傷ついたもの ③
「疲れた」
「だらしないなぁ。まだ数家しか挨拶してないだろ」
アランのつぶやきに、キアルが呆れた声を出す。
「仕方ないだろ。僕は初めての夜会どころか、茶会だって参加したことないんだから」
「ああ、そういやそうか」
キアルたちは幼いころから茶会を通じて交流の輪を広げていたこそから、こういった夜会の場での挨拶は簡単なもので済んだ。
けれど、アランはまったくの初対面の挨拶から。
公爵家との挨拶はローディス家だけで済んだが、侯爵家に至ってはまだ半分程度しか行えてない。
それに、これほどまでに多くの貴族たちと話すのは気疲れして
さすがに休憩したいと、付き添いをしてくれていたキアルとオルレンとともに、壁側へと移動したのだ。
「こちらを」
「ありがと」
行儀が悪いと分かっていながらも、アランは壁に背を預けて、オルレンから差し出されたグラスを受け取る。
グラスの中身はリンゴジュース。
微かに香る爽やかさがアランの気持ちをほぐしてくれて、喉が渇いていたのもあって、ごくごくと一気に飲み干す。
「兄上は?」
「外の空気吸ってくるって。さすがにアイツも色々ありすぎて混乱してるだろ」
「ま、それはそうだよね」
「しっかし、リネアラさまには驚いたよな」
キアルはリネアラを「リネアラさま」と呼び、「側妃」と呼ぶことはない。
以前、アランが不思議に思って尋ねると「母上がリネアラさまって呼ぶから」と、深く考えたこともないのかあっさりとした答えだった。
「まあね。けど、清々してたよ」
「ああ。まあ、な」
苦虫を嚙み潰したようなキアルと、「ええ、そうですね」となんとも言えない顔のオルレン。
ふたりの複雑な気持ちは無理もなくて
この国での離縁は、平民でこそ最近では珍しくなくなったが、貴族ではまだまだ珍しく、王族においては前例がない
それに、キアルたちにとって「王家に嫁ぐ」ことは例え側妃であっても名誉なことで、離縁などあり得ないという感覚。
まして、レオリードにとっては両親の離縁だ。衝撃は凄まじく、立ち尽くして言葉を失っていた。
けれども、シグルドから宣言されたときのリネアラは、心からの笑顔で
離縁されるなど不名誉だと、体面を、そして批判されることを恐れることなく
むしろ「離縁してやってやったわ。清々した」と言わんばかりの勝ち誇った笑顔は、アランだけでなくキアルがこれまで見たなかで、一番美しかった。
リネアラのそんな晴れ晴れした姿を、初めて見たキアルはもちろんぽかんとしたし、それは会場にいる貴族たちも同じ
ただ一人、キアルの母であるカーマイト夫人だけが、堪えきれずに「ぷっ」と吹き出して、笑いを噛み殺していたのだ。
「レオン、どうなるんだ?」
まだ公表はされていないが、マリナとレオリードの婚姻が『なかったこと』にされたのを、キアルは知っている。
アランが王太子内定を辞退した以上、これから先、レオリードへの期待が高まることは当然の流れで、キアルも本当ならレオリードへ祝いの言葉をかけたいのだが
「シスツィーア嬢とは、無理ってコトだよな」
あれほどシスツィーアへの想いを募らせているのだ。
マリナとの婚姻がなくなったのだから、想いを成就させて欲しいとキアルは思うけれど
「知ってた?マリナ・マーシャル、僕の婚約者候補だったって」
「は?」
「だから、父上はマーシャル公に次子をもうけさせて、マリナ・マーシャルを僕の正妃にするつもりだったってさ」
空っぽになったグラスをもてあそびながら、アランはなんてことないように言う。
「アランディール殿下?それは」
「うん。側妃が兄上の婚約者としてマリナ・マーシャルをあげたときに父上が怒ったのは、だからだよ」
「あー」
レオリードにとっての最高の婿入り先は、アランにとっても最高の婚約者の家。
国内貴族との繋がりを強化し、アランの足場を固めるために、シグルドは「アランと友人の娘との婚姻を」と、そう目論んでいたのだが
「ま、お祖父さま?先代国王が猛反対して、兄上の婚約者へと後押ししたんだよね」
「なんで、じいさまはそんなこと」
「ん?まあ・・・・・・・・・この国のため、かな」
アランが寂しそうに笑い、近寄ってきた給仕へグラスを返す。
哀愁すら漂わせた雰囲気のアランに、キアルはそれ以上尋ねるのは憚られて
「ま、問題はこれから先・・・・・・・だよ・・・・・ね?」
「ん?なんだ?」
「なんでしょう?」
にわかに会場内がざわめき始め、バタバタと走る音が響き渡る。
アランが不審に思いながら音の方へ視線を向けると、シグルドたちの前で騎士が跪いて何事か報告している。
シグルドも、隣にいるカイルドも両目を見開き、そしてリネアラですら扇で顔を半分隠しているとは言え、ぼう然としていて
シグルドの側へと控えていた騎士団長も、だんだんと険しい顔つきになっていて
「何か起こったみたいだね」
「行ってみようぜ」
アランを先頭に急いで駆け寄ると、壇上には緊迫した雰囲気が立ち込めている。
「では」
「なにごと?」
騎士団長の言葉をアランが話を遮ると、シグルドが緊張を孕んだ視線でアラン達を見る。
「エリック・マーシャルが、何者かに襲われた」
「なっ!?」
「犯人と思わしき人物が側にいて、いま騎士団へと連行しているとの報告です」
エリックの側に、犯人らしき人物
(まさか!?)
エリックと一緒に、シスツィーアも襲われたのかと思うけれど、それなら「シスツィーア嬢も一緒に襲われた」と告げられるはず
それなら・・・・・・・・・・・・・・・・・
アランの顔がサーっと青ざめる。
「まさか!?」
「ああ。連行されているのは、若い女性らしい」
名を上げることはないけれど、シグルドたちも同じ人物を思い浮かべていた。
最後までお読み下さり、ありがとうございます。
次話も本日21:00頃に投稿予定です。
お楽しみいただければ幸いです。




