10―22 気の休まらない日々
ドゥランテはシャウテンの質問の意図が分かってきた。
「此処に逃れてくるかもしれないな」
俺がそう言うと、シャウテン女史の柳眉が吊り上がった。
「まあ、そんな呑気そうな事どうして言えるのかしら? 避難民がどっと押し寄せてくるのよ。薄汚れた連中に、この上品で美しい街を汚されたくないわ。ドゥランテ、何とかならないの?」
「何とかと言われても、現に避難民が押し寄せた形跡は無いだろう。案外無用な心配かもしれないぞ。それに治安ならそちらの担当だろう? 何故俺に言うんだ」
こいつは面倒事を何故俺に押し付けようとする?
「あら、逃げてくるのは王国民なのよ。これは王国と魔女の間の問題でしょう? 何故私達が迷惑を被らなければならないの? 王国に南に逃げるなと命令させるのは貴方の職務でしょう?」
くそっ、そんな事を言っても、パニックになった民衆が王国の命令に従うはずがないだろう。
海国には住民を遮る城壁は無いんだぞ。
「ああ、分かった。王国にはその旨連絡蝶を送っておこう」
「まあ、ドゥランテ、それは良い考えね。早速、手配お願い」
シャウテン女史は底意地の悪い笑みを浮かべていた。
「くそっ、シャウテンめ、何かというと俺に噛みつきやがって」
ドゥランテは自分の執務室に戻って来ると開口一番悪態をついた。
「それは仕方がありません。シャウテン商会は、此処にたどり着いた最初の商会なのですから」
「うん、ああ、そうだったのか?」
それで、後からやって来た俺が大きな顔をするのが気に入らないという事か。
「ビクネーセ、何故此処に居るのだ?」
「実は、モヒカ男爵からの使者が、先ほどから面会を希望してお待ちになっております」
ドゥランテはフリン海国の渉外担当となっており、こう言った話は全て俺の所に舞い込む事になっていた。
ルフラント王国との連絡は全てセンディノ辺境伯を通していたので、領地が隣接しているとはいえモヒカ男爵とは面識が無かった。
いくら領地が魔女領になった一大事だからと言っても、通常ルートから外れていきなり他国に使者を送って来るなんて、どういった了見なのだ?
「使者はどんな人物だ?」
「はい、見かけは騎士のようでした」
「ほう、喧嘩でも売りに来たか。ははは」
ドゥランテがそう言って笑っても、ビクネーセは困ったような顔をしていた。
