淡い感情
もう夜も遅い。
校外学習は遊びではなく騎士科志望の生徒達にとっては試験と同じなので、皆既に各自の部屋で休んでいるのだろう。
誰もいない静かな廊下を三階まで歩き、案内されたのはオスカー様の部屋だった。
オスカー様の部屋でオスカー様と二人きりになるなんて本当は駄目なのだけれど、それを理解していないオスカー様ではないことぐらい、そのひととなりを知っていればすぐに分かる。
間違いなどはまず起こらず、私が一人きりで部屋にいるよりも余程安全。
それがオスカー様という方だ。
なので私は一瞬戸惑ったものの、ベッドと椅子だけがある簡素な部屋へと入った。
扉は薄く開いたままになっている。
密室にしないようにというオスカー様の配慮だろう。
オスカー様は校外学習用の騎士団の制服に似た作りになっている茜色の飾りがある黒い制服を脱いで、椅子の背もたれに徐にかけた。
制服の下は白いシャツだ。薄く筋肉の隆起が見える。
筋肉が好きなマリアンヌが騒ぎそうなものだけれど、今日は朝からとても静かだった。
コゼットやシャルルとの交流の邪魔をしないようにしてくれているのかもしれない。
別に私は話しかけてくれても構わないのだけれど、マリアンヌは女性に興味がないので仕方ない。
私はきょろきょろと部屋を見渡して、どうしようかと思いながら扉の前で立ち止まる。
座って良いものかしら。
どこに座れば良いのだろう。やや疲れたように見えるオスカー様がなんだか男らしくて素敵。
あまり見てはいけない気がするのに、シャツから覗く太い腕や、骨の浮き出ている首筋を見てしまう。
怪我をしている様子はない。
オスカー様は王国一強いので、怪我を負う事はないのだろうけれど、見える場所の肌が綺麗な事に私は安堵した。
「……他に良い場所が思い浮かばなくて、……申し訳ありません。……ベッドに、座りますか? 椅子よりはまだ良いかと」
オスカー様は腰から下げている剣をベルトごと外して、部屋の片隅にごとりと置いた。
重たい音がする。実際重たいのだろうけれど、オスカー様が帯剣しているとその重さがまるで感じられない。
ここで断るのも妙なので、私は緊張しながらベッドへと座った。
確かに硬そうな木の椅子よりも座り心地は良いのかもしれない。それにしても、ベッド。
分かっている。
オスカー様のことなので、他意はないことは分かっているけれど、どうにも落ち着かない気持ちになる。
「あのまま食堂で話を続けて、他の人間にあなたの姿を見られたくなかった。かといって、……会話を無理やり終わらせて部屋に戻っていただくこともできなかった。この時間帯に外に連れ出すわけにもいかず、私の部屋しか選択肢がありませんでした」
「私と話しているところを見られると、良くないということですの?」
心配になって私は尋ねる。
食堂で話をしていたらよくない理由があるのだろうか。
もしかしたら、私のせいでオスカー様は困った事態になっているかもしれない。
不安になって胸の前で両手を組んだ。
オスカー様は困ったような表情を浮かべたまま、視線を窓の方へと向ける。
「……いえ、そういう訳ではなくて。……それは夜着、でしょう? 私は見ても良いという訳では勿論ありませんが、それ以上にあまり、人に見せたくない」
「え? あ……あぁっ! 私、ごめんなさい。……大浴場に行っていて、そのまま部屋に戻るつもりでしたの。でも、オスカー様を見かけて、どうしても話しかけたくて……!」
私は慌てて肩にかけていたショールで体を隠した。
薄い夜着は、制服と違って艶やかに体に張り付いていて、ふわりとはしているけれどどうにも心もとない作りになっている。素足に室内履きだけをはいているので、足も素肌を晒していた。
あまり褒められた格好をしていない。
ルーファスなどが今の状態を知ったら、「お嬢様、侯爵家の令嬢として流石にどうかと思いますよ」と咎められるような姿だ。
オスカー様が困っていたのは私の迂闊さについてだろう。
