プロローグ3
「魔術を教える、ねぇ」
レーテは少女の言葉に、大きな溜息を吐いた。
「まずはその前にだ。どうしてそう思うようになったのか、僕に一から順に説明したまえ。君は僕に自己紹介さえしていないんだ。何一つ知らない君の事を、僕が簡単に受け入れる訳ないだろう」
レーテの呆れ声に、少女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
どう考えても、人にものを頼む前にやることがあるだろう。それにやっと気づいたようだ。
「あ、……ごめんなさい」
家柄からは想像できない程、素直でしおらしい謝罪。
だがその後に出て来た言葉は、しおらしいどころのものではなかった。
「……わたくしは、ソフィア・フォン・キュアエイデス。キュアエイデス侯爵家の長女です」
「侯爵家」という単語を聞いたレーテは、ソフィアの前であるというのに嫌な顔を浮かべてしまう。
なにせ、それだけの大きな存在なのだ。この、貴族が存在し爵位があるこの国からすれば。
「……侯爵家か。また面倒な。しかも「青」か」
侯爵家。それに加えて、この国、エリュシオン王国に建国当時から仕える家系だ。そのうちの一つの「青」。加えて「長女」。レーテからすれば、関わりたくないやつらのオンパレードである。
そして目の前にいる少女は、どう考えても箱入り娘だろうお嬢様。将来は国の重鎮か王と結婚するだろう貴族の娘。どう考えてもレーテとは縁遠い筈の存在だ。
「……今からあなたにする話は、とても突拍子もないものです。……信じられないかもしれません」
「御託は良い。さっさと話したまえ。大体僕は魔法使いだぞ。君たちの常識の外側にいる存在なんだから」
既に自己紹介の時点で疲れ切ったレーテは、ハイハイと適当にソフィアの言葉に返答した。
「……わたくしは、転生者。別の国から、この国の人間に生まれ変わった存在なのです」
「あー、転生者ってやつか。数十年前にエーレーが言ってたが、本当にいたんだな」
「……その話、後でお聞かせください。……話を続けます。わたくしは、前の世界にいたころから、この世界のことを知っていたのです――物語として」
そして、ソフィアが語った物語は、彼女が「転生者」であるということを知らなかったら、いや知っていたとしても、普通の存在なら到底信じられる話ではなかった。
なにせ、ここに住んでいる、生きている自分達が物語上の存在だというのだ。自分達からすれば、きちんと生きて、自分で考えて動いているというのに。
――だが、ここでソフィアの話を聞いていたのはレーテ。「黒/白の魔法使い」と呼ばれる、永い時を生きた常人には理解できない存在だ。
ソフィアの話をあっさり理解し、それでもレーテは不可解そうな表情を浮かべた。
「……なるほどね、君は将来悪役令嬢?となってヒロインである平民の少女をいじめ、怒った王子に国外追放されてしまう役柄、だというわけか。……なんだか色々突っ込みどころがあるのだけど」
「突っ込みどころ、ですか?」
「そうだ。君の話によれば、君はヒロインである平民の少女をいじめるそうだが。君は実際にいじめるつもりなのかい?加えて質問するが、普通に考えて平民を愛していたとしても、結婚して王妃になんか出来ないだろう。よくて妾が限界の筈だ」
「よくご存じですね」
驚いたような表情を浮かべるソフィアに向かって、レーテはふん、と彼女を見下す。
レーテは永い時を生きる魔法使いなのだ。この国が建国された時だって、きちんとレーテはその目で見届けた。それから長い時が過ぎて、でもレーテは変わらず変化する王国を見つめて来た。
ソフィアのような、生まれて数年しかたっていないような子供だって何十年生きているようなこの国の王だって、レーテからみればみな等しく赤ん坊にすぎない。
それだけレーテとこの国に住む人間達とでは、流れ、過ぎた時間の差と速さは違うのである。
「僕が何年ここに住んでいるんだと思うんだ。昔のことだが、ちょっと王家とは関わった事もあったしね。ある程度は知識があるんだよ」
