ティグレ・クロイツベルトは腹黒第二王子 2
シャルルとティグレ様が居なくなってしまったので、私もそろそろ食堂から出ようかと立ち上がる。
元々食堂内にはほとんど人が残っていなかったけれど、私達が話をしている間に皆席を立っていったらしく、気付けば私一人になっていた。
長居してしまったことが申し訳なく、給仕の方々に軽く会釈をしてから私も外に出た。
午後の授業まではあと少しあるので、ゆったりと教室までの道のりを歩いていく。
昨日行きそびれた裏庭に行ってみようかと思ったのは、人の少ない場所でマリアンヌともう少し話したいなと思ったからだ。
『あたしは可愛い系も腹黒いのも趣味じゃないから、ティグレにはそこまで嵌らなかったのよねぇ。偉いわね、アリス。あんた、良く頑張ったわね。あんな穏やかに笑いながら、レオンを正すのは婚約者の義務です、とかチクついてくるとか、全く小姑かってのよ。その点シャルルは可愛いじゃない、子犬みたいで』
「マリアンヌちゃん、私気になっていたのですけれど、シャルルとティグレ様を知っているということは、シャルル達もコゼットさんのお話に出てくるという事ですの?」
『そうよ。灰かぶりと王子様ってタイトルだからね、メインルートはレオンなんだけど、ティグレも攻略対象ね。攻略対象ってのは、もう説明しなくても分かるわよね?』
「えぇ、ルーファスと同じという事ですわね」
『そうそう』
「王子様は分かりますけれど、灰かぶりというのはどういう意味ですの?」
『灰かぶりってのは、あたしの世界の有名なおとぎばなしでね、継母に使用人みたいにこき使われる女の子の話なのよ。毎日暖炉の灰を掃除してるから、服や髪が灰だらけで、灰かぶり、ね。灰かぶり、床の掃除はすんだの? 洗濯は? 料理は終わったの? あんたなんて灰をかぶってるぐらいが丁度良いのよ、おーっほっほっほ、ってなもんよ。でも、ま、その子も色々あって王子様と結婚するわけよ。コゼットがデンゼリン家で使用人扱いされてることにちなんで、そんな題名にしたんでしょうね』
なるほど、デンゼリン家でのコゼットさんはそんな目にあっているようだ。
養女とは、使用人の事ではない。使用人とはお金を払って雇う者であって、使用人にするために養女にするというのは間違っている。
適正な金額を払い、その金額に見合った働きをするのが使用人というものだ。だからこそ、私達は遠慮せずに身の回りの世話をしてもらうのである。
養女を政略結婚につかうということはよくある話だけれど、その為にはきちんと親として育て上げる義務がある。
使用人としてこき使った挙句政略結婚の駒にするなど、デンゼリン男爵家にはかなり問題があるようね。
「拒否権のない孤児だったコゼットさんを養女にして、虐待しているデンゼリン男爵家は許せませんわね。それにしても……、私が知る限り、シャルルとティグレ様の関係はとても良好ですけれど、ティグレ様がコゼットさんと恋愛関係になる可能性がありますかしら?」
『そこなのよ。ティグレはねぇ、あの通りシャルルに夢中でしょ。シャルルもティグレを好きだし、相思相愛なのよあそこは。そのシャルルから、ティグレを奪うってのはねぇ。それが好きだって意見もあるけど、あたしは駄目よ。あ、レオン様とあんたは良いのよ、最初から仲が良くないでしょ、だから罪悪感も少ないっていうか、うぅ、ごめんねぇ、いまのあんたにはこんなことは言えないわ……!』
「良いのですよ、気にしないでくださいまし。それに、事実ですし……」
『アリスちゃん……、あたしの豊満な胸がきゅんきゅん痛んじゃうわよぅ……っ」
「豊満なのですね……」
『スイカを二つくっつけたぐらいあるわよ』
「それはすごい……」
本当ならかなり重いのではないかしら。
マリアンヌは主が遣わしてくれた守護天使なので、それぐらいの豊満さはありそうよね。
古来から、宗教画に描かれる天使や女神は豊満であると相場が決まっている。
『ま、それであたしも、ティグレルートはさくさくっと一回しか触れてないんだけど、レオンとある程度親しくなるとティグレとも知り合えるのよね。さっきの話を聞いてて思ったんだけど、ティグレはシャルルと仲の良いあんたのために、コゼットに探りを入れてた訳ね。ティグレは、ある程度まではかなぁり塩対応よ。どんなにコゼットが頑張っても、対応は優しいけど冷たいわよ』
「お塩? よくわかりませんが、それは、良かったです。……あのティグレ様が、シャルルじゃない方と結婚をするなんて考えられませんわ」
