4-13 逃避行
ジュビエーヌはクレメントの手を握り、ヴァルツホルム大森林の中を必死に逃げていた。
彼女達の後ろには、様々な武器を持ったゴブリン達が追いかけて来ていたからだ。
公都を脱出した後、郊外の隠れ家でベルナール・バンテと名乗った社長から周囲の状況について話を聞くと、エリアル西街道には既にあちこちに検問所が設けられ、公都から逃げて来る馬車や避難民をチェックしているそうだ。
そしてご丁寧にも、私の手配書まで配られているのだとか。
この状況では西街道を使ってフェルダに行くのは難しかった。
そこで検問所を避けて迂回しているうちに、いつの間にかエリアル北街道を北に向かう事になってしまったのだ。
エリアル北街道の終点はドーマー辺境伯領の領都ダラムなので、流石にこのまま進むことも出来ず、途中のピコという町で方向を変えてバンテ流通会社の支店がある真北のアレマン男爵領のドルテに向かった。
ドルテでも自分と弟の手配書が出回っている危険があったので、ハッカル達に町で物資を補給してもらい、西に広がるドーマー辺境伯領を迂回するためヴァルツホルム大森林地帯に足を踏み入れたのだ。
そしてゴブリンの集団に遭遇してしまい、2人の獣人が切り開いた突破口を走り抜け逃げている最中だった。
後ろからは恐ろしい唸り声や足音、それに武器を振り回すブンという音までが聞こえてきた。
護衛役の2人の獣人が何時まで経っても戻って来ないので、私達を囮にして逃げたのではないかという疑念すら湧いていた。
ゴブリンという魔物の実物を初めて見たが、本で見るそれとは違い醜悪で体臭も酷くとてもじゃないが近寄り難い相手だった。
そのぎょろりとした目が、私達を餌と認識しているのだ。
生きたまま食われる恐ろしさから、クレメントの手をしっかり握り必死に走っていた。
大森林は下草が生い茂りただでさえ走りにくい上に、樹木が生い茂り、枝が横にも広がっているので、その枝の先で服が切り裂かれ無数の傷が出来ていた。
やがて疲労困憊となった足が思うように上がらなくなってくると、下草に足が引っかかり体が浮き上がるとそのまま地面にダイブした。
倒れた衝撃で体のあちこちに傷を負い思わず悲鳴を上げそうになったが、生きたまま食われるという恐怖から何とか立ち上がろうとした。
だが、その背中に突然重たい物が圧し掛かってきた。
頭上から魔物の声と臭い体臭が匂ってくると、これから自分に身に起こる事を思い悲鳴を上げた。
隣からはクレメントのうめき声が聞こえてきたので、2人とも捕まった事が分かった。
ジュビエーヌは体に激痛が走ったら、魔法を放って魔物もろとも自爆するつもりだった。
すると急に体が軽くなり、周りで戦闘が行われている物音が聞えてきた。
ゴブリンと戦っている者達に尻尾があるのを見て、2人の獣人が間に合った事を知り安堵のため息をついた。
周りでの戦闘音が止むと武器を血で汚した男が声を掛けてきて、そこで初めてその声が聞き覚えの無い事に気が付いた。
慌てて上半身を起こしてハッカルだと思っていた獣人を見ると、その顔は狼ではなく獅子のような感じだった。
「おい、言葉は通じているか? 大丈夫か?」
そう言った獅子の獣人の後ろには虎やら猫やらの獣人が居るので、何の集団なのかさっぱり分からなかった。
そこでふっと頭を過ったのは、獣人だけの盗賊集団だった。
周りを見回すと獣人達は10人以上いるし、こちらはゴブリンに追いかけられて疲労困憊の状態で、とても逃げられそうになかった。
何とか状況把握をしようと会話を試みる事にした。
「貴方達はこの森で何をしているのですか?」
「俺達か? 近くで狩猟をしている班の護衛だ。こちらで物音がしたんで、様子を見に来たんだ」
狩猟? では盗賊ではないという事?
何らかの組織に所属しているとでもいうの?
