4-2 陰謀
ドーマー辺境伯は思い通りにならないことに苛立っていた。
富の源泉であるパルラを占拠されてから収入が大幅に減少しており、今後の政治工作資金の減少や有力貴族を接待するための施設を失ったままというのは、政治力の低下を意味するため非常に拙い事態だった。
パルラを取り戻そうと5千の軍隊を送っても撃退され、夜襲を仕掛けても躱され、食料生産が出来ないはずなのに封鎖しても根を上げた様子も無かった。
ダラムに代わりの娼館や酒場を作ったが、賭場や紫煙草畑はそう簡単には作れないのだ。
これ以上やると女狐に目を付けられる危険があり、万が一にもパルラを調べられたら今までやって来た事が白日の下に晒されてしまうのだ。
雌エルフといい女狐といい忌々しい女共だ。
女なんか大人しく男の命令に従っていればいいのだ。
ドーマー辺境伯は苛立ちを込めて自分の手に持っていたグラスを思いっきり壁に投げつけた。
グラスが割れる音を聞いたメイド達が首を竦めて震えだしたのを見て、少しだけ留飲を下げた。
そして現状を打破するため、標的を女狐に変えて秘密工作を行っているのだ。
大体、人間が百を超えて生きていること自体がおかしいのだ。あれは吸血鬼かエルフが人間に化けているか、本物は既に死んでいて替え玉にすり替わっているかのどちらかに違いない。
そこで影共を使って王都中の酒場や市場等で女狐は既に死んでいて替え玉がさも生きている風を装っているとか、女狐は実は吸血鬼だとか噂をばら撒いているのだ。
その効果がようやく表れてきたのはやはりあの年齢が大きかった。
人間の寿命は大体60前後なのだ。
そこを百を超えてまだ元気というのは、やはり誰もが疑問に思う部分だった。
一度疑念を持った民衆の猜疑心はどんどん膨れ上がる。
そろそろもう一押ししてやろうかと思っていると公城アドゥーグに潜入させている間者から女狐が病気になったとの報告があった。
今の大公家で怖いのはあの女狐だけだ。
女狐が居なくなれば、後は好き勝手に動けるのだ。
この嬉しい知らせに内心ほくそ笑んでいると、執務室の扉をノックする音が聞えてきた。
「旦那様、ウルティア侯爵の使いの者が来て、旦那様との面会を希望しております。いかがいたしましょうか?」
ウルティア侯爵は公国の南に領地を持つ高位貴族だ。
この国には3つの貴族派閥があり、1つは当然先帝の意向を汲み次期大公にジュビエーヌを推す先帝派、2つ目はアメーリア公爵家を盟主とし、次期大公に自分の娘カッサンドラを推す公爵派。
そして3つ目は王配を推す現状維持派でウルティア侯爵は現状維持派に所属していた。
ちなみにドーマー辺境伯は表では公爵派だが、裏では他国や自身のシンパを集めて公国の乗っ取りを画策していた。
違う派閥であるウルティア侯爵が何用なのかと興味が湧いてきた。
「分かった。会おう、ここに通してくれ。それと影を何人か配置しておけ」
「畏まりました」
執事が出て行って暫くするとまた扉をノックする音が聞えてきた。
さてどんな奴が来たのか見極めてやろう。
「入れ」
執務室に入って来たのは彼の執事とその後ろに若い男が入ってきた。
ドーマー辺境伯は机の前にある応接を示して、座れと合図を送った。
その合図を見て若い男が椅子に座ると、すかさずメイドが2人分のお茶とお菓子を用意してテーブルの上に置いていった。
使いという男はこの国では珍しい褐色の肌をしていた。
妙に落ち着き払った態度をしているので、唯の使いではない事が直ぐに分かった。
「それで、要件は何だ?」
そう尋ねると男は一度周りを見回してから、懐の中から書簡を取り出して渡してきた。
その書簡の封蝋には紋章が入ってなかったが、中の手紙には右上にレイヴンの印が刻んであり手紙にはこれを持ってきた者の身分を保証するという内容が書かれてあった。
レイヴンとはアイテール大教国の外交・対外諜報局の紋章になっており、目の前の男はウルティア侯爵の使いではなくアイテール大教国の外交・対外諜報局長ドートリッシュの使いと言う事のようだ。
そして、要件を口頭でしか伝えられないという事は大いなる陰謀を匂わせていた。
「それでレイヴン殿の要件は何かな?」
目の前の男をドートリッシュの使いと認めてやると、男もその答えに満足したようでニヤリと笑っていた。
「レイヴン様は女狐の長寿について感心をお持ちです」
ドートリッシュも女狐の長命に疑念を抱いているのか。
まあ、この世界の人間種の寿命の倍近く生きているのだから感心を持つのも頷ける。
「先代様は具合が悪いと聞いていますよ」
「レイヴン様は、そろそろ寿命が来てもいいのではないかと思っています」
ほう、だが、それを俺に言ってくる意図はなんだ?