『まあねー、そうよね。ティグレとのトゥルーエンドは、シャルルとも仲良くなってあの子に認められなきゃいけないのよ。そうじゃなきゃ、まずい問題が起こるのよ。成績もよくなきゃいけないし、シャルルとの好感度も上げなきゃいけないし、大変よ。ちょっとでも試験の点数が悪いと、ティグレがあの調子で、無様ですね、とか言ってくるのよ。コゼット、その男のどこが良いのよ! って思うわよあたしも』
「まずい問題とは、なんですの?」
『ううん……、あくまでも可能性よ?』
「分かっておりますわ。未来の可能性の話ですわよね、私のお人形エンドというものと同じですわ」
『そうそう、だからまぁ、軽い気持ちで聞いてね』
マリアンヌが言い淀んでいる。
あまり良い出来事ではないのかもしれない。私は嫌な予感を感じながら、人気のない裏庭への回廊に足を進めた。
食事を終えた生徒たちは、教室に戻ったり図書室で勉強したり、中庭の大噴水のあるテラスでくつろいだり様々だ。部活動をするための部室に行き、時間を使う者もいる。
昼休みを潰してわざわざ裏庭に行くものなど殆どいないので、裏庭に続く明るい廊下はしんと静まり返っている。
『シャルルとの好感度をあげない場合、ティグレとコゼットの関係を知って悲しんだシャルルは、公爵家の別邸にある湖に身を投げて死んでしまうのよ』
「そ、そんな……、そんな……っ」
目の前が暗くなるような気がした。
それは私の婚約破棄について聞かされた時以上に衝撃的で、苦しくて悲しい未来だった。
――シャルルが、死んでしまう。
私はよろめきそうになり、廊下の壁に手をついた。
「そんな……シャルルが……っ」
『落ち着きなさいよ、だから、あくまでも可能性の話、ね? 大丈夫よ、ティグレがコゼットに近づく可能性はほとんどなくなったじゃない。あんたがレオンについては心配しなくて良いってティグレに言ったから、もう大丈夫よ』
「でも、でも……」
『だからね、これはバッドエンド……、ええと、良くない結末の話なのよ。最愛のシャルルが死んでしまって、ティグレは壊れてしまうのよ。ティグレを慰めてくれるコゼットに表面上は優しくして結婚まで持ち込むと、そのあととても冷たくしてじわじわ苦しめるの。君がシャルルを殺したんだよって、笑顔で囁くティグレの恐ろしさと言ったら、三日三晩うなされるレベルよ、末代まで祟ってやるっていう気概を感じたわね、あれは』
「どうしてそこまで想っているのに、ティグレ様はコゼットさんと浮気をしたのですか……?」
『そうねぇ、本気じゃなかったんだと思うわよ。コゼットの方から積極的にぐいぐいくるから、相手をしてあげていただけだったんじゃないかしら。あとは、シャルルがやきもちを焼いてくれるのが嬉しかったとか、それぐらいかしらねぇ、青臭いとは思うけど、まだ十七歳だしね。まぁ、コゼットの話だからね、ティグレの気持ちが全部分かるわけじゃないから、知らないけど』
「よく分かりませんわ……、残酷です」
『あんたの言うとおりね。軽い気持ちでルートを埋めてたあたしが申し訳なくなるわよ。でも、アリス、この話はあたしもあんまり好きじゃなかったのよ。ティグレはシャルルと幸せになるのが一番だと思ってるわよ。あたし、これでもティグシャルは割と推してたのよ』
「コゼットさんには、ティグレ様以外の方と幸せになって貰いたいですわ……」
若干焦ったように私を慰めてくれるマリアンヌの言葉を聞き流しながら、私は呟いた。
シャルルが死んでしまう可能性があるのなら、コゼットをティグレ様に近づけてはいけない。
これはコゼットに私が近寄らないようにする以上に、とても重要な事だ。
『明るくて傍若無人な兄王子レオンと、穏やかだけど腹黒の弟王子ティグレっていうのは、ある意味、ど定番なのよ。兄弟ってのはそういうもんなの。だから、まぁ、そういう暗ぁいどろどろした話になっちゃったんでしょうけど……』
「……マリアンヌちゃん、教えてくださってありがとうございます。私、シャルルを守りますわ。もう大丈夫です」
『うん、ごめんねぇ』
「いえ、折角教えてくださったのに、私の方こそ申し訳ありませんわ」
私はふと窓の外を見た。
廊下は外にある回廊に続いている。窓からは裏庭の景色を見ることが出来る。
裏庭には、数人の人影があった。
「あれは……」
何やらあまり穏やかではない話し声も聞こえる。
裏庭の片隅で、コゼットが数人の女生徒に囲まれていた。




