レオン・クロイツベルトは俺様系第一王子 1
裏庭に、複数の女生徒とコゼットがいる。
なんだか妙な胸騒ぎがして、私はほんの少しの間窓の外を眺めたまま立ち止まっていた。
『あんた、あれって……、でもこんなタイミングでこのイベントだったかしら……、わっかんないけど、でも、駄目よ。ちょっと、アリス、今すぐ教室に戻りなさい』
マリアンヌのやや焦った声が頭に響く。
どういうことかと訝しく思っていると、一人の女生徒がコゼットを地面へと突き飛ばすのが見えた。
「なんてこと……!」
私は息を飲むと、回廊へと走り出す。
何事かは分からないが放ってはおけない。
理由はなんであれ、一人を複数人で囲んで責めたてるなどしてはいけない。
話し合いの基本は一対一だ。
それが駄目なら代理人を立てる必要があるけれど、それはお互いに立てる必要があるもので、どちらか一方に複数人の味方がついてしまっては。
――それは話し合いではなく暴力である。
『あんた、本当に生真面目ねぇ、王妃なんてやめて弁護士にでもなんなさいよ、向いてると思うわよ。じゃなくて、アリス、あたしは教室に戻れって言ったでしょ! 何助けに行こうとしてんのよ!』
「放ってはおけません!」
『だからぁ、駄目なんだってば!』
「マリアンヌちゃんの好きなコゼットさんの危機なんですよ!」
『危機っていうか、これはイベントで……、あーもう、あぁああ、もうぅうう!!』
頭の中で怒鳴らないで欲しい、物凄くうるさい。
マリアンヌの野太く掠れた艶やかで色気のある声が、怒鳴るといつもよりも雄々しさを増している気がする。
『あたしの魅力的なハスキーボイスは酒焼けよ~! 日本酒と焼酎が作り出した奇跡の声帯よ~!』
「お酒で喉が掠れるというのは、本当にあるのですね……!」
にほんしゅ、と、しょうちゅう、というのは聞いたことがないけれど、マリアンヌが好んでいるお酒なのだろう。
私のお父様はお酒が好きで、葡萄酒の醸造所もいくつか領地に作っている。新しいお酒の情報を伝えたらきっと喜んでくれるだろう。
それはともかく、今はコゼットを助けなければいけない。
私は回廊から裏庭へと降りた。昨日行きそびれた裏庭の花壇には、プルメリアが愛らしく花を咲かせている。
そのさらに奥で、コゼットが地面に座り込んでいて、四名程の女生徒たちがその周囲を取り囲んでいた。
名前は知らないけれど、なんとなくは見たことがある。
私やシャルル、コゼットと同じ一学年の生徒だろう。
足音ですでに気づいていたらしく、私が近づいていくと彼女達は何故か知らないけれど、待っていましたとばかりの嬉しそうな笑みを顔に浮かべた。
「あなたたち、何をしていますの?」
私は一応はレオン様の婚約者で、未来の王妃である。
レミニス侯爵家は、シャルルのフライツマール家よりは格が下だが、爵位でいえば公爵家に次いで二位の貴族であり、有体に言えば余程の相手以外には格が上だ。
余程の相手というのは、シャルルや王家の面々や、辺境伯や神官職ぐらいなのだけれど、それぐらいの有名な相手となれば顔も名前も把握している。
女生徒たちの名前は思い出せないので、格下の相手だと判断して良いだろう。
そういった相手に相対したときに下手に出るのは家名の恥になるので、なるだけ堂々とかつ偉そうに、私は話しかけた。
『ゲームをプレイしてた時はえらっそうな女~って思ってたけど、あんたの態度にもちゃんと理由があったのね。アリスちゃんも苦労してるのね~』
家名に恥じぬように振舞うのは、その家に産まれた者の義務。
マリアンヌが私を偉そうだと思うのは仕方のないことだけれど、私の態度を見て私を嫌わないでいてくれるととても嬉しい。
『嫌わないわよぅ、むしろ格好良いじゃない』
うん。今は返事が出来ないけれど、ありがとうマリアンヌ。
女生徒たちは媚び諂うような笑顔を浮かべたまま、私に立礼をした。
「アリスベル様、お話はお伺いしました。このコゼットとかいう女は、孤児という卑しい身分だった分際で、レオン王子に色目を使っているとか」
「私たち、アリスベル様にかわり立場を分からせてあげていましたのよ」
「ご心中お察ししますわ、アリスベル様」
「デンゼリン男爵家なんて田舎者の分際で、アリスベル様にはりあうなんて烏滸がましいと思いなさい!」
コゼットは、蒼褪めながら私を見上げている。
私が来る前から、彼女たちにこんな風に嫌味を言われ、攻撃されていたのかしら。
罪悪感が重苦しく心に圧し掛かってくるのを感じた。
今の私はコゼットについてどうとも思っていないけれど、彼女達が自分たちが正義だとでも言うように振りかざしている悪意のある言葉たちは、昨日私が考えていた事と同じことだ。
マリアンヌに諭されなければ、彼女たちはきっと私だった。私が、コゼットを罵っていたに違いない。