まさか、俺に寿命を縮めろとか言うんじゃないだろうな?
「先代にはまだまだ活躍して欲しいと思っておりますよ」
「ほう、左様ですか。てっきり女狐が倒れて喜んでおられると思っておりましたが?」
「私が、ですか? それは不謹慎と言うものです」
「パルラにネズミが出て大切な家や食べ物を荒らしているそうですね。レイヴン様は駆除に協力しても良いとお考えですよ」
「ほう、それでその見返りは何ですかな?」
「女狐の死体です」
死体だと? ドートリッシュは何を考えている?
そう言えばアイテールも最悪の魔女の呪いを受けているという噂があったな。
女狐の死体で何か分かるのだろうか。
いや、何かが分かると期待しているのか・・・。
「分かった。死んだら死体を引き渡す手引きをしよう。それでレイヴン殿との連絡役は貴様でいいのか?」
「はい。私はクノーテンと言います。以後お見知りおきを」
「よし、お前にはこの館の滞在を許可しよう」
客が帰った後で、国内の勢力についてもう一度考えを巡らしてみた。
まず計画の邪魔となるのは先帝陛下に忠実なオルランディ公爵派だ。
アメーリア公爵派は、カッサンドラを次期大公にすると言えばうまく踊ってくれるだろう。
残る現状維持派は日和見の連中だ。
こいつ等は後で何とでもなる。
これでロヴァル公国を黒蝶への土産にすれば、組織内における俺の順位も遥かに上がるだろう。
そのためにはもう少し国を揺さぶる材料が欲しいな。
ドーマー辺境伯は煙草ケースから1本の葉巻を取り出すと火を付けて一服すると、テーブルの上にバンダールシア大陸の地図を広げた。
公国の東側にはバルギット帝国、西にはルフラント王国がある。
バルギットを動かすにはオーリクが良さそうだ。
今の皇帝には子が無いので、次期皇帝と目されているのが3大公爵家のアブラームだ。
当然オーリクは面白くないし、手柄を立てて次期皇帝の座を引き寄せたいと思っているだろう。
それにオーリク派のフランブール伯爵はパルラのお得意さんだ。
パルラで遊べなくなった詫びとして情報を流せばオーリクは動くだろう。
バルギットへの手土産は「獅子の慟哭」あたりか?
ルフラントの連中は大陸の西側に残る獣人の国を攻め滅ぼすのに執心しているが、アイテールとバルギットが動けば自分達も漁夫の利を得ようと動くだろう。
そうすれば国境を守る大公派のシュレンドルフ侯爵への良い牽制となる。
ドーマー辺境伯は葉巻をもみ消すとニヤリと笑っていた。
女狐が死ねば動乱が起きるだろう。
その時の勝者はこの俺だ。
ブックマーク登録ありがとうございます。




