4-16 時間との戦い
ルーセンビリカの実働部隊隊長ジュール・ソレルは、余りに順調な進軍に眠気すら感じて気を許してこっくりと船を漕ぐと首の痛みに顔を顰めた。
この首の痛みは、将軍に命じられて獅子の慟哭というマジック・アイテムを探しに女狐の墓を暴きに行った時に負ったものだ。
あの時現れたエルフによって檻の中に放り込まれ、その檻が猛烈な振動を始めた時に檻にぶつけたのだ。
あの永遠とも思える振動で体中をぶつけ、ようやく解放された時には激痛で動けなかったのだ。
放り出された場所がバルギット帝国領内だったことから、自分達の身元がバレていたのかと肝を冷やしたのだ。
お陰で作戦が失敗して将軍の不興を買い、オーリクの監視というつまらない仕事を言い渡されて、パルラという町に向けて行軍しているのだ。
ソレルは「はぁ」とため息をついた。
それにしてもアイテールの宣言書が事実だとしたら獅子の慟哭が無くても赤色魔法が撃てるという事になり、長年離宮に間者を送り女狐から獅子の慟哭を奪おうとしたルーセンビリカの努力が無意味だったという事になる。
将軍から送られた連絡蝶でパルラと言う町にジュビエーヌが逃げ込んだ事が分かり、アイテールの連中も一緒にパルラに向かう事になったのだ。
パルラというドーマー辺境伯が造った新しい町は、他の城塞都市と同じく高い石壁に囲まれていた。
そして、その堅牢な門の上に2人の人物が現れた。
誰だろうと遠見のマジック・アイテムで見ると、そこにはアイテールが血眼になって探している公女と王墓で酷い目に遭わされたあのエルフの姿があった。
そして降伏勧告の返答を聞きに行った伝令兵が戻って来ると、オーリクにこちらの提案を拒否したと報告していた。
その報告を聞いてオーリクが顔を真っ赤にして怒っていると、敵側に動きがあった。
城壁上のジュビエーヌ公女が獅子の慟哭を両手で掲げると、上空に赤色の魔法陣が現れたのだ。
それはまるで「とっとと帰れ」と言った言葉に、真実味を加えるかのようだった。
拙い。
あの魔法陣が完成したら、我が軍は死体すら残らずに蒸発してしまう。
周りを見回すと、既に兵達の間に動揺が広がっていた。
あの者達にとっては曽祖父が無くなった原因を目の当たりにしているのだから、やむを得ない事だろう。
魔法陣が完成したら、自分も曽祖父と同じように遺品も残らず蒸発してしまうのだから。
隊長達が必死になって「我々には対魔女用の秘密兵器がある」と言って兵達の動揺を抑えようとしているが、兵から見たら自分の死刑執行が眼前で行われているのだから冷静になれと言っても無理な相談だろう。
すると上空に現れた魔法陣を見て固まっていたオーリクが我に返り、後ろに配置してあるカタパルトを発射するように命令を発していた。
カタパルトは高速で魔法弾を射出する装置だ。
その射程距離は魔法使いが放つ魔法の5倍はあるので、敵の反撃を受けることなく一方的に叩けるのだ。
魔法弾は着弾すると炎の魔法が発動し周囲にある全ての物を焼き尽くす火炎弾や、城壁を物理的に破壊する硬化魔法を施した強化石弾がある。
それは技術局のあのいけ好かない技術者が「この弾を受けたら魔法詠唱中で無防備な魔女なんて炎の柱になるか細かな肉塊になりますよ」と自慢していた代物だ。
そのカタパルトから最初の斉射が行われた。
それを見た兵達は皆歓声を上げ、拳を突き上げていた。
カタパルトから射出した20発の魔法弾は、標的がこちらよりも高い位置に居る事からやや仰角を付けて打ち出されており、城壁の手前で放物線の頂点に到達するように調整してあった。
そして放物線の頂点に到達した時、突然魔法弾が何かに弾かれ爆発していた。
「はぁ?」
自分の口から情けない音が漏れたが、それは俺だけではなかったようだ。
周りからも歓声が消え、何が起こったのか分からないといった戸惑いの声が漏れていた。
すると今度は、呆けていないオーリクが怒声を上げた。
「馬鹿野郎、強化石弾を使え」
その声で再起動した兵達が、次弾を装填すると直ぐに次の斉射の準備が行われた。
