12―1 欲望の食卓
バルギット帝国の帝都ヌメイラの商業区域には、富裕層向けの高級料亭が沢山軒を連ねていた。
そんな高級料亭の中に、一見さんお断りの流水園という店があった。
この店は客の趣味趣向への秘守義務が徹底されている事に加え、金さえ出せば食材の持ち込みも含めて調理に関する客の細かい注文にも応じてくれる事から、旨い料理にこだわりを持つ一部の客に絶大な支持を受けていた。
そしてこの店を贔屓にしている常連客達は、互いにいかに旨い料理を食したかでマウントを取る事が日常となっていた。
美味しい料理を楽しむ人達は美食家と呼ばれるが、この店の料理長ボドワン・ルコックはこの店に来る変人達を区別するため狂食家と裏で呼んでいた。
狂食家は旨い物を食べる為ならどんな労力も金銭も惜しまないが、その代わり料理に対する注文がとても細かく物凄くこだわるので扱いが大変なのだ。
このため沢山のお金を払ってくれるのだが、最も気疲れをする連中だった。
そして今日はその中でも特にこだわりが強い常連客がやって来るので、注文料理を作る為見習い達に手伝わせて特別料理を作っていた。
今日やって来るのは大金で冒険者を雇い、ワイバーン肉をこの店に持ち込んでいた。
見習いが収納した物を冷蔵するというマジック・アイテムの中から、下処理をして冷温保存していた肉を取り出すと、その重さや色合いを確かめていた。
「料理長、これがお客さんが持ち込んだっていうワイバーン肉なんですよね」
「ああ、なんでもカルメの冒険者ギルドに大金払って依頼を出したらしいぞ」
「うへぇ、やっぱり高級肉だったんですね」
見習いは手に持ったワイバーン肉を落とさないように慎重に調理台の上に載せると、傍においてあった酒瓶を不思議そうな顔で眺めていた。
「てっきりワイバーン肉の赤ワイン煮込みかと思ったのですが、なんでミード酒を使うんですか?」
「ん、ああ、これは客の注文だ。なんでもパルラ産のエルフミードは魔素濃度が高いから、肉にうまみと甘みが増すから好みなんだそうだ」
「へえ、そんなの初めて聞きましたよ」
見習いは、不思議そうな顔でワイバーン肉とエルフミードを相互に眺めていた。
「おい、これはあくまでも客の好みだからな。余計な詮索はするなよ」
「はい」
そして見習いは俺の手元をじっと見ながら、また話しかけてきた。
「しかし相当手間と金をかけて、わざわざこんな高級肉を取り寄せてまで食いたいものなんですかねぇ?」
「ああ、いいか」
そう言って料理長は見習い達の顔を1人ずつ見回した。
「いいか良く覚えておけよ。世の中には食へのこだわりが異常な、狂食家と呼ばれる連中が居るんだ。だが、こういった連中は食うためなら大枚をはたいてくれるから、店の売り上げに大きく貢献するんだ。お前も給金を上げたいんなら、何も言わずに客の注文には答えておくんだぞ」
ルコックの忠告を聞いた見習い達は、しゃきっと背筋を伸ばした。
「理解したのなら、さっさと手を動かせ」
料理長の言葉に頷いた見習いは、慌ててワイバーンの血を指定された割合で魔素水を薄めていった。
「それにしてもワイバーンの血を魔素水で割って飲むって、どうなっているんですかねぇ?」
「おい、客の注文に文句をつけるんじゃない。それに料理代には口止め料も含まれている事を忘れるんじゃないぞ」
料理長は手に持ったお玉を振りながら、見習い達を窘めた。
「あ、はい、分かりました」
「それよりも急げ、そろそろ予約時間になるぞ」
「「へーい」」
見習い達は、自分達に割り振られた準備作業をするために手を動かし始めた。
+++++
12番は高級服に身を包み装飾を施した見栄えの良い馬車に乗って、予約をした流水園という高級料理店に向かっていた。
今日は、注文していたワイバーン肉を味わうための特別な日なのだ。
店員に案内された2階の個室に入ると、そこには磨き込まれたテーブルに細やかな刺繍を施された純白なテーブルクロスが張られた1人席が設けられていた。
この店の個室は、客が料理に集中できるように気を散らすような窓からの景色や音や匂いを遮断するような造りになっていた。
テーブルの上には雰囲気を出す為の燭台が置かれ、ろうそくの明かりが灯っていた。
12番は、スープと前菜を済ませて、次に出て来るメインディッシュを今か今かと待っていると、扉が開き銀色のワゴンを押して給仕係が現れた。
「お客様、お待たせしました」
おお、やっと来たか。
そしてワゴンの中から出てきたメインディッシュとワイバーンの血が入ったグラスは給仕の手によってテーブルの上にそっと置かれた。
メインディッシュの皿からは芳醇な香りが漂ってきたが、それでも手をださずにじっと邪魔者が退出するのをじっと待っていた。
そして給仕係が一礼して部屋を出て静寂が戻って来ると、おもむろに持ってきた袋の中から魔女の全身が模写された額縁をテーブルの上に置いた。
額縁の中の魔女はジャンパオロという春画専門の画家に描かせもので、前後にやや足を開き尻をこちらに向けて腰をひねって胸が見えるように上体をこちらにそらせたポーズをしていた。
その全裸の魔女は、ぷりぷりの唇に指を当ててこちらを物欲しそうに見つめていた。
この絵を描かせるため態々公国までジャンパオロに会いに行ったが、気難しいという噂されるあの男は何故か魔女を描いてくれと言うととても協力的だった。
なんでもあの魔女を直接見た事があって体のサイズが分かるらしく、とても創作意欲が湧くんだそうだ。
お陰で俺も希望通りの絵を手に入れる事ができてとても満足していた。
目の前のワイバーン肉を目と鼻で楽しんでからナイフを入れると、何の抵抗もなくさくっと切れた。
そして1口サイズに切り取るとフォークに刺して、そのまま口に含んだ。
柔らかい肉は口の中で溶けていった。
うん、中々旨い。
12番は額縁の胸あたりを指で触った。
ああ、この脂肪たっぷりの柔らかい肉は、さしずめ魔女の胸肉といったところだろうか?