「そうでしたか……話を続けますね。ゲームではそこまでの話は……ヒロインが選んだヒーローと幸せになっておわり、でしたから。だとしても、わたくしは侯爵家令嬢ですわ。ジュリアン王子とは、たとえ彼がわたくしを愛していなかったとしても、わたくしは彼の側妃か王妃にならないといけないのです。……わたくしを愛してくださらない殿方との結婚なんて、わたくしは嫌なのです。それなら、わたくしは自らこの国を出て、平民になりますわ」
「愛、ね。確かに愛のない結婚はなんだか嫌だけどね。でもそれなら、君はヒロインを虐めなければいいじゃないか。……そもそも、なんで君は王子とヒロインが絶対にくっつくだなんて分かるんだい。君は運命に関係する力の持ち主では無いだろう」
「……わかるんですね」
「僕をなんだと思っているんだ、全く」
呆れた様に胸の前で腕を組んで、溜息を吐くレーテに頷いてソフィアが話を続けた。
「……確かに貴方の言う通り、ヒロインと王子がくっつくだなんて分かりません。ゲームの攻略対象は他にも何人かいましたし、ヒロインが彼等を選ぶかもしれない。――でもそれでも、わたくしは「もしも」を考えられずにはいられない」
「わたくしには前世の記憶がある。5歳でめざめてくれた、この記憶と言う武器が。なのに何もせずに、「もし」そうなってしまったら、わたくしは後悔すると思います。例え、そうならなかったとしても、「もしも」のため、備えておくのは悪い事では無いと思うんです」
真っ直ぐに、レーテの金の瞳を見つめる蒼い、美しい瞳。
「だからわたくしは、力が欲しいのです。「そのとき」のために、わたくしの望みを叶えるための力が。――運命を打ち破る、わたくしだけの力が欲しい。魔術なら、それが出来る筈です」
「確かに君には人間とは思えない程の魔力があるから、それ自体は可能だろう。だが、君は知っている筈だ。――魔術に慣れ親しみすぎた人間が、最後どうなるのかを」
はっきりと自らの望みを告げたソフィアを見て、冷徹な表情を浮かべたレーテはソフィアを値踏みするかのように言い放った。
――力には、代償があるものだ。そのままでいたいのに、分不相応な力を求めるなんてできやしない。
何かを得る為には、何かを犠牲にしなければならない。錬金術の、等価交換の法則だ。力を手に入れるためには、ソフィアは何かを犠牲にしなければならない。それを彼女は許容できるのだろうか。
このままの令嬢でいたって、レーテという他人から見たら何も問題無いのだ。だというのに、ソフィアは魔術を手に入れる為に、他の何か……貴重な幼少期の時間を代償に捧げてもいいのだろうか。それほどまでにソフィアはソフィア自身が言う「運命」を変えたいと強く思っているのだろうか。
魔術を手に入れても「運命」を変えられなかった時、彼女はどうするのだろう?
「僕はそうなっても、君を止めない。何故なら僕にとって、同族が増えるのは喜ばしい事だからね。他の魔法使いがどう思うのかは知らないけど。だが君は、それを望まない筈だ」
「……」
「君はその誘惑に、打ち勝てるかい?あくまで魔術は、君のもつ武器のひとつにすぎないと、君はわりきれるかい?」
「――そうなったら、そうなったときです。少なくとも、このまま何もしないでいるよりかは、遥かにマシです。自身の身を守る力があるんだから、それで自身の身を守ればいい。だけど、ただの令嬢のままでは、わたくしは、わたくし自身の身を守れない」
レーテという「魔法使い」の前ではっきりと言い放ったソフィアは、優しい笑みを浮かべた。
「――求めるのは、運命を打ち破る魔法か。それが君が心から願う、君が望む力か」
「――ええ。運命を打ち破り、わたくしがわたくしでいられる魔法。それがわたくしが望む力です」
「そのために、レーティアス様……いえ師匠。わたくしに魔術を教えてください」
そう言って、椅子から立ち上がったソフィアはレーテに向かって、深く頭を下げた。