城壁の上ではジュビエーヌ公女を守るように前に出た雌エルフが両手を前に突き出していた。
その片手が我が軍の方を向き、手の周りには青色の魔法陣が5つ現れると石弾を打ち出していた。
その石弾は尋常ではない速度で速射されており、5つの青色の魔法陣が魔法発動後直ぐに次の魔法が展開されるため魔法陣がずっと点灯しているような錯覚を覚えた。
そして味方から2射目の斉射が行われた。
強化された石弾が城壁上にいる2人に狙いを定めて飛んでいくと、エルフが放った石弾を弾き飛ばした。
それを見た兵士達からも歓声があがった。
ソレルもこれならいけると思い、再び城壁の上を見ると青色だった魔法陣が緑色に変わっていた。
そして緑色の魔法陣から岩石弾が飛ぶと、強化石弾の軌道がずれ明後日の方向に飛んでいった。
そしてその後も斉射される魔法弾は全て弾かれており、城壁まで到達する弾は1つもないという有様だった。
虹色魔法を無詠唱で撃つ場合、体内魔力を使う必要がある。
ソレルの上司であるフリュクレフ将軍も人間にしては高い魔力量を持っているが、無詠唱であれだけの魔法を撃つことは出来ないだろう。
あんな勢いで体内魔力を使ったら、直ぐに魔力切れを起こすだろう。
それ程あのエルフの魔力量は異常だった。
そこであの赤い瞳について、初めて疑念が湧いてきた。
フリュクレフ将軍のお供で出席した夜会で黄色魔法使いでもあるがガスバル・ギー・バラチェ男爵に会った時、魔法使いは体内魔力量が膨大でそれが瞳の色にも表れるという赤い瞳に憧れていると言っていたのだ。
その強い憧れと自分の魔力量を瞳の色で推測されないため、瞳を赤色にする偽色眼を使っている者も多いと言っていた。
そう言った知識があったため、あの赤い瞳も実際の色を隠しているだけだと思っていたのだが、今は本当の色なのだと半ば確信していた。
そして上空の魔法陣を見ると薄くぼんやりとしていた色が今では鮮やかな赤色になっていて、あちこち欠けていた魔法陣ももう随分完成しているようだった。
もはや時間が無い事は、それを見れば明らかだった。
周りの兵士達も同じ事を考えたのだろう、あちこちから絶望にも似たうめき声が上がっていた。
「オーリク殿、逃げましょう」
だがオーリクは、上空の魔法陣を信じられないといった顔でぼんやり眺めているだけだった。
ソレルはその肩を掴むと前後に揺らして正気に戻し、耳元でもう一度言った。
「オーリク、しっかりしろ。このままだとレスタンクールの二の舞だぞ」
百年前、ロヴァル公国に攻め込んだバルギット帝国軍を指揮していたのは3大公爵家の1つ、レスタンクールだった。
そしてソフィア・ララ・サン・ロヴァルが放った赤色魔法で文字通り全滅し、以降今に至るまでレスタンクール家は3大公爵家の中で干されているのだ。
ソレルは、このままあの魔法陣が完成してしまうとオーリク家もレスタンクール家と同じように今後3大公爵家の中で干される事になると警告してやったのだ。
周りの兵士達もオーリクが「撤退」の言葉を言う事を期待するような眼で見つめていたが、オーリクは首を横に振ったのだ。
その動作に周りの兵士は絶望の表情を表していた。
だが上空の魔法陣に異変が起こった。
赤色の魔法陣それ自体が燃えているかのようにゆらゆらと揺らめき出すと、そこから零れた赤い液体がぽつぽつと落下してきたのだ。
それはまるで溶けた鉄が零れ落ちるかのようだった。
その赤い液体が兵士の鎧にかかるとその鎧はなんの抵抗も無く簡単に溶けていった。
「ぎやあぁぁぁぁ」
鎧が溶けた兵士は半狂乱となって鎧を脱ぐと、そのまま恐怖のあまり逃げ出していった。
すると周りの兵士にもその恐怖が伝わり、次々と兵士が逃げ出していった。
こうなったら最早隊長達の怒声では止められないだろう。
「オーリク、死にたくなかったら逃げろ」
ソレルはそう言うと、悪魔にでも追いかけられているように必死で逃げ出した。
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