シャルル・フライツマールはお友達 2
午前中の授業を終わらせた私とシャルルは、連れ立って食堂へと来ていた。
東棟と呼ばれる食堂のある棟を昼食に使う者もいれば、気分転換に噴水のある広い中庭で食事をとるものもいる。
中庭にはテーブルセットが並んでいるので、雨の日以外はゆっくりと食事をとることが出来る。
私はマリアンヌの言っていた『かつどん』と『らーめん』について考えながら、席についた。
食事は特に指定しなければ、給仕の者が勝手に運んできてくれる。
料金は使用回数が学費に加算されるけれど、あまり考えたことは無い。
その意味でいえば食堂は貴族のために作られているのだろう。
購買で買えるランチボックスに比べれば、コースで運ばれてくる料理はかなり金額が嵩む筈だ。
一応注文すれば金額を指定した料理にすることもできる。その際には給仕はつかないので、食堂の中の座る席は手前が貴族で、奥の方が庶民の方々といった印象である。
「それで、……私は色々聞いても良いのかしら?」
昼からコース料理を食べる事はかなり苦痛なので、私達は大抵の場合は簡単なオープンサンドと紅茶、もしくはメインの料理とパンか、スープとパンぐらいしか頼まないようにしている。
座って授業を聞いていただけなので、そこまで空腹でもない。
あまり食べ過ぎてドレスが似合わなくなるのも困るので、毎日贅沢な料理ばかりを食べてはいられない。
私は根菜を煮込んだスープとパンを、シャルルはロブスターとアボカドの入ったオープンサンドを頼んで静かに食べた後、食後の紅茶を口にした。
シャルルが言い難そうにきりだしたのは、食事を終えた生徒たちが少しづつ席を立ち始めた時だった。
「……えぇ、構いませんわ」
頷く私に、シャルルはきょろきょろと周囲を見渡したあと、小さな声で言った。
「レオン様は何を考えているの? コゼットとかいう女は一体何なの? 昨日の午後、二人で裏庭で仲睦まじく過ごしている姿を何人かの方々が見たと私に教えてくれたわ。あなたという婚約者がいるレオン様に媚びようだなんて、許せない。ただの落ち目の男爵令嬢の癖に、側妃を狙っているとかいうんだったら、身の程知らずとしか思えないわ」
「シャルル……」
シャルルはかなり怒っている。
その言葉にはふんだんに棘が散りばめられていて、まるで昨日の私を見ているようだ。
「アリス、あなたがレオン様に遠慮して言えないのなら、私がかわりに言ってあげるわ。どんな魂胆かしらないけれど、レオン様に近づくのはやめなさいって」
「良いのです、シャルル。そんなことはしなくても大丈夫です」
「どうして? だって、許せないじゃない。私もあなたも、レオン様とティグレ様の婚約者になってしまったわ。それは王家が決めた事。だからこそ、王命に従うために努力してきたわ。同じ年頃の子供たちが遊んでいるのに、私達は机にかじりついていたし、家庭教師にねちねち責められてきたわ。それなのに……!」
「ええと……」
コゼットの生い立ちもけして幸せではなかったと、どうやってシャルルに説明すれば良いのだろう。
生い立ちを説明したところでシャルルの怒りがおさまるかどうかは分からないけれど、少しは落ち着いてくれるかもしれない。
『ルーファスに調べてもらったって言えば良いんじゃない?』
あまり興味がなさそうに、マリアンヌが言う。
ルーファスと私が話していた時とはまるで違う、つまらなそうな口調だ。
元々あまりシャルルには興味がなさそうにしていたし、本当に関心がわかないのだろう。
それにちょっと眠そうでもある。
授業中もとても静かだったし、夜働いているのだから眠いわよね。
私は大丈夫なので、休んでいて欲しい。
『そうねぇ、あたしも眠気が限界マックスよ。いつもギラギラのあたしでも、もう駄目だわ。ちょっと寝るわよ。でもあんたのピンチには地平線の向こう側からでも駆けつけるから安心しなさい』
その言葉だけで十分。
私はもう立ち直っているので、そんなに心配はないと思う。
シャルルを納得させるぐらい、自分の力でどうにかしないといけない。
