オスカー・ストライドと行く初心者に最適な洞窟探索 2
一瞬時が止まったかのように思えた。
すぐに我に返った私は、無事だったローブの前合わせを慌てて寄せて胸部を隠した。
オスカー様は何も言わなかったけれど、このあられもなく情けもなく侯爵令嬢としてはあり得ない姿を見られてしまった筈だ。
以前ドラゴンに襲われた時も太腿をさらけだしてしまったけれど、太腿に次いで胸。
今度は、胸。
これじゃまるで、痴女じゃないの私。
どうしてオスカー様といるときに限ってこんな状態になってしまうのだろう、恥じらいのない痴女だと思われてもおかしくはない。
もう、泣きそうだ。
『悪役令嬢ちゃんとか、当て馬ちゃんって、なんでか知らないけど豊満ボディって相場が決まってるのよねぇ、アリスちゃんも中々だわね。ついでにナイスバディを持つ者の宿命として、やっぱりモンスターに襲われた時はお色気イベントがつきものなのよ……。これもまた世界の真理よ』
どういう意味かよくわからないけれど、マリアンヌの説明で特に慰められるということは無かった。
「あわわわ……」
謎の声をあげながら、私はローブのボタンを閉めようとした。
焦って手が震える。
中々閉まらないボタンに四苦八苦していると、オスカー様が私の両肩をそっと掴んだ。
「アリスベル様、……何も見ていませんので、落ち着いてください」
「そ、そうですよね、そうですよね、お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありませんわ……っ」
「……アリスベル様はいつでもお美しくていらっしゃいますので、落ち着いてください」
「ひ、ひえぇえ……っ」
『ひぇええええっ!』
混乱の境地の私は更にオスカー様にお美しいと言われたことで更に混乱した。
そんな、美しいだなんて、そんな。
褒められ慣れていないのよ、私は。
オスカー様は落ち着かせようとして言ってくれたのだろうけれど、逆効果だ。
ついでにマリアンヌも私と同様の反応をしている。
マリアンヌが動揺しているのだから、オスカー様の言葉が罪深いに違いない。
オスカー様は自分の容姿や普段の言動を顧みて発言をなさって欲しい。
普段そういうことを言わなそうな方が言う誉め言葉程破壊力は限りないし、オスカー様はちょっとどころではなく容姿が整っていて素敵なのだし、女性に対して浮ついた言動をしない方だと分かっているので、とても、とても動揺してしまう。
これは私の所為ではない。
全面的に罪深いオスカー様が、私の慌てぶりを見かねたのか、ぷちぷちとローブの前ボタンを嵌めてくれた。
それは幼い妹の面倒を見る様な仕草で、全くこれっぽっちも、いやらしさがないのがまた、とても素敵だと思う。
――ね! マリアンヌちゃん!
『そうね、あんた本当に分かってるわ!』
同意を得られた私は若干安堵しながら、乱れた息をただした。
ローブで穴の開いた衣服は隠れている。
地底蛸の体液が衣服を溶かすとは知らなかった。魔物の本に書いてあっただろうか。
「……ありがとうございます、情けないところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、大丈夫ですか、アリスベル様。お怪我は?」
「とくにはありませんわ。地底蛸は、危険な魔物ですのね……」
「……いや、……私は実際に絡みつかれている方を見るのは初めてでしたね……。手助けに入るのが遅れてしまいました。あのように絡みつくとは、今後の参考になりました。ありがとうございます」
「……皆さん、地底蛸と戦うことはあるでしょう? 絡みつきませんの、体に? 素早かったのに?」
「そうですね……。大抵は、一撃で倒すことができますし。一撃で仕留められなくても、向こうが襲い掛かってくる前には。アリスベル様、何事も経験です。次は気を引き締めていけば大丈夫かと」
「そうですわね……! 次は頑張りますわ!」
オスカー様が励ましてくださるので、私は両手を胸の前で握りしめた。
その両手をオスカー様が困惑した表情で見つめる。
それからそっと頭を振った。
「衣服が、破けてしまいましたし……、今日は帰りましょうか? また次回があります」
「大丈夫です。ほら、ローブで隠れましたわ! 今の私は、ローブの下が裸体でも誰も気づかないくらいの服装をしていますので、問題ありませんわ!」
薄手だけれど、布の多い長いローブを羽織ってきて良かった。
私は胸を張りながら返事をした。
これぐらいで逃げ帰っていたら、それこそ情けない。
それに、オスカー様にせっかく同行していただいたのに、地底蛸一体倒しただけで帰るなんて勿体ない。
「……そうですか、分かりました」
オスカー様はまた微妙に視線を逸らしている。
『アリスちゃん……。あんた、ほんと、お色気イベントに愛された当て馬ちゃんね……』
マリアンヌちゃんの若干気の毒そうな声が聞こえたけれど、何のことか私にはよくわからなかった。