私ときたら、また迷惑をかけてしまった。
今までの私はそつがなくて隙もなくて、こんなことはなかったというのに。
反省している私に、オスカー様は優しく笑って下さった。
窓に向けていた視線を戻し小さく息をつくと、制服をかけてある椅子に座って、長い足を組んだ。
「あなたにどうしても、話しかけたいと思っていただけるなんて有難い事です。……私も、……本当は部屋に帰っていただくのが正しい判断だと分かっているのに、それが出来なかった。アリスベル様ともう少し、話をしたいと思ってしまいました。人に見られたらよからぬ噂が立つかもしれないとは分かっているのに、部屋に連れ込むなど、……友人として、気安くして欲しいと言って下さったあなたの優しさに、私は甘えすぎてしまっているのかもしれません」
「そんなことはありませんわ! 私は嬉しいです。それに、オスカー様が真面目で誠実な騎士の鏡のような方だということを知らない方はいませんもの。悪い噂が立つとしたら、私の所為です」
「私は、噂が立っても困るということはありませんが、アリスベル様の名誉が傷つくのはいけません」
「私も傷ついて困るような名誉は持ち合わせておりませんわ。……それに、あのまま部屋に戻れと言われたら、私の事ですから、嫌われたと思って明日の朝までずっと落ち込んでいたかもしれません」
「私がアリスベル様を嫌うなどということはあり得えませんので、そのような心配は必要ありませんよ」
「でも、思い悩んでしまうのです。……このところ、お会いできませんでしたし、お忙しいのはわかっていましたけれど、どこかで怪我をなさっていたらと思うと、心配で」
コゼットは、大浴場でシャルルに気持ちはきちんと伝えないといけないと言っていた。
叱られていたのはシャルルだけれど、私も他人事には思えなかった。
私だって、きちんと言っていない。
だから伝えないといけないと思う。
心配だったこと、もしどこかで傷つき倒れ、もう会えなくなってしまったらと思うと不安で仕方なかったこと。
遺跡探索に参加すればオスカー様に会えるかもしれないと、どこかで期待していたことも。
オスカー様は伸びてしまった前髪をかき上げると、眉間に皺を寄せる。
怒っているのではない、照れているのだと今はすぐに分かる。
「……赤玉ドラゴンと、巨大な地底蛸の関連性を調べていました。魔物が増える兆候もなく、瘴気が濃くなるということもなく、魔力濃度にも変化はなかった。王都周辺の魔物が湧きやすい場所を調べつくしましたが、問題はありませんでした。念のために明日の遺跡も隅々まで調べましたが、変化はなく」
「そうですのね……。そういったことは、騎士団や宮廷魔導士の方々のお仕事ではありませんの?」
「確かにそうなのですが、どちらも私がその場にいて関わっていたので、無関係とは言えませんし、……気になることもありましたので」
「気になる事?」
「土地に問題がないとしたら、アリスベル様の腕輪になにか、問題があるのかと」
「腕輪に?」
私は自分の腕を押さえる。
お兄様が下さった貴重な物ではあるし、悪用されるかもしれないとルーファスに言われたこともあり、基本的にはずっと腕に腕輪をつけるようにしている。
違和感はないのでつけていても気にならないのだけれど、オスカー様に指摘されて急に腕がずっしりと重くなったような気がした。
「はい。可能性は全て潰しておきたいので、ソルト様と話をしてみました」
「お兄様と?」
「話を聞いた限りでは、特に腕輪自体に何か特殊な力があるわけではなさそうでした。私の理解できた範囲での話ですが」
「お兄様は掴みどころがなくて、何を言っているのか分からないところがあるでしょう?」
「……はい。……いえ。……何というか、魔石への理解が高く聡明なのだと思います。私よりも余程」
「気を遣わなくても大丈夫ですわ。私も昔は良く、お兄様に騙されたものです。綺麗な花畑があると言われて、喜んで花を摘んでいたらそれが全部歩く花で、持ち上げられてどこかに連れ去られそうになったり。色々ありましたわ」
