男なんて星の数ほどいるらしい
貴族の結婚とは義務だ。女性の役割は男児を産むこと。
賢さも大切ではあるけれど、それ以上に大切なのは義務を果たす事。
自分の感情なんて二の次だと、そう厳しく躾けられてきた。
それなのに、レオン様はコゼットと結婚したいがために、私との婚約を破棄するのだという。
それじゃあ、私はどうなるのかしら。
そしてそれが分かっていてこの先、どんな気持ちでレオン様と向き合えば良いの?
『婚約破棄ぐらいなんだっていうのよ。それぐらいが傷なら、あたしなんて傷だらけよ。最早瀕死よ。瀕死どころか即死だわよ。でも良いわよ、何回埋められても墓から這いずって出てきてやるわよぉ、シゲミ・ゾンビ・マリアンヌよ!』
「それは、アンデット、ということですの?」
『思い出してきたわ、あんたの世界。灰かぶりと王子様の世界って、本編で特に活用されるわけでもないのに、無駄に設定細かいのよね。モンスターから、半獣族から、魔族から、よりどりみどりだったわね』
「レオン様のお母様は、半獣族の姫ですわ。半獣族は半分獣の血が流れていて、獣に変化できますのよ。魔族は、魔力の高い方たちの事ですわね。魔力の高さに応じて、角や羽がありますの」
『知ってるわよぅ。それぞれに国があるけど良好な関係で、人と魔族と半獣族が入り混じって暮らしてるんでしょ』
「流石マリアンヌちゃんですわね。私が説明するまでもありませんでしたわ」
『でしょ』
「……でも、マリアンヌちゃん。私、どうすれば良いのでしょうか。……先程までの私は、コゼットさんに怒っておりましたわ。明日にはちゃんと注意するべきだと思っておりましたの。それは、駄目、なのですよね?」
『あんたがそうしたいならそうしたら良いけど、十六歳の貴重な青春の日々を、望みのない無駄な恋愛に使うのはあたしは賛成しないわね~。だからさっきから言ってんじゃない、もっと他の男を見るべきよ、あんたは。そもそも見る目がないのよ』
「で、でも……」
『でももへちまもないわよ。あたしの世界じゃ、あんたの世界の主役はコゼットだけど、あんただって主役になんなさいよ。幸せってのはねぇ、自分の力で手に入れるもんなのよ』
「マリアンヌちゃん……」
『あとねぇ、コゼットにも悪気はないのよ? 人の男をぶんどる悪い子だけど、あの子だって養子に貰われたデンゼリン男爵家で、ろくに食事も与えられないで小間使いのようにこき使われてんの。学園を卒業したら、金持ちの爺の元へ嫁ぐ予定なのよ。金持ちの爺と結婚するよりは、王子様と結婚したいでしょ? でも、コゼットちゃん自身は、学園生活は一時の夢だって思ってるのよ。悪気はないの』
「そうなのですか……、私たちの国ではよくある話ですけれど、でも、辛いですわよね……」
だからって婚約者の居る男性と浮気をしていいかと言われると、そんなこともないのだけれど。
でも、私のことをつまらない女だと思っていて、庶民のコゼットに手を出そうとしているレオン様の方がずっとろくでもないような気がしてきた。
『これはねぇ、相手の男たちがコゼットを幸せにしてあげるお話なのよ』
「男たち……、ですか? レオン様ではないのですか?」
『あぁ、お話には何通りかあってね。どうも今のコゼットはレオンと一番親しいみたいだけど、親しくなる可能性がある方があと何人かいるのよ』
「そんな……、そんな……っ」
『はしたなくなんかないわよ、アリスちゃん。あんたも今日からコゼットみたいに、男たちを物色すんのよ。安心して、あたしがついてるわ。この百戦錬磨の夜の堕天使、マリアンヌちゃんに任せておきなさい』
「まさか……、魔族の」
『魔族じゃないわよぅ。魔性のオンナって呼んでくれても良いけど』
「違うのですか……」
マリアンヌはどんな方なのだろう。
口調は女性だから、きっと女性なのだろう。
私の立場を分かって、慰めて、応援してくれている。
流石は神様が齎してくれた守護霊だ。朝と夜のお祈りの時間を伸ばそう。神様に感謝を捧げなければいけない。
『信心深い子ねぇ』
「私の努力を見ていてくださるのは、王国の神であるクロノス様だけだと思っていましたわ。でも、マリアンヌちゃんも、見ていてくださったのですね」
『……あんたのことはあたしが絶対幸せにしてあげるわ、アリスちゃん。乙女ゲームという乙女ゲームをやりつくしたあたしは伊達じゃないわよ』
「意味はよく分かりませんけれど、よろしくお願いしますわ」
マリアンヌと話すことが出来て良かった。
私は間違えるところだった。
可哀想なコゼットを叱りつけて、自分の正しさを振りかざして、挙句婚約破棄をされて領地に逃げ帰る羽目になるところだった。
身分差を考えれば、コゼットは私に歯向かう事などできない。
レオン様はコゼットを守るだろう。
愛情を向けている相手であり、弱い立場の庶民であるコゼットをレオン様が守るのは、ごく当たり前のことだ。
そんな姿を、貴族の集まる学園中に晒した後に婚約破棄では、とんだ笑いものよね。
恥を晒すところだった。
