校外学習の開始
気の早い私は翌日三日分の着替えをルーファスと一緒に準備した。
ルーファスは「気を付けて行ってきてください」と言ってくれた。
危険だから駄目だと言われるのかと思ったけれど、そんなことはなかった。「お嬢様がせっかく生き生きとしていらっしゃるのに、確かに心配ではありますが、駄目だとは言えません」と言う。
コゼットが教えてくれた遺跡の中の魔物料理について伝えると、興味深そうに聞いていたので、もしかしたらそのうち新しい食材が料理に追加されるかもしれない。
他のものは良いけれど、青毒蛙の卵だけはやめて欲しいとお願いしておいた。
念のために短剣を、と再び提案してみたのだけれど、結局却下されてしまった。
間違って手でも切ってしまったら、その方が余程危ないというルーファスは多分正しいのだろう。
それに短剣の練習を行うよりも、炎魔法以外にも魔法を覚える方が先だろうと言われた。その通り過ぎて言い返せない。
炎魔法は、威力は低いものの地底蛸を一撃で倒せる程度にはなってきたので、怪我を治すための治癒魔法の練習を行いながら日々を過ごした。
とはいえこの治癒魔法の練習というものは厄介で、日常生活の中で怪我をするということはあまりない。
治療院で働いているというならまだしも、学園の中で怪我をしている方と巡り合う機会というのはそうそうないため、治療対象がいないのだ。
自分に治療を施してみても、何となく体が軽くなる、程度しか感じられないので、いまいち使用感に乏しいのである。
騎士科の方々なら怪我をするかもしれないと思いオスカー様を訪ねてみたけれど、実技訓練場にはクロード先輩しかいなかった。「オスカーはこのところ忙しくてな。王都近郊の洞窟に変な魔物が出たんだろ? 近く、アリスベル達一学年の校外学習があるから、王都から遺跡までの間道に妙な変化がないか、確認して回ってる。真面目だよなぁ」と言っていた。
ついでに「オスカーに会えなくて残念だったな、アリスベル」とにやにやされて、頭を撫でられた。
そんなことはないと否定できなかった。
登校時間に偶然会ったり、時々昼食に誘ったりしてくれる(それは大抵コゼットとシャルルによって却下されるけど)レオン様と違い、オスカー様は私に無暗に会いに来たりはしない。
立場を弁えている方ではあるし、聖クロノス騎士団の任務に呼ばれる事も多いと聞く。
色々と忙しいとは分かっているのに、なんだか少し寂しい気がした。
静かな夜にひとりきりでベッドに横になって目を閉じると、聖クロノス騎士団の衣服を着た凛々しい姿のオスカー様が思い出される。
洞窟の中で巨大な魔物から身を隠した時、私を抱き寄せてくださった体は大きくて逞しくて、安心することができた。
――きっとあの腕の中は、王国一安全な場所だろうと思う。
クロイツベルト王国ではオスカー様の右に出る者はいないと言われる程にお強いので、それ故の安心感なのだろう。
でも、その強さが評判だから、聖クロノス騎士団長を務めるストライド家のご子息だから、オスカー様はまだ正式な騎士団ではないのに、危険な任務に駆り出され最前線で戦わなくてはいけない。
オスカー様はどこかで怪我をしたりしていないだろうか。
危険な目にあってはいないだろうかと思うと、胸の奥が痛む。
きっと大丈夫だという気持ちと、もしかしたらどこかで傷つき倒れ、二度と会えなくなってしまうかもしれないという不安がぐちゃぐちゃになり、このところお会いできないことも重なってか、眠れなくなってしまう事が増えた。
どのみち私には祈る事しかできない。
クロノス様に祈りを捧げると少しだけ落ち着いて、眠りにつくことができた。
時々だけれど、クロノス様に祈りを捧げているとマリアンヌが『あんたってばホント健気で良い子ねぇ、大丈夫よ』と励ましてくれることもあった。
校外学習の当日、私とコゼットとシャルルは王都の門の前でルーファスとティグレ様に送り出してもらった。
ティグレ様は最後まで一緒に行くと言っていたけれど、シャルルに「ついてきたら一生口をきかないわよ」と言われて流石に引き下がったようだ。
コゼットは大きいけれど中身が入っていなそうな布鞄を背負っていて、私も必要なものの入った鞄を背負っている。
シャルルは体力を考慮して、いつもの侍女が先に彼女の荷物を宿泊施設までもっていってくれたのだと言う。
というのは口実で、ティグレ様と一緒でどうしてもついていくと言ってきかなかったので、荷物を届けるという口実を作って追い払ったらしい。
シャルルは愛されていると感心すると、過保護なだけだと言って憤慨していた。
「ティグレ様も侍女さんも、絶対隠れてついて来てますよ? シャルル様の全てを見守りたい人たちが、シャルル様のはじめての遠足を見逃したりしませんって」
「はじめての遠足とか言うんじゃないわよ! 校外学習よ!」
「だってシャルル様、可愛いんですもん」
足取りの軽いコゼットが、弾むように歩きながらシャルルを揶揄っている。
確かに今日のシャルルは可愛い。いつもは大人びてみせたいためにおろしている赤い真っ直ぐな髪を、耳の横で二つに縛っていて可愛い。
歩く度にそれが揺れるのを永遠に見ていられるぐらいに可愛い。
シャルルが怒りそうだから言わないけれど。
ゆっくりとした足取りで進む私たちを、男子生徒の方々が追い抜いていく。「お気をつけて」とすれ違いざまに言ってくれるので、なるだけ真面目な表情で挨拶を返すように心がける。
やっぱり遊び半分で参加している、と思われるのは良くない。
