4-05. 呪い
ルシフェルはウルリッヒと共にブルートガイヤーを退けながら、胸の奥に広がる違和感を拭えずにいた。
(おかしい。どうも、このハゲワシどもはウルリッヒを狙っている)
現に、ブルートガイヤーは馬車には目もくれず、斧を振り回しているウルリッヒに群がっていた。ウルリッヒは横薙ぎに斧を一閃し、襲いかかってくる魔物をなぎ払う。その合間に、指笛を鳴らしては追い払っていた。
ブルートガイヤーは甲高い音を嫌う魔物だ。
「ウルリッヒ。魔術用の道具の中に、血や肉を使ったものを持っていないか?」
ルシフェルは尋ねた。かすかに漂う腐臭が、ブルートガイヤーを惹きつけたのではないかと考えたのだ。
だが、ウルリッヒは即座に首を横に振った。
「ない。食用の肉すら持っていない。ブルートガイヤーは、わたしも死肉に群がる魔物だと記憶している。……あなたも、何かおかしいと感じているんだな?」
「あぁ。ついでに言っておくと、お前だけが襲われているように見える。現に、馬車にも私にも群がってこないからな」
ウルリッヒが斧を振り下ろす。凶刃にかかったブルートガイヤーが、「ヴワァ」と短く鳴き、羽根となり散っていった。
「とにかく、持っているものを全て、放り出せ!」
「……わかった」
ウルリッヒは、背に負った鞄から、腰から下げた小さな巾着に至るまで、ブルートガイヤーの攻撃の合間を縫って、地面に投げ捨てていく。
ルシフェルがその様子を鋭く見守っていたが、群がる魔物の標的が変わることはない。最後に残されたのは、斧と、身につけている服のみだった。
「どうする? 斧も捨ててみるか?」
ウルリッヒが、ちらりとルシフェルを伺う。ルシフェルは眉間に深い皺を刻み、ほんの一瞬だけ逡巡の色を見せたが、すぐに頷いた。
「やむを得んな……。私が指笛を吹いて、一度やつらを追い払う。その隙に斧を置け。もしそれでもお前に向かってくるようなら、再び指笛で牽制しよう」
「承知した」
ルシフェルが指を咥え、ピイィィィと、甲高い音を鳴らす。音を嫌がったブルートガイヤーが羽ばたきながら空へと舞い上がった。
ウルリッヒはそれを見て、手にしていた斧を地面に置く。そして、数歩離れた。
二人は息を潜め、空の様子を伺う。数羽のブルートガイヤーが上空を旋回したかと思えば、次の瞬間――まるで迷いもなく、再びウルリッヒめがけて急降下してくる。
「……駄目か!」
ルシフェルがすかさず、もう一度指笛を鳴らす。鋭い音に、突っ込んできたブルートガイヤーたちは驚いたように羽ばたきを強め、軌道を逸らして空へと逃れた。
「くそっ……。こうなったら、ウルリッヒ!」
ルシフェルが苛立ちを押し殺すように声を上げた。
「――全部脱げ!」
「…………………………」
ウルリッヒは一拍の沈黙ののち、無言で地面に置いた斧を拾い上げた。困惑に満ちた顔でルシフェルを見やり、んんっと小さく咳払いした。
「いや、まぁ、言いたいことは分かるが……。分かるが……とりあえず、外套から試すので構わんか?」
「なんでもいい。早くしろ!」
「了解した。……できれば、下着以降は見ないでくれると助かる」
ウルリッヒはそうぼやきながら、手早く外套の留め具を外し始めた。ルシフェルは苛立ちと緊張の混じった表情で、空を睨みつけている。
ウルリッヒは外套を脱ぎ、異端審問官であることを示す黄金のバッジごと、地面に放り投げた。
「!」
途端に、ブルートガイヤーの狙いが変わる。一斉に外套めがけて降下してきたのだ。
「なぜ……?」
ウルリッヒが眉をひそめる。ルシフェルもまた、首を傾げた。そして、ブルートガイヤーが外套に掴みかかる直前、ルシフェルは素早く指笛を吹いて追い払う。
その隙に外套を掴み上げ、全体をざっと確認する。すぐに、胸元で光る黄金のバッジに目が留まった。六芒星と月を組み合わせた紋章――見た目は、ただの異端審問官の証にすぎない。
ルシフェルは手早くバッジを取り外し、裏返す。その指先が裏面を撫でるにつれ、表情がじわじわと険しくなっていった。
「これは、教会で支給されたものか?」
目を細めたまま、ルシフェルが問いかける。ウルリッヒは小さく頷いた。
「あぁ。異端審問官は皆、同じものを渡される」
ルシフェルは裏面に細かく刻まれた文字をなぞり、さらに側面に目を向けた。表と裏の接合部が、不自然に浮いている。
無言のまま、ルシフェルは魔法を使い、バッジを割り開いた。
「お、おい、何を――!」
ウルリッヒの制止をよそに、バッジの内部が露わになる。金属の中に、赤黒く染まった布片が入っていた。
「呪いが刻まれている」
ルシフェルは布片をつまみ上げると、ウルリッヒの目の前に突き出す。ウルリッヒは気圧されたように、息を詰めた。
「魔を寄せ、魂を蝕む呪いだ。戦いの中に常に魂をさらすことで、疲弊させ、憎悪や怨恨を誘発する。行き着く先は――」
言葉を切り、ルシフェルは静かに、しかし鋭くウルリッヒを見据えた。
「レムルだ」
ウルリッヒの傷だらけの顔に驚愕が走る。唇が何度か音もなく動き、やがて、かすかに首を横に振った。
「そんな……馬鹿な。教会の支給品に呪いが掛かっているなど……」
「こんな怪しげな布片がバッジに入ってる時点でおかしいだろう」
「教会は……わたしたちを育ててくれたんだ。なぜ、そんな……」
ルシフェルは布片を握り込むと、手の中に魔法を込める。ふっと熱が走り、やがて手の中から黒煙が立ち上った。
ゆっくりと指を開くと、布片はぱらぱらと炭になって地面に散っていく。
その瞬間、上空を旋回していたブルートガイヤーたちの動きが変化する。まるで興味を失ったように、羽ばたき、空の彼方へと消えていった。
「ブルートガイヤーも飛び去った。このバッジが原因で、間違いない」
手に残った煤を払いつつ、ルシフェルは淡々と告げる。
「私としては、教会から転職することをお勧めする」
ウルリッヒは黙ったまま、じっとルシフェルの手を見つめていた。
「なぁ」
低く、やや緊張を孕んだ声が落ちる。
「なんだ?」
「今、手の中のものが……燃えたが。それは、魔法か?」
ルシフェルの表情がわずかに揺らぐ。ほんの一瞬、しまった、と言いたげに眉間にシワが寄った。