レオン様の婚約者に選ばれて喜んでくれたお母様やお父様には申し訳ないけれど、レオン様との関係を拗らせて王家と対立してしまうよりは、穏便に生活しながら他の男性に目を向けた方がずっと良い気がしてきた。
挨拶を最後に、頭の中ではもう声が響かなくなった。
マリアンヌもずっと話続けているという訳ではないらしい。
マリアンヌもきっとどこかの国で暮らしていて、彼女には彼女の生活があるのだろう。
守護霊というからには霊的なものじゃないのかとも思うけれど、どうにもそういう訳でもなさそうなのよね。
マリアンヌの言葉は生命力に満ちている。
私の居る場所とは違う場所で、元気に暮らしているような気がする。
きっとまた現れてくれる筈よね。きっと。
私はごろんとベッドに横になった。
大丈夫。
もうレオン様とコゼットが二人きりのところに遭遇しても、動揺せずにいられる。
逃げも隠れもせずに、堂々としていれば良いのよ私。
だって、どうせ婚約は破棄されるのだし、レオン様の恋路を応援したうえで身を引いたアリスベル侯爵令嬢を演じた方が将来のため。
私は義務感からレオン様の婚約者だったので、別にレオン様が好きとかそういうことはないのだし。
そういうことは、無かったはず。
何となく胸が痛い気がした。
これはきっと私が今まで頑張ってきたからで、それを悲しいと思うのはただの自己憐憫よね。
『男なんてねぇ、星の数ほどいるのよ』
なんとなく悲しくなってしまった私の頭の中で、マリアンヌの言葉が何度も反芻された。
翌日、目覚めた私はぼんやりしながらルーファスに世話をされていた。
ルーファスは昔から我が家にいる従者の青年だ。
ルーファスの父親がレミニス家の執事長をしていて、その関係でルーファスも我が家で私と兄妹のようにして一緒に育ち、年頃になると執事見習いとして働き始めた。
銀色の髪は額にかからないようにしていて、やや長い髪を首の後ろで黒いリボンで結んでいる。
背筋がまっすぐで背が高く、私の執事になってからは執事用の黒い服を着ている姿以外を見たことがない。
泣いたり怒ったり、笑ったりも滅多にしない、感情の揺らぎの少ない男性だ。
私ももう十六歳。兄のソルトと言葉を交わす事が少ないのと同じ理由で、ルーファスとも最近ではほとんど話さなくなってしまった。
話したいことも、話すべきことも特にない。
昨日だけはコゼットについて調べて欲しいと頼んだけれど、それもマリアンヌに聞いてしまったので、一応は解決してしまった。
「……ルーファス!」
私はふと気づいて声を上げる。
鏡台の前で私の金色のふわふわした巻き毛をブラシでとかしていたルーファスは、名前を呼ばれて手を止めた。
「どういたしました、お嬢様?」
驚いた様子もなく、静かに尋ねられる。
何となくどぎまぎしてしまう。男性であるルーファスが、私の部屋で二人きりで、私の髪に触れている。
そんな当たり前の日常なのに、マリアンヌのせいでちょっと緊張している。
「あの、あのね、……いつもの髪形、あるでしょう?」
「あぁ、いつも内巻きにさせて頂いておりますね。結い上げると頭が痛いとおっしゃいますし、ゆるく降ろすと飛び跳ねて邪魔だとおっしゃいますでしょう。巻き髪にするのが、一番かと思いまして」
「えぇ、ありがとう。有難いのだけれど、今日はあれは、やめて欲しいの」
見事なまでの悪役縦ロールと言われたのだ。
多少は気になる。
悪役縦ロールの意味はよく分からないけれど、悪役と言うからにはあまり良い髪形ではないのだろう。
「お気に召しませんでしたか?」
「そんなこともないのだけれど……、ルーファスはあれは、どう思う?」
「そうですね、お嬢様の小さな顔をよりいっそう小さく見せる髪形で、とてもお似合いになると思いますよ」
本当だろうか。
ルーファスに容姿を褒められたのははじめてだ。とはいえ、私から尋ねたことなど一度もなかったのだけれど。
そういえば、男性から容姿について褒められた経験に、私は乏しい気がする。
レオン様には「アリスベル、今日もその、……気合が入ってるな」と言われていたし、ティグレ様からは「土でも掘り起こせそうなぐらいに巻いてありますね」という褒めているのか何なのか分からない事を言われたことならある。
今なら分かる。
あれは貶されていた。
きっと皆、悪役縦ロールだと思っていたに違いない。
「……ルーファス、私の髪形は、……悪役縦ロールというのではなくて?」
小さな声で尋ねてみると、ルーファスは一瞬目を見開いた後、堪えきれなくなったように口元を押さえた。
笑っている。
ルーファスが、笑っている。
かなりの衝撃だわ。
声を上げて笑う事などない人だと思っていたのに。
そんな事より、指摘されて大笑いするような髪形にしていたなんて、酷い。
「悪役縦ロール……っ」
「酷いわ……、私を笑い者にするような髪型にしていたのね……」
「申し訳ありません、お嬢様。はじめて聞く単語でしたので、おかしくてつい……。縦ロール、私は似合うと思いますよ」
今更そんなことを言われても嬉しくもなんともない。