コゼットはにこにこしながら男子生徒の名前を呼んで「お互い頑張ろ~」と言っていた。
コゼットの交友関係についてはあまり知らないけれど、彼らもコゼットに対しては気安いところを見ていると、随分友人が多いのだなと感心した。
シャルルも同じように感じたのか、なんだか不思議そうにコゼットを見ている。
「ねぇ、コゼット。あなたって結構まともに、他の生徒とも交流してるのね?」
シャルルに問われて、コゼットは肩を竦めた。
「シャルル様、私こう見えてかなり普通の一般人なんですよ? 元庶民ですし。それはともかく、騎士科志望の皆さんとは食糧集めの最中に割と会ったりするんですよ。こんなものを食べるのかって言って、面白がって倒した魔物の素材を譲ってくれたりしますね。特に生活に困ってない貴族の方々は、心にゆとりがあるので、よく物をくれます」
「そうねぇ、黙ってれば見た目だけはよいものね、あなたは」
「全くシャルル様ってばすぐにそうやって恋愛で物事を考えるんですから~、私が好きなのはアリスベル様なので、心配しないでくださいね、アリスベル様!」
「心配はしていないけれど……」
シャルルの背中をつついて盛大に嫌がられたあと、コゼットが私の腕に抱き着いてくる。
そういえばと思い出して、私は気になっていたことを聞いてみることにした。
「クロード先輩は、コゼットと同郷のようだけれど、知り合いではなかったの?」
「クロード騎士科副学科長様ですか? 私と同郷?」
「えぇ。デンゼリン男爵家の所有する鉱山のある、近くの村出身だとおっしゃっていたわ」
「えー……、えぇ……、えぇっとぉ……クロード・ワイマール……?」
コゼットは私の腕にしがみついたまましばらく唸っていた。
それからはっと気づいたように顔をあげて、大きな声をあげる。
「泣き虫クロちゃん!」
「……泣き虫、クロちゃん?」
私とシャルルは顔を見合わせた。
今のクロード先輩の姿とはかけ離れた呼称だ。コゼットは私の腕からやっと離れて、両手をぽんと合わせた。
「私のいた孤児院のある村に、泣き虫クロちゃんも住んでたんですよねぇ。いやぁ、良く虐めて泣かせました。そうですか、あの泣き虫クロちゃんが、クロード騎士科副学科長様ですかぁ……。大きくなったものですねぇ」
「あなたの方が年下でしょう?」
「それがですねぇ、シャルル様。泣き虫クロちゃんは、小さなころは体が小さくて、打たれ弱かったんです。私はよく捕まえたうねうねした虫や、羽のある虫や、足のない虫なんかを、クロちゃんの背中に入れて泣かせたものです」
「なんて非道な事をするの……。何のために……?」
公爵家の令嬢であるシャルルにはそんな経験はないらしく、蒼褪めている。
私はお兄様によく騙されて、スライムの巣穴などに指を入れさせられてスライム塗れにされたり、絡めとる蔦の茂った林に連れ込まれて体中に蔦を絡ませられたりしていたので、何となくコゼットの話は理解できた。
お兄様にも悪意はないのだ。
ルーファスに怒られたお兄様は全く悪びれずに「だってアリスがあまりにも簡単に騙されるから面白くて」と言っていた。理由なんてそんなものである。
「最初は、村の中で割と偉そうにしてたクロちゃんが、私や孤児院の皆を親がいないといって馬鹿にしたからやり返してただけなんですけど、そのうち楽しくなってしまってですねぇ……。デンゼリン男爵家に引き取られる時も、もうクロちゃんを虐めて遊べないのかと思うと、それだけが心残りでしたね」
「……なんて、可哀想なクロード。……今の話、聞かなかったことにしておくわ」
シャルルが辛そうに俯いた。
「クロード先輩は、コゼットとは知り合いではないとおっしゃっていましたけど、知られたくなかったのかもしれませんわ。余計な事を言ったかしら、私」
私も反省をする。
もしかしたらクロード先輩は隠したかったのかもしれない。
コゼットは特になにも気にしていないのか、明るく笑った。
「そっかー、泣き虫クロちゃんも随分大きくなりましたねぇ。大丈夫ですよ、私ももう大人になりましたので、背中に虫を入れたりはしませんから! あれは、若気の至りというやつです。今度会ったら謝らないといけませんねぇ、もしかしたら、私のせいで虫が苦手とか、そういうのがあるかもしれませんしね」
「でも……、そうね。……クロードが孤児だったあなたを馬鹿にしたのも悪いのだし、コゼットはちょっとやり過ぎなような気もするけれど、あなただけが悪い訳じゃないし。子供の頃の話だものね。今は、仲良くしているんでしょう?」
シャルルが遠慮がちに言う。
コゼットだけを責めてしまったことについて気にしているようだ。
口調は強いし気も強いけれど、シャルルはかなり繊細で、とても優しい。
私はそれを知っているし、コゼットも分かっていると思う。学園に入ってからまだ三か月も経っていないけれど、毎日一緒にいるのだから。
何だか今は、家族よりもずっと長い時間を過ごしているような気がする。
「そうですねぇ、割と良くしてもらってますね。でも、言ってくれたら良かったのに。クロちゃんて呼ばれるのが嫌だったんでしょうか。女生徒に大人気ですしねぇ、クロちゃん。いつも囲まれてきゃあきゃあ言われてますし、やっぱりこう、男の沽券みたいなものが……」
「あー……、まぁ、多少はあるんじゃない? 泣き虫クロちゃん! とか、大声で言われたら、立ち直れないかもしれないわね」
「気を付けますぅ」
シャルルに注意されて、コゼットは適当な返事する。
絶対気を付けない気がする。
私とシャルルは再び顔を見合わせて、小さく溜息をついた。