地底蛸の落した魔石は、頼んでもいないのに私の腕輪に吸収されてしまった。
ルーファスへのお土産に地底蛸の触手を拾って背負った布鞄に詰めると、私達は再び歩き出した。
私はもう油断していない。
流石に学んだので、それから何体も現れた地底蛸をきっちり焼きダコにしてあげながら、素材を拾い集めた。
どういうわけか魔石は全て腕輪に吸収されてしまったけれど、それはきっと不足した魔力を補っているだけだと思うので、気にしないことにした。
背負った布鞄が地底蛸の触手で溢れてくると共に私の炎魔法は洗練されて、一撃で地底蛸を焼きダコにすることが出来るようになってきた。
「……アリスベル様の詠唱は、少し変わっていますね」
十数体目の地底蛸を焼いてその触手を拾っていた私に、オスカー様が言う。
「教科書とは少し変えましたのよ。その方が、意味が伝わりやすい気がして」
「アグニに祈りを捧げているように聞こえます」
「そうですね。魔法の詠唱は、基本的には世界に降り立った七人の神に捧げられている物です。魔族の方はまた違うのでしょうけれど、私達人族が使うものは、それぞれの神の力を借りている、と言えるのではないでしょうか」
「あまり深くは考えたことはありませんでした。私にとってそれは、ただ力を引き出すために、意識を集中させる言葉に過ぎなかったので」
「オスカー様のように魔法を使える方にとってはそうなのかもしれませんわね。私のように、まだ慣れない者にとっては、分かりやすい方が意識を集中しやすい、ということもあります。……それに、私は、クロノス様に祈りを捧げるのは日常のようなものですから、炎魔法の場合は、アグニ様直々に祈った方が集中しやすいと言いますか……」
「そういえば、はじめてきちんと話をさせていただいたとき、アリスベル様は礼拝堂にいらっしゃいましたね。アリスベル様は、クロノス神を信じているのですか?」
「はい! 勿論、会ったことはありませんけれど、クロノス様はいつでも私たちを見守ってくださると思っていますわ。クロイツベルト王国の、父なる神ですので!」
クロノス様の事を問われて、私は嬉しくなってつい声を大きくしてしまった。
『そうなの~、良い子ね~!』
マリアンヌが何故か嬉しそうに言葉を返してくれる。
これはきっと、マリアンヌがクロノス様に遣わされた守護天使だからだろう。
マリアンヌとクロノス様の関係は分からないけれど、きっと下々の者には言えない何かがあるのだと思う。
「そうですか。……聖クロノス騎士団の名の元、私もクロノス様には深く信仰を捧げていますが、王妃様の計らいでどうやら、いくつかの教会は壊され、リンドブルム王国のフェンリル様を祭る教会が建つという話ですね」
「信仰は、例えば、……自分を愛する、力のようなものです。クロノス様に祈りを捧げても返事はないですけれど、クロノス様を信じ、自分を律して、恥じぬように生きれば、……そんな自分を愛することができます。……それがどの国の神でも、私は同じだと思いますわ。王妃様も、慣れない異国の地で、信じる者が欲しいのでしょうね」
「……そのように考えたことはありませんでした」
「偉そうなことを言いましたわ……! 私ったら、ごめんなさい。私はそうだというだけで、王妃様のお心は、私にはわかりませんわ」
「アリスベル様……、あなたは、本当に……」
薄暗い洞窟に掲げられた魔力の光が、オスカー様の秀麗な顔を橙色に照らしている。
私の背負っている鞄を代わりに持ってくれているオスカー様の背後からは、ぬらぬらした触手が見え隠れてしているけれど、それを差し引いてもとても素敵だ。
『それはアリスちゃんが、地底蛸の触手を馬鹿みたいに大量に集めるからでしょ! 全部持って帰る気なの、食べるの、まさか!』
物を粗末に扱うのはいけない。
お兄様もいらない素材があったとしたら欲しいと言っていたし、ルーファスも喜ぶだろうし、コゼットも喜ぶだろうし、やっぱり倒したらその分は持ち帰らないと。
『せっかくの胸キュンシーンなのに、背後にうねってる触手の所為でなんとも言えない気持ちになるわね……。たとえ大量の触手を背負っていようと、オスカー様は素敵だけども!』
それは私も同意見だ。
オスカー様が背負っていれば、触手すら金の王冠みたいなもの。後光がさしている、と言えなくもない。
私が背負わせているので、ほんと、なんていうか、ごめんなさい。
「アリスベル様、……私は、少しでもあなたの時間を独占できて、今とても、幸せです」
「……オスカー様、私、ローブの下は半裸ですし、オスカー様に沢山の触手を背負わせてしまっていますけれど……」
それでも、私と過ごせて嬉しいと言ってくれるのだろうか。
普通だったら呆れたり怒ったりするのではないだろうか、良く分からないけれど、昔のレオン様なら怒りそうなものである。
「……っ、はは……っ」
オスカー様は、耐えきれなくなったように口元に手を当てて笑い出した。
その姿がなんだか可愛らしくて、私は胸の奥が疼くのを感じた。