そしてワイングラスに注がれたワイバーンの血を口に含んで、咀嚼した肉を胃に流し込むと、次はステーキにした肉を切り分けた。
フォークに差した次の肉を口に含むと、しっかりとした歯ごたえとかみしめる度にしみ出すうま味成分を楽しんだ。
そして額縁の魔女の形の良い足を触った。
ああ、このうま味たっぷりの肉は、程よい太さで筋肉もしっかりついている魔女のもも肉といったところだな。
12番はワイバーン肉を楽しみながらも、目の前の額縁に飾られている魔女の姿見を見つめた。
人間は食事から魔素を取り込んでいるので、魔素量が濃い食材は旨いと感じるのだ。
手練れの魔法使い達は、体内魔力量が膨大であることを示す赤い瞳をした魔物を恐れるようだが、俺からしたらそれは食べたらとんでもなく旨い肉という認識でしかないのだ。
12番は、額縁の中の魔女の姿をうっとりと見つめていた。
ああ、早く、一刻も早く、魔女の肉を食したい。
そこにあるのは美しい異性の裸体を見て湧き上がる性欲ではない、12番にとって最悪の魔女は人間と似た形をした只の魔物であり、極上の食材という認識でしかないのだ。
そう言えば10番が魔女肉を持ってきたら金を出すかと聞いてきたが、結局あいつは肉を持ってこなかったな。
まあ、最初から自分で何とかするつもりだったから問題はないがな。
そうだ、魔女を捕獲したら、余すことなく全ての部位を料理に使うため封印魔法が使える者を探しておく必要があるか。
そして12番はワイバーン肉を完食すると、口を拭い「ほう」と満足のため息を漏らした。
魔女肉を手に入れたら、あいつ等にも少し分けてやるか。
そうすれば、このワイバーン肉を手に入れる為に浪費した費用も簡単に回収することが可能だろう。
食事を終えて料理長を呼ぶと、注文どおりの料理だった事への礼を伝えた。
「いつもありがとうございます。本日の料理は如何だったでしょうか?」
「ああ、堪能できたよ」
12番がそう言うと、料理長は満面の笑みを浮かべた。
「またのご利用をお待ちしております」
「ああ」
そう言って個室を出ようとして足を止めた。
「ああ、そうだ。次来る時は二度と手に入らない極上の食材を持ってくる。1匹丸々持ってくるから肉、内臓、血全て余すことなく料理に使ってもらうぞ」
「二度と手に入らない極上品ですか。それはとんでもない魔物なのでしょうね」
「ああ、とても美しく、そして最高に旨い食材だ」
会計を済ませ店を出ると、待たせてあった馬車に乗り込んだ。
ワイバーンなんか足元にも及ばない圧倒的な力を有する魔女を捕まえるには、こちらの領域内に誘い込んで罠にかける必要があるな。
さて、どうやったらよいか?
そうだ、13番に相談しよう。
13番の予言は、7百年前の大帝国崩壊時に紛失した最悪の魔女から奪ったあの4つのマジック・アイテムを見つけてしまうくらいだ。
あんな呪われたアイテムを1番は何に使うのか分からないが、13番の占いが当たるのは証明されたからな。
13番ならきっと素晴らしい案を考えてくれるだろう。
1番は13番に、とっくの昔に滅んだ魔法国の遺跡の場所を占ってもらっていたな。
なんでも、その遺跡の中に魔女を倒すための手段があるとか言っていたが。
そろそろその遺跡も見つかる頃合いだし、そうなる前になんとか魔女を捕まえて極上肉という分け前にありつかないとな。
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