「ところで、お前さんはここで何をやっているんだ?」
「西の国境地帯に向かっている所よ」
私がそう言うと、獅子の獣人は顔を顰めていた。
「こんな危険な森の中を移動しているなんて、お前は馬鹿なのか?」
「ば・・・」
ジュビエーヌが絶句していると、後ろからハッカルとツィツィがようやく追い付いたようだ。
「公女殿下、こいつ等は?」
その声に傍に居た全員が振り返ると、お互い事情が分からない者同士で武器を構えたので今にも戦闘が始まりそうだった。
「ハッカル止めて。この方達に助けて貰ったのよ」
「そうか、それはすまなかった」
ハッカルが武器を収めて頭を下げると獣人達も武器を収めてくれたので、あちらも戦う気は無いようだった。
「いや、いい、俺はトラバールだ。お前達に問題が無いのなら、俺達はこの先に居る狩猟班と合流したいんだが、良いか?」
トラバールと名乗った獣人からは殺気は感じられず、どうやら本当の事を言っているようだった。
私達は既にボロボロの状態でこれ以上この森を進むことは無理だったので、出来るだけ安全な場所で休みたかった。
そこでトラバールと名乗った獣人に頼み、この先にあるという町で一休みさせてもらう事にしたのだ。
そして狩猟班と呼ばれる連中と合流すると、そこには多数の獣人と4本脚のゴーレムが居て、その背中にある籠の中には狩った獲物が載せてあった。
「この先に貴方達の町があるのですか?」
「ああ、そうだ」
「その町は獣人達の町なのですか?」
「いや、お前さんの同類も居るぞ」
同類? もしかして人間が居るの?
この人達も様々な種類の獣人だし、それに里とか村と言わず町と言っている事から私の考えている隠れ里とは違うのかもしれない。
「そこには町長が居るのですか?」
「町長かどうかは知らないが、姐さんが町を支配しているぞ。ほら、あれだ」
そう言われて指差された方を見ると、人間の町ではお馴染みの高い城壁だった。
この町はパルラという名前らしいが、ジュビエーヌはその町を知らなかった。
どう見ても人間の町にしか見えないので、姐さんというのは人間なのかと聞いてみたら違うらしい。
きっと同じ獣人なのだろう。
そして元々は人間の町で自分達はそこの奴隷だったが、姐さんが町を占拠し解放してくれたそうだ。
そこまで聞くとその町は獣人に占拠された事になり、人間は捕らえられて奴隷にされているのではないかという疑念が湧くが、それなら態々それを私に言ってくるのもおかしいのだ。
答えが出ない疑問に悶々としながらも、一度自分の目で見て確かめてみることにした。
ヴァルツホルム大森林地帯があれほど危険では、どのみち何処にも逃げ場は無いのだから。
城壁の割に小ぶりな門を潜ると、そこには広い空間が広がっていた。
普通なら狭い通路の両側に家が密集しているはずなのだが、ここにはそんな光景が一切ないのだ。
そして横に長い建物が等間隔で続いているのを見ていると、トラバールが寮と呼ばれる住処で姐さんが作ってくれたと自慢していた。
そして人間達は、七色の孔雀亭という宿で生活している事も教えてくれた。
ジュビエーヌは考えていた。
この町で休息し再びヴァルツホルム大森林地帯をフェルダに向かったとして、この厳しい森を突破出来る自信が無かった。
かといって平地を進めば、目的地に到達する前に捕まってしまうだろう。
生き残る可能性があるのは、暫くこの町に潜伏して包囲網が緩んでからフェルダに向かう事だ。
それには姐さんと呼ばれる獣人に会って、交渉するしかなかった。
「えっと、トラバールさん、私達をその姐さんという方に会わせて貰えませんか?」
「ああ、いいぞ」
実に呆気ない返事だったので、それに疑問を抱かなくてはならなかったのだ。
連れて行かれた建物を見て、自分が罠に嵌った事に気が付いた。
そこには煽情的な姿をした女性の姿絵が、じっとこちらを見下ろしているのだ。
どうやら私は娼館に売られたようだ。
ここまで来るまでの間も、私を公女と知って館に泊めた貴族に捕らえられそうになって辛くも脱出したり、私達を気の毒に思った主人に泊めて貰った宿では主人に雇われた無頼漢に賞金目当てに襲われたりしたのだ。
その最後が、この娼館に売られてお終いだなんてなんて人生なの?
そして声にならないうめき声を上げると、目の前が真っ暗になった。