「そうですか……。それは、随分な思いをしましたね」
オスカー様は口元を手で押さえている。笑いそうになっているのを我慢しているようだ。
「子供のころのことですから、笑って下さっても大丈夫ですわ。お兄様も大人になりましたし、今は私を騙したりはしませんし……」
「随分、お可愛らしいなと思いまして。アリスベル様。明日は私が遺跡の警備についています。傍にずっといるわけではありませんが、何があっても必ずあなたを守ります。ですが、どうかお気をつけて」
「大丈夫ですわ。オスカー様の御蔭で、地底蛸を炎魔法で倒せるぐらいにはなりましたし……。でも、ありがとうございます。心強いです」
「腕輪については問題ないと分かりましたが、偶然が続くというのも、どうも気になります。点検した限りでは、問題のないいつもの遺跡でしたが……」
「心配してくださってありがとうございます。私達の為に夜遅くまで働いてくださって……。感謝してもしきれませんわ。オスカー様、ご無事で良かった。こうして、お話できて、私……嬉しいです。疲れていると思いますのに、私に時間を割いてくださってありがとうございます」
「アリスベル様の顔を見たら疲れなどは忘れました。校外学習の参加など危険だと言いたいところですが、……こうしてあなたと話せるのは、あなたがここに来てくださったからですね。とても、危険だから駄目だとは言えなくなってしまいました。……ここまで連れてきておいて、そんな事を言う権利は私にはありませんから」
苦笑交じりにオスカー様が言う。
オスカー様も私と話をしたいと思って下さっていたのが分かり、嬉しかった。
嫌われている訳でも、避けられているわけでもない。そんな心配はする必要はないのだろうけれど、どうしても考えてしまう。
私はレオン様に真面目だけが取り柄のつまらない女だと思われていた。実際自分でもそうだったと思う。
変わろうと思って色々行動してはいるけれど、未だに自信は持てない。
「オスカー様、お話できて嬉しかったです。校外学習が終わったら、皆で食事などできると嬉しいですわ」
「……そうですね、是非」
オスカー様は少しの沈黙の後穏やかに微笑んでくださった。
私は立ち上がる。随分長く話をしてしまった、そろそろ帰らなければと思う。
部屋まで送ると言ってくれたオスカー様と共に、コゼット達の待つ部屋へと戻った。
扉を開くと、そこには何故かコゼットと、シャルルと、それからクロード先輩と、何人かの騎士科の先輩方がカードゲームに興じていた。
「あ! アリスベル様、お帰りなさいー! 見てください、コゼットちゃんの全勝ですよー! 軽く百ゴールドは稼ぎましたね、やりましたよー!」
コゼットの背後には、ゴールドが詰まれている。
シャルルは憤慨していて、騎士科の先輩方は蒼褪めていて、クロード先輩は涙目になっている。
「お前たち……、何をしている……?」
地の底から這う様なオスカー様の声が部屋に響く。
騎士科の先輩方は慌てて荷物をまとめると、部屋から逃げるように出ていった。
クロード先輩だけはオスカー様に縋りつく様な視線を送っている。
「オスカー! コゼットのやつ、俺から五十ゴールドも巻き上げやがった!」
「泣き虫クロちゃんは相変わらず最弱ですねぇ、やめといた方が良いですよ、カードゲーム」
「泣き虫クロちゃんとか言うんじゃねぇよ! なんでばれたんだ、隠してたのに……!」
「顔で分かりますよぅ」
「全然気づいて無かったじゃねぇかお前……!」
クロード先輩とコゼットの小競り合いを、シャルルがにやにや見つめている。
私の方を向いて唇の動きだけで「ロマンスだわ」と言っている。
ロマンスなのだろうか。良く分からないけれど、確かにそんな予感もする。
オスカー様は深い溜息をついて、なおもコゼットと言い合うクロード先輩を引きずって帰っていった。




