3-03. 大人の男
「ルミアは宝石の街として知られてるんだ」
三人並んでのんびりと歩きながら、グレーテルはメフィストに次の目的地について尋ねていた。
「鉱山も近くにあって、割と賑やかな街だよ。規模も大きいから、教会もある」
「えっ……」
教会、と聞いて固まったグレーテルに、ルシフェルが眉をひそめる。
「教会があると都合が悪いのか?」
「あの、一応、悪魔との契約者なので……」
「そんなことか」と、ルシフェルが鼻で笑う。
「堂々としてれば問題ない」
「メフィストにも同じ事言われました……」
「前を見る! 背筋を伸ばす! 胸を張る!」
「は、はいっ!」
「その調子だ!」
声が大きいせいか、ルシフェルがいると賑やかだ。二人のやり取りを見て、メフィストはくつくつと喉の奥で笑っている。そして、ふと思い出したように呟いた。
「そういえば、ルミアには天使にまつわる逸話があったね」
「逸話?」と、グレーテルは興味津々に問い返した。メフィストが、にやりと口元を吊り上げ、悪い顔をする。
「天使と人間の禁断の恋物語だ」
「ぐっ……」
何故かルシフェルが低く呻き声を上げる。メフィストは構わず続けた。
「ある天使と人間が恋に落ちた。でも、異種族間の恋なんて、そう上手くいくわけがない。二人は引き裂かれ、別れ際、天使が流した最後の涙が地中に染み込んだ。そして数百年後、その涙は美しい宝石に姿を変えた――そう言い伝えられている。ルミアで採れる、薄い水色の宝石は『天使の涙』って呼ばれてるんだよ」
「へぇ……。天使の涙、見てみたいな」
「ルミアに行けば、いくらでも見れるよ。ちなみに、この宝石を恋人同士で贈り合うと『たとえ死が二人を分かつとも、魂は必ず再び巡り合う』と言われてる」
「ロマンチック……!」
グレーテルはうっとりと目を細めた。素敵だなぁと胸の内で呟いたあと、ふと気になることを思い出す。
「でも……天使って恋とかするの? 説教では、すべての命に等しく慈しみを注ぐ存在って聞いたけど……」
「それはそこの、元天使に聞いてみなよ」
メフィストが少し後ろを歩くルシフェルを顎でしゃくる。途端に、ルシフェルの眉間のシワが数本増えた。
「貴様……面白がってるな?」
「あはは、もちろん」
苦々しく呟くルシフェルに対して、メフィストは悪びれもせず笑う。やがてルシフェルはため息混じりに答えた。
「まぁ、そうだな。天使も恋をすることはある」
ルシフェルの言葉に、わぁ、とグレーテルが喜ぶ。
「天使に愛される人は、幸せですね。ルシフェルさんも、恋したことあるんですか?」
無邪気な問いに、ルシフェルの顔がみるみる渋くなる。苦虫を噛み潰したような表情に、メフィストは堪えきれず大笑いを始めた。
(……もしかして、変なこと聞いちゃった?)
グレーテルはきょとんと首を傾げる。メフィストはひぃひぃと笑いながら、ルシフェルを指さした。
「あっはは、こいつね、恋して堕天したんだよ。我慢しきれずに、人間相手にサカってね」
「おい! 言葉を選べ、言葉を!」
ルシフェルが、ばしりとメフィストの背中を叩くが、当の本人に反省する様子は全くない。
グレーテルはその言葉の意味を反芻する。
(サカって……? サカ……。サカる……?)
ハッと気付いて、気まずく視線をうろうろと彷徨わせた。
「わ……わぁ……。なんか、すみません……」
「お前が謝ることじゃない。悪いのはメフィストだ」
ルシフェルが静かにたしなめる。元凶となった悪魔は、口の端を上げて悪びれもせず笑っていた。
「ま、言い方はともかく、事実でしょ。天使の禁忌に性愛を抱いてはならない、というのがあるんだ。それを破ったから堕天した」
「難儀だねぇ」とメフィストが肩をすくめる。ルシフェルは、それに対して緩く首を横に振った。
「昔の話だ。それに、私は後悔していない。もし、あの時に戻れたとしても、また彼女を愛して身を堕とすことを選ぶよ」
大人だ。間違いなく、大人の男だ。
グレーテルは、くぅっと胸を押さえる。ルシフェルの一途な想いに、心を打たれていた。野犬を怒鳴りつける、やばめの怖い人ではあるけど。
「ルシフェルさんと、契約したかった…!」
思わずそう声にすれば、ぴくり、とメフィストが片眉を跳ね上げる。
「ちょっと。聞き捨てならないね」
「だって、こんなに出来た人なんだよ!」
「俺が出来てないって言ってる?」
「うん。人の恋の話を、ああいう風に笑うのは良くないと思う」
思ったことを正直に伝えれば、メフィストは不満そうにぼそぼそと呟く。
「くっ……。犬に怒鳴り散らしてた奴に負けるなんて……」
普段は飄々としているメフィストが、珍しくむすっとしている。
その様子を見ていたルシフェルが、少し困ったようにグレーテルに言った。
「堕天使は悪魔と違って契約ができない」
「真面目か」
すかさずメフィストが突っ込んだが、ルシフェルは気にせず続けた。
「天使の力も使えないから、加護を与えることもできない。すまないな」
「あ、いえ、こちらこそ恐縮です……」
グレーテルはぺこり、と小さく頭を下げた。
その様子にルシフェルは満足そうに微笑む。眉間に寄っていたシワがすっと消えると、表情が柔らかくなり、先ほどよりもずっと若々しく見えた。




