4-01. 血も涙もない
ルミアは東部の中でも比較的大きな街だ。
辻馬車の駅はよく整備されており、ルミアを中心に周辺の村々をつなぐハブとして機能している。
一行は、王都へ向かう辻馬車を待って駅に立っていた。
グレーテルはルミアで新しく手に入れた斜め掛けの鞄を抱えており、その中にはメフィストから贈られた宝石箱が大切にしまわれている。
他にも、道中に備えて水や食料をしっかり買い込んだ。
それだけで、ずいぶんと安心した気持ちで旅路にのぞめた。荷物の重みさえ、どこか心強く感じられる。
「お前たちは王都へ行くんだったな」
振り返ったルシフェルの銀色の長い三つ編みが右肩で揺れる。メフィストとグレーテルは同時に頷いた。
「私も辻馬車に乗って、次の駅までは一緒に行くことにしよう」
「王都には行かないんですか?」
「アルタリオン様が王都にいるとは、ちょっと考えづらいからな」
ルシフェルの言葉に、メフィストが「まぁ、確かに」と同意する。
「どこかの田舎で人間ごっこでもして、遊んでるんでしょ」
「あり得るな」
ルシフェルの眉間に、深いシワが刻まれる。「はぁ……」と、心底疲れたように大きくため息をついた。
「お前たち悪魔がもう少し協調性を発揮してくれればな……」
「無理」
にべもなく言い放つメフィストに、グレーテルは苦笑を浮かべた。
そして、前から少し気になっていたことを口にする。
「メフィスト以外の悪魔って、どんな人がいるの?」
「さぁ……? 数が少ない上に、相手が悪魔かどうかなんて、見た目じゃ分からないから」
――薄い。
同族に対する興味が薄すぎる。ルシフェルが悪魔は個人主義だと評していたが、その言葉はきっと正しい。
「他の悪魔に興味があるの?」
メフィストの問いに、グレーテルは素直に頷いた。メフィストが喉の奥でくつくつと笑う。
「他の悪魔を知りたいだなんて……俺の契約者様は、浮気症だね」
「えっ……う、浮気……えっ?」
思いがけない言葉に、グレーテルは混乱する。
その隣でルシフェルがジト目になり、「言葉!」と小声で呟いてメフィストをたしなめるが、当の本人はまるで意に介さない。
メフィストに、ずいっと間近で顔を覗き込まれて、グレーテルは思わず後ずさった。にんまりと口元を吊り上げて、楽しげに続ける。
「ヴァルプルギスの夜にブロッカルト山に行けば、他の奴らにも会えると思うよ。あの淫猥な空気に君が耐えられそうなら連れて行って――」
「おい、馬車が来たぞ」
馬のいななきと、ガラガラと回る轍の音。ゆっくりと速度を落とした馬車が、目前に迫っていた。
顔を上げたメフィストが、白けたように黙り込む。半眼になり、忌々しそうに馬車を睨んだ。
「君を遊びに誘おうとすると、いつも邪魔が入るな」
「グレーテル。悪魔の遊びなんて碌なもんじゃない。絶対に聞き入れるなよ」
ルシフェルの有難い忠告に、グレーテルはこくこくと頷く。もとよりそのつもりだったが、改めて悪魔を知る人物に念を押されると、身が引き締まる思いがした。
メフィストは誘いを諦めたのか、さっさと目の前に止まった馬車に乗り込む。
そして、座席からすっと手を伸ばした。
「おいで」
返事も待たずに、グレーテルの右手を掴む。
手の平を通して、冷たい体温がじわりと伝わってきて、グレーテルの胸の奥がどきりと揺れた。
なんとなく気恥ずかしくなって、グレーテルは意味もなく何か話さなければいけないような気になる。
「あの……メフィストの手、冷たいね」
わたわたとしながら、とりあえず、感じたことを口にしていた。
「ん? そう? まぁ、血が通ってないからかな」
「……メフィストたちには、血も涙もないってこと?」
比喩か冗談かと思ったグレーテルが悪魔という言葉を伏せて聞けば、メフィストはくつくつと笑った。
「言うねぇ。でも、それも――正解」
そう言って、グレーテルをぐいと引き寄せ、隣に座らせる。さらに、その隣にはルシフェルが乗り込んだ。
まだ乗り込む人を待っているのか、馬車はしばらく停まったままだった。
ぱらぱらと人が集まり始め、座席が一つずつ埋まっていく。
その様子をグレーテルがぼんやり眺めていると、メフィストがふと思い出したように声を上げた。
「そうだ。吐きそうになったら、ルシフェルの方を向いてね」
言われてグレーテルは、うっと詰まる。ルシフェルが眉をひそめた。
「心配するな。酔ったら背中を擦ってやろう」
「大人……っ! 素敵……っ!」
実にスマートな対応だ。見事とも言える。
だからこそ、グレーテルは納得がいかない。何故、この人は野犬や蛾に向かって怒鳴り散らすんだろうか。やばめの怖い人、という第一印象はなかなかに強烈で、そのイメージを払拭しきれない。残念だ。
とはいえ、普段は良識もあり、真面目で優しい。
グレーテルは唇を尖らせて、小さく文句を零した。
「メフィストにも見習って欲しいなぁ」
「俺は血も涙もないんでね」
「…………メフィストって意外と根に持つタイプだよね」
じっと見つめれば、メフィストは誤魔化すように視線をあらぬ方向に向ける。
そうやって話をしていると、馬車が大きく揺れた。思わず入り口に目を向けると、大柄な男が乗ってくるところだった。
濃紺の法衣をまとい、額から頬にかけて大きな傷跡が走っている。見覚えがある顔にグレーテルはぎくりと身体を強張らせ、メフィストに身を寄せた。
「おや、ウルリッヒじゃないか」
まるで旧友にでも会ったかのように、ルシフェルが穏やかな声で呼びかける。
それに気付いたウルリッヒが顔を上げ、ルシフェルの姿を認めると、表情をほころばせた。
「あぁ、あなたは。先日はどうも」
「お前に教えてもらった広場、なかなか良かったぞ。酒が随分と進んだ」
「気に入ってもらえて何よりだ」
和やかに言葉を交わし話し込む二人。その背後から、少し苛立ちの混じった声が飛んできた。
「おい! ウルリッヒ! 俺も乗るってこと忘れてない?!」
グレーテルは耳を疑った。
その声――あまりにも聞き覚えがありすぎる。喉元がひゅっと締まり、息が詰まる。
「悪いな」
「ったくもう。なに? 友達? 俺にも紹介してくれよ」
そう言いながら、乗り込んできた男の垂れ目と目が合った。
「あ」
メフィストと契約することになった原因。グレーテルを連れ去ろうとした張本人。
ミルゼンハイムに来た神官――マティアスがそこにいた。




