レオン・クロイツベルトは俺様系第一王子 2
レオン様と私の関係というのは、今までは淡泊ではあったけれど険悪ではなかった。
挨拶は交わすし、晩餐会は共に参加するし、誕生日には簡素な文章の手紙と花や宝石などの贈り物もある。
形式的なものだろうけれど特に文句をつけることもない、そんな間柄だと思っていた。
しかし今のレオン様は明らかに私に怒っている。
そんな風に感情を向けられたことははじめてなので、私は驚いて、しばらくレオン様の顔を眺めていた。
私がぼんやりしていたのは私が鈍感だからというわけではなく、レオン様が何について怒っているのか、いまいちわからなかったからだ。
レオン様はどういう訳か私たちの傍まで駆け寄ってくると、先に手を差し伸べていた私の手を邪険に振り払うようにしながらコゼットを助け起こした。
コゼットは困り果てたような表情を浮かべて、大人しくレオン様の腕の中におさまっている。
彼女はレオン様が好きなのかしら。
それなら、今の状況はきっと嬉しいはずよね。
私は何となく胸苦しさを感じたけれど、それはきっとレオン様が好きだからというわけではなく、今まで頑張ってきた自分自身を哀れんでいるだけなのであまり気にしないようにした。
それよりも、レオン様とコゼットがこのまま良い関係でいてくれたら、ティグレ様とコゼットが親密になるという可能性は減るわけで、シャルルの身の安全が保障されるということだ。
できれば、そのままコゼットにはレオン様を好きでいて欲しい。
ティグレ様は駄目だ。
あと、ルーファスも駄目な気がする。
私はルーファスにはそのままのルーファスでいて欲しい。私をお人形のように扱うルーファスにはなって欲しくない。
やっぱり、元々別に好きな相手がいる方と恋愛関係になるのはあまり良くないわよね。
たとえコゼットがデンゼリン男爵家から自由になって幸せになることができるとしても、穏便に、爽やかに、問題なく、恋愛できる相手を選んで欲しい。
レオン様なら大丈夫。
レオン様は元々私の事など面白みのない女としか思っていないのだから。
「レオン様、ごきげんよう」
私はどうしようかと悩んだ末、一応挨拶をすることにした。
制服のスカートの裾をつまんで軽く礼をする。最低限の敬意を払ってから、この場から立ち去ろうと思ったのだ。
コゼットはレオン様が来たのでもう大丈夫だろうし、私が一緒にいる必要はまるでない。
当初の、裏庭でゆっくりマリアンヌと話をするという予定は駄目になってしまったけれど、仕方ない。
本当はシャルルを守るために、ティグレ様についてもう少し詳しく聞いておきたかったのだけれど。
「アリスベル、お前がここまで最低な女だとは思わなかった」
レオン様は、ティグレ様と同じ銀色の髪をしていて、狼のような耳があるのも一緒だけれど、ティグレ様よりも背が高くて体格も良い。
まっすぐでさらさらした髪はやや長く、顔や首にかかっている。
小柄で柔和などことなく可愛らしい印象のティグレ様とは反対に、壮健で強く雄々しい印象がある方だ。
ティグレ様が良く手入れされた高級で美しい飼い犬だとしたら、レオン様は荒野を統べる百獣の王と言ったらわかりやすいかしら。
体格の良い男性に上から見下ろされて睨まれるというのは、中々迫力がある。
「……ええと、それは……?」
最低だと言われる理由がよく分からない。
コゼットが驚いた顔でレオン様を見上げている。
「ち、違います……、アリスベル様は私を助けようとしてくれたんです……!」
コゼットが私の名前を呼んだ。
レオン様の勘違いを訂正しようとしてくれている。性格の良い子なのかもしれない。
「コゼット、アリスベルに気を遣う必要はない。突き飛ばされたと、正直に言って構わない」
「いえ、あの……」
「大方俺とコゼットの噂を聞いて嫉妬でもしたんだろうが、俺に直接言えば良いものを、コゼットを大人数で取り囲み責めたてるなど。生真面目だけが取り柄の女だと思っていたのに、立場の弱いコゼットを責めて暴力まで振るうとは、醜悪にも程がある」
違うと首を振って、何かを言おうとしてくれているコゼットの言葉を遮り、レオン様が私を詰った。
怒りに燃える金色の瞳が私を睨みつけている。