「ルーファスに、コゼットさんの出自について調べて貰いましたの」
「アリスの執事ね? あの背の高い、綺麗な顔の。ルーファスは、怒っていたでしょう? 私のメイドでも同じことをされたら怒るわよ。お嬢様が侮辱されたって怒り心頭で、ナイフを片手に突撃しに行くかもしれないわ」
「シャルルのメイドは随分好戦的なのですね……」
「まぁね。私がこんな風だから、こんな風っていうのは、年よりも小さくて子供っぽく見えるでしょう。動物でもなんても、小さいものは可愛いのよ。だから、可愛くてしょうがないんだと思うわ。過保護なのよ」
シャルルにも、公爵家から共に学園に来ているメイドがいる。
一度校門の前で馬車から降りるシャルルを見かけたことがある。
校舎まで一緒に行く行かないで年若いメイドと押し問答していた。たぶん彼女の事だろう。
「ルーファスも怒っていましたわ。あまり怒らないようには言ってきましたけれど……」
「そうでしょう、そうでしょう。自分の主が小馬鹿にされて怒らない従者はいないわよ」
ルーファスをあまり刺激したら、一歩間違えると私はお人形さんエンドとやらになってしまうので、気を付けなければいけない。
ルーファスの事は嫌いではないけれど、二人きりの別宅でお人形さんのように甲斐甲斐しく世話をされることを望んでいるわけじゃない。
できることならごく普通に幸せになりたい。
「でも、コゼットさんは、デンゼリン男爵家の養女らしいの。孤児だったんですって」
「ふぅん、それならもっとレオン様には相応しくないじゃない」
「……デンゼリン男爵家で小間使いのように扱われていて、卒業したらお金のために資産家の中年男性の元へと嫁ぐことになっているそうですわ」
「それが嫌で次期国王であるレオン様に近づいたってこと? なんて計算高い女なの。それは、資産家の中年よりは見目麗しいレオン様の方が良いわよね。男爵家で虐められる日々だって辛いわよね。でもね、だからってレオン様に近づいて良い理由にはならないのよ」
「そうかもしれないけれど……」
「目を覚ましなさいアリスベル。あなたとレオン様の婚約は王家の決めた事なの。私とあなた、王家に近しい権力があって年回りが丁度良い年齢の娘は私たちぐらいしかいなかったのよ。私とアリスが駄目だとすると、もっと年若い、それこそ今五、六歳の子供にその大役を押し付けることになるの。そんなのってないじゃない。こんな大変な思いをするのは、私達だけで良いと思わない?」
「それは……」
「私はあなたが大変な思いをして王妃教育を受けてきたこと、知っているわ。手紙の文字が涙で滲んでいる事に、気づかない私ではないのよ。だからこそ、そんなあなたの努力を、今までを踏みにじるようなことをするあの女は許せないと言っているの」
私の為に怒ってくれているシャルルが、とてもありがたい。
それにシャルルの言葉は論理的で、とても的を射ている。
マリアンヌの言葉にも説得力があったけれど、今の貴族社会の常識で考えればシャルルの方が圧倒的に正しい。
それでも私は、シャルルの言うように怒る気にはなれなかった。
「ありがとうございます、シャルル。心配してくれて、嬉しいですわ。でも、レオン様の気持ちが私に向かないのは、どうしようもないことなのです」
「どうして? アリスのどこが悪いというの?」
「シャルルとティグレ様のように、私達は親しくは無かったのだけれど、今まではそれで良いと思っていましたわ。婚約は義務だから、私は完璧な王妃にならなければと、思っていたのです。でも……、もう良いかなと、思いましたの」
「もう良いっていうのは……」
「あのね、シャルル。私、面白みのない女なんですって」
「……誰がそんなことを言ったの?」
「レオン様は、そう思っているみたい。……だから、そんなレオン様の為に努力するのを、しばらくやめようと思いますの」
私がそう言うと、シャルルは暫く難しい顔で黙っていた。
それから私をまっすぐ見ると、どこか人の悪い、にんまりとした笑みを浮かべた。