会の扉がきぃ、と軋む音を立てて開き、神官がゆっくりと外に姿を現した。グレーテルは思わず口をつぐむ。
「こんにちは」
「あ、はい……。こんにちは」
紺色の法衣をまとった神官は、ふわりと微笑んだ。
優しげな青い瞳が細まり、少しだけ首を傾げる。
「説教を聞きに来てくれていたお嬢さんたちだね」
柔らかな声だった。覚えていてくれたことは、どこか嬉しかった。けれど、今はそれどころではない。
グレーテルは返す言葉を探しながら、視線を泳がせた。
「えっと……」
「すみません! 男の子を見ませんでしたか?」
口ごもったグレーテルの代わりに、マルタがすっと前に出て、横から口を挟む。グレーテルはその様子を見て、なるほど――と感心した。神官にシーベルのことを尋ねるなんて、まったく思いつきもしなかった。
「ふわふわの金髪で、ハシバミ色の目で、背はまぁまぁ高くて、黙ってれば女の子みたいな顔をした人なんですけど!」
矢継ぎ早に、マルタはシーベルの特徴を並べた。正直、今日の説教を聞きに来ただけの神官に尋ねても、見かけたという答えが返ってくるとは思えない。
けれど――こうして出会ったのも何かの縁だ。ほんの小さな偶然が、思わぬ糸口につながることもある。たとえ望み薄でも、聞き込みは大事なのだ。
神官は「うーん」と唸り、顎に手を当てて少し考え込んだ。そして、ふと何かを思い出したように、「あ」と声をこぼす。
「もしかして、道で倒れていた子かな」
望みはここにあった。
「え! 今、どこにいますか?!」
「会えますか?!」
2人は思わず前のめりになり、神官に詰め寄る。勢いに押された神官は、困ったように眉を下げながら、両手を前に出して2人を制した。
「ま、待って! 案内するから!」
神官が慌てたように声を上げる。
「わたしが宿泊させてもらってる部屋で、休ませているよ。この街にはお医者さまもいないみたいだから……。ついておいで」
神官のあとを追って、グレーテルとマルタは教会の横にある小さな宿舎へと歩き出す。神官は振り返り、少し安心したように笑った。
「どこの子か分からなくて、わたしも困っていたんだ。知り合いが見つかって、本当に良かったよ」
「はぁー、もう……ご迷惑をおかけしました」
マルタが心底ほっとした様子で、ため息まじりに頭を下げた。芝生を横切りながら、神官はふと立ち止まり、優しい口調で自己紹介をする。
「わたしはマティアス・グリムというんだ。君たちは?」
「マルタ・ベッカーです」
「グレーテル・クラインです」
2人が名乗ると、マティアスは「よろしくね」と柔らかく微笑んだ。その拍子に、きちんと整えられた髪がさらりと揺れる。
「倒れていた子は?」
「シーベル・ミュラーっていいます」
マルタがすかさず答えると、マティアスはうんうんと頷いた。そして、ふと眉根を寄せ、心配そうに言葉を続ける。
「シーベル君、目を覚ましていると良いんだけど……」
「叩き起こします」
ふん、と腕を勢いよく振るマルタに、グレーテルが思わず苦笑する。
「倒れていたんだし、一応、病人なんだから」
「あ、そっか。でも、倒れるなんて、どうしたんだろ」
マティアスが宿舎の扉を静かに開けた。軋む音と共に、ひんやりとした空気が一筋流れ込んでくる。
「どうぞ」
促すような穏やかな声に、マルタとグレーテルは一礼して中へ足を踏み入れた。
中は驚くほど質素で、小さなテーブルと椅子がひとつずつ並んでいる。壁にはヒイラギのリースと、小さな棚。すべてがきちんと整えられていて、清潔感があった。玄関から見て左手側に寝室があり、木の扉は半開きになっている。
その隙間から覗くベッドには、見覚えのある顔があった。
「あ」
マルタが息を呑む。
シーベルだった。柔らかな金髪が乱れて枕に広がり、口をうっすら開けたまま、子どものような無防備な寝顔を晒している。
「……寝てる」
グレーテルが思わず小声で呟くと、マルタが眉をひそめながらも、ホッとしたように肩を落とした。
「ほんとに、叩き起こしたくなってくるわよ……」
だけど、その声には怒りよりも、心底安心した響きがあった。