「違いますわ、レオン様。確かにコゼットさんは数名の方々に責められていましたけど、私にはそんなつもりはありませんでしたわ」
「嘘をつくな」
「嘘では……」
ないのだけど、どうにも聞く耳を持ってくれないらしい。
レオン様の耳は私の耳よりも大きいのに、私の言葉を全然聞こうとしてくれなくて、なんだか虚しくなってきてしまった。
『このイベントシーン、ゲームの中で見たときはレオン様もっと言って! 素敵! って思ったもんだけど、あんた側から見ちゃうと何この男、爆ぜろ~! としか思えないわ。爆ぜろ~!』
「はぜ……」
マリアンヌのいう通りだ。
はぜるという意味はよくわからないけれど、レオン様がはぜてくださるととてもすっきりするような予感が、ひしひしする。
「アリスベル、二度とコゼットには近づくな。俺が誰と友人になろうが、親しくしようが、お前には関係のないことだろう」
「レオン様……!」
コゼットが一生懸命話を聞かないレオン様に向かって、何か自己主張しようとしている。
レオン様にはコゼットの言葉さえ届かないらしい。
どうやってこの場をおさめたら良いのかしら。
「嫉妬をするのは別に構わないが、俺の気を引きたければもっと別の方法を考えるんだな」
どうやって、この場をおさめたら――
「髪型を変えたのも、俺に気に入られたいからだろう。見た目を取り繕っても、身分を盾に弱いものをいじめる愚かさが隠せるわけじゃない」
どうやって、どうやって。
「優しく健気で清らかなコゼットを、見習って欲しいものだな」
『何こいつ、爆ぜろ~!』
「レオン様……、爆ぜろー!」
ものの見事に、マリアンヌと私の声が重なり合った。
なんてことなの。
腹が立ちすぎてついに言ってしまった。
悪口の意味はよくわからないけれど、多分かなりの悪口なのだろう。
「はぜろ……?」
「はぜろ……」
良かった、レオン様にもコゼットにも通じていないようだ。
私は戸惑っている彼らを尻目に、その場からさっさと走り去ることにした。
悪口の意味を問われる前に、逃げた方が良い。
不敬であることは承知の上だけれど、すでに私はレオン様に向かって暴言を吐いてしまったので、今更挨拶もせずにその場から逃げるぐらい大したことがないわよね。多分。
『よく言った、よく言ったわよ! あんなボケ王子には、あたしが抜け毛の呪いをかけといてやるわ。ハゲろ~!』
「マリアンヌちゃん、はぜろではないのですか……!」
大事なところで間違えてしまったのかしら。
マリアンヌはハゲろと言っていたのかもしれない。ハゲろならわかる。脱毛という意味だ。
『爆ぜろって言ったわよ。爆発しろって意味ね。内側からどかーん、よ。どっかああん!』
「それでは死んでしまいますわ……!」
『良いじゃない、死んでも良いじゃない~! 自信過剰で人の話聞かない勘違い男なんて人類の敵だもの~!』
レオン様は人類の敵らしい。
少なくとも、今のやり取りで私とレオン様の関係は絶望しかなくなった。
この先婚約破棄されるまで、どうやって過ごしていこう。
レオン様がコゼットの件で私に怒るところまでは仕方ないとしても、思い切り悪口を言って走り去った私は次からどんな顔でレオン様に会えば良いのかしら。
この先、行事の度に気まずい思いをするのかと思うと、心が重くなる。
裏庭から逃げた私は、回廊を横切り反対側の広場へと抜けた。しばらく進むと、宿舎棟と礼拝堂への分かれ道になっている。
授業に出なければいけない時間だけれど、教室に戻るためには再びレオン様たちがいる回廊に戻らなければいけない。
それは嫌だったので、私は礼拝堂へと駆け込んだ。
無断で授業を欠席してしまった罪悪感と、なんとも言えないもやもやした気持ちを抱えながら誰もいない礼拝堂の椅子へと座る。
走ってきたので、あがった息をゆっくりと整えた。
レオン様とは喧嘩してしまったし、シャルルは万が一間違った方向に未来が進んでしまったら、自殺してしまうというし。
なんだか色々ありすぎて、胸がいっぱいになってくる。
私はどうしたら良いのかしら。
礼拝堂の奥にある父なる神、我らが主クロノス様の黄金の立像が私を静かに見守っている。
「……アリスベル、レミニス様? どうされましたか?」
低く落ち着いた男性の声が礼拝堂に響いたのは、そんなときだった。




