夕陽の中で、男は彼女の姿を求めた
本作は、家紋武範様主催の「夕焼け企画」参加作品です。
男は秘書代わりの助手に声をかけ、構内を歩き始めた。
この地方の秋の風は冷たい。
はらりはらりと、木の葉が落ちて行く。
寒さにも風にも負けず、ベンチでは若い男女が語り合っている。
ウチの学生だろうか。
二人でいれば、寒さも気にならないのだろう。
老年に差し掛かった男の顔に、笑みが浮かぶ。
――そうだな、私も、私と君も、寒さなんて気にならなかったね。
『ねえ、カジー。別々に落ちた葉っぱが、地面で重なる確率って、どれくらいだろう?』
『さあね。重なるって、葉っぱ同士が完全に一致すること? それとも八割方が重なれば、そう見なすの?』
あの時も秋だった。
落ちて行く葉は、夕陽を照り返して黄金色だった。
『もう! そんな前提条件を聞いているわけじゃないわ』
『ごめんごめん。でも、数学者にとって、前提は必須だからね』
唇を尖らすマリアの顔も、夕陽の色に染まっていた。
『真空状態じゃないと、計算出来ないな。でもマリア、何故そんなことを?』
マリアは目を細める。
彼女の額の綺麗な曲線は、計算で出せるのだろうか。
『確率計算が出来ないような、人間同士の関係と、ちょっと似ているって思ったの』
あの時は二人共、二十代前半だった。
未来への希望と同量の不安を抱いていた。
若い男は女より臆病だ。
低い確率の成功事例よりも、規定路線を歩く方が良い。
マリアは違った。
夕陽を眺め、こんなことも言っていた。
『太陽と同じような熱量を、地上で産み出すことって、出来ないかしら?』
『どうだろう。何か新しい物質でも使わないと』
その後、男はひたすら計算を続け、破綻のない生活を進んだ。
マリアは太陽の代わりになるような物質を、探し続けたのだ。
彼女の命を削りながら……。
あの時、男が全ての柵を越えていたら、どうなっていただろう。
いや、これで良かったのだと男は頭を振る。
マリアの才能を伸ばすのは、自分ではなかったのだから。
構内を歩いて、男はいつもの場所に辿り着く。
マリアに会える場所に。
あれから四半世紀が過ぎた。
でもここに居るマリアは、あの時と同じに見える。
夕陽を受けて、柔らかい微笑みを浮かべている。
少しの時間、男も時を遡り、マリアの面影に語り続けた。
「君が見つけた物質は、莫大なエネルギーを秘めているね。まるで君みたいだ」
助手が呼びに来るまで、カジーことカジミェシュ・ジョラフスキは、そこに建つ像に語りかけていたという。
像のモデル、マリアとは、マリ・キュリーの名で知られている。
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