「二度と、レオン王子には近づかない事ね。庶民は、学園の片隅で庶民同士で固まっていれば良いのよ」
「……私……っ」
何か反論しようとしたのかもしれない。
けれどコゼットは悔しそうに唇を噛んで俯いた。元々愛らしい容姿をしている彼女のそういった仕草は、一層哀れみを誘う。
私は個人的にコゼットと話をしたことはないので彼女がどういう人なのかはしらないけれど、デンゼリン男爵家は下位貴族ではあるので、口答えをするのは難しいだろう。
特に養女という立場では、何か問題を起こしてデンゼリン男爵に迷惑をかける事こそ恐れているのかもしれない。
「私は、あなたたちに報復を行えと頼んだかしら?」
どうしようかと、一瞬悩んだ。
彼女たちは私への善意でコゼットを責めている。それを正面から駄目だと言っても、理解はされないかもしれない。
私がレオン様やコゼットのことを気にしていないと言っても、信じてもらえるかどうかすらあやしい。
それに貴族の常識に照らし合わせて考えれば、婚約者の居る第一王子と密会をするという方が責められるべき行動である。
(使えるものは、なんでも使うべきよね。家名、つまり、権力も、武器だもの)
説得ではなく、分からせる。
そうしなければ、私が頼まなくても彼女たちは同じことを繰り返す気がする。
「アリスベル様はこの庶民に直接注意などしなくて良いのです。このコゼットは、アリスベル様の視界に入る事すら許されないような、身分の低い者なのですから」
「傍に寄ると探鉱の黴臭い匂いがしますわ。あぁ、鼻が曲がりそう」
「領地に帰って炭鉱夫と結婚するのが良いのではないかしら。炭鉱夫の夫と共に魔石でも掘り起こしていなさいな、あなたにはそれがお似合いですわ」
ここまで来ると最早悪口よね。
いや、最初から悪口だったのだろうけど。
随分口がまわるものだと感心してしまう。常日頃から、きっと集まってはこんな悪口ばかりを言っているのだろう、この子たちは。
『あらま、随分ぽんぽん悪口が出てくるじゃない~、オンナって怖いわね~!』
全く同感です。
しかも彼女達にはたいして悪気もなさそうである。本心からそう思っているのかもしれない。
人の振り見て我が振り直せとはよく言ったものだわ。私は彼女たちのようにならずにすんで、本当に良かったと思う。
「やめなさい。……私、自分の立場を守るために誰かの力を借りる程、落ちぶれてはいませんわ」
「でも、アリスベル様!」
「私たちは……!」
「やめなさいと、言いました。自分よりも身分の低い者を取り囲んで責めたてるなど、品性を疑う行いでしてよ。コゼットさんに何か伝える必要があれば、私は自分で言います。あなたたちの力を借りたりはしませんわ」
「コゼットさんはアリスベル様の婚約者の、レオン様を奪おうとしているのですよ!」
「あり得ませんわ、婚約者のいる男性と二人きりになるなど、田舎者だから礼儀も作法も知らないのですわ」
「私たちが間違っているのだとしたら、家同士の繋がりなどは無視をして自由にして良いという事になりますわ。アリスベル様がそれをお認めになるというのですか? 未来の王妃なのに、無法を許すと?」
あぁもう、頭が痛い。
彼女たちは言葉はきついけれど、正論を言っている。
彼女たちなりの正義を信じて生きているのは良く分かる。以前の私も同じだったからだ。
でも私は、変わった。
マリアンヌに諭されて、勿論貴族の常識も生きる上では必要ではあるけれど、それだけではないと気づいた。
だって、変わらなければ私は『当て馬』として貴重な学生時代を過ごすことになってしまうのだから。
「あなたたちは、正しいですわ。あなたたちの婚約者が誰かに奪われそうになったら、是非その正義を振りかざしてくださいまし。けれど、私には必要ありませんの。ええとなんでしたかしら……、そう、正論は可愛くない! 正論は可愛くないのです!」
私はマリアンヌの言葉を思い出したのが嬉しくて、つい大きな声で二回も言ってしまった。
女生徒たちは意味が分からないのだろう、呆気に取られて顔を見合わせている。
私はこほんと咳ばらいをすると、コゼットに向かって手を伸ばした。
「……大丈夫かしら。怪我はない? 私のせいで、嫌な思いをしましたわね」
コゼットは私の手と、私の顔を交互に見ている。
それから、その視線を私の背後に向けて、驚いたように目を見開いた。
青白い顔がさらに青くなっている。
何事かと思い私も背後を確認しようとした。
私に向かって何かを言っていた女生徒たちが、小さく悲鳴を上げてそそくさと回廊の方へと逃げていく。
『あらぁ……、まずいわぁ……』
「アリスベル! 何をしているんだ、お前は!」
マリアンヌの声に重なって、久々に聞く声がする。
振り向くと、怒りの形相を浮かべたレオン様がこちらに向かって大股で歩いてくるのが見えた。




