2-05. 主食は酒
村の人たちから貰った荷物をグレーテルが整理する傍らで、メフィストは食事の用意をしていた。ぱちん、と指を鳴らすと、汚れていたお皿が一瞬でぴかぴかになる。
(何度見ても、すごいなぁ……)
魔法の便利さに、グレーテルはまた感心する。メフィストは手慣れた様子で、黒パンと塩漬けのハムを切り分けていた。その様子を眺めているうちに、ふと疑問が浮かぶ。
「悪魔も食事をするの?」
「するよ。俺の主食は酒だけどね」
「お酒……?」
グレーテルは、昨夜の酒場で見かけた大きなジョッキを思い出す。メフィストがそれを右手に持って、ぐいっと豪快に飲み、口元の泡をぬぐう姿を想像して――思わず顔をしかめた。
「似合わない……」
「一体、何を想像してるの?」
メフィストが小さく笑いながら、お皿をグレーテルの前にそっと置く。その上には、黒パンと塩漬けのハム、ザワークラウト、アップルシュトゥルーデルがきれいに盛り付けられていて、見ているだけで食欲をそそる。
黒パンは軽く炙られ、縁にこんがりとした焼き色がついていた。お皿の隣には、湯気を立てるハーブティー入りのマグカップも添えられている。
「美味しそう! ありがとう、メフィスト」
素直に礼を言うと、椅子を引いて腰を下ろしかけていたメフィストが、不意に動きを止めた。きょとんとした表情で、しばし黙り込む。
(あれ、なんか変なこと言ったかな……)
不安になったグレーテルは、そっと名前を呼んだ。
「メフィスト……?」
名前を呼ばれて我に返ったのか、メフィストはようやく瞬きをひとつした。
「いや、こういうことで、お礼を言われるのが珍しくて驚いただけだよ」
「えっ?!」
思わず声を上げるグレーテルに、メフィストは肩をすくめ、笑う。
「あはは、君が思ってる以上に、悪魔というのはぞんざいに扱われる存在なんだよ」
そう言って、彼はグレーテルの向かいの椅子に腰を下ろした。
「昨日の掃除の件といい、君は変わってるね」
「うーん……人として普通じゃないかな……?」
グレーテルはお皿からパンを取ってかじる。温かさとともに、ライ麦の酸味が口いっぱいに広がった。
◆
お腹が満たされると、グレーテルはふう、と息をついて、ぼんやりと窓の外を眺めた。後片付けもすでに魔法で終わっていて、グレーテルが手伝えることは何もない。
窓の外では、コスモスの花が風にそよぎ、畑一面が静かに揺れている。その中に、ふと目を引くものがあった。
(あれは……?)
ゆっくりと窓辺に近づいて、目を凝らす。コスモスの間に、かすかに光を帯びた小さな人影のようなものが浮かんでいた。太陽の色を映したような、淡い輝き。花びらのような衣をまとっているが、顔にあたる部分には目鼻がなく、のっぺりとしている。
「メフィスト……何か光ってるのが……」
そう呟くと、メフィストがグレーテルの隣に来て、窓の外をのぞいた。そして「あぁ」と気の抜けた声を出す。
「フローリヒトだね」
「魔物なの?」
「どちらかといえば、妖精寄り」
初めて見る存在に、グレーテルは好奇心を隠せず、思わずメフィストを振り返る。
「窓、開けても大丈夫?」
「部屋が花だらけになってもいいなら、どうぞ」
そういえば昨日、この家を貸してくれた男性も言っていた。「花を差し出されたら、素直に受け取れ」と。
グレーテルはそっと窓に手をかけ、静かに開いた。ふわふわと宙を舞っていたフローリヒトが気付き、ひらりと窓辺へと舞い降りてくる。そして、一際明るく光ったかと思うと、グレーテルの手のひらに、小さな白い花をぱさりと落とした。
「わぁ……! ありがとう!」
声に反応するように、フローリヒトは上下にふわふわと揺れ、嬉しそうに光を瞬かせる。
(シーベルに教えてあげたいな)
花の好きな彼のことだ。きっと夢中になって、フローリヒトが困るほど花をねだってしまうかもしれない。
そんな光景を想像して、思わず、くすりと笑ってしまう。そして、隣で興味なさそうに眺めていたメフィストに声をかけた。
「村の人たちは、フローリヒトを受け入れてたね」
「意外と魔物と共生している人間は多いよ。たとえば、グリュムフェルに火の番をさせたり、家事手伝いのコボルトなんかは有名じゃない?」
グレーテルは、家に住み着くというコボルトの話を、かつておじいちゃん神官から聞いたことを思い出した。でも、そのとき神官は、たしかにこう言っていたはずだ。
「魔物と一緒に住むのは、良くないことだって……」
「そんな教えを律儀に守る人間がどれだけいるんだか。便利さには代えられない」
フローリヒトがまた明るく光り、テーブルの上にぱさりと花を落とした。今度は、薄い青色の花だ。
「それなら、意外と悪魔と契約する人も多いの?」
メフィストが喉の奥でくつくつと笑う。愚問だと言うように。
「ほとんどいないよ。まず、魔物に比べて悪魔の数は圧倒的に少ない。そして、何より、魔物の力と違って、悪魔の力には大きな代償が必要になる」
ぱさり、ぱさり、と音がして視線を向けると、フローリヒトが部屋のあちこちに花を落としている。どうやら、部屋を飾り付けているつもりらしい。
「魂……」
ぽつりと呟いたグレーテルに、メフィストは深く頷き、やたらといい笑顔を浮かべる。
「心配しなくても、君の魂は酒の肴にでもしてあげよう」
「食べるのっ?!」
「レムルにした方がいい?」
「ど、どっちも嫌だ……」
頭を抱えて項垂れるグレーテルに、メフィストはつい、と背後を指さす。
「それより、そこの光ってるやつ止めなくていいの? そろそろ足の踏み場がなくなりそうだけど」
「えっ?」
振り返ると、そこには色とりどりの花が山のように積み上がっていた。フローリヒトはご機嫌に上下に揺れながら、ぱさり、ぱさりと絶え間なく花を落とし続けている。
「あっ! ちょ、ちょっと、これ以上は……あ、でも、花を受け取らないと、怒るんだっけ……?」
グレーテルは慌てて、あたふたとフローリヒトを窓辺へと誘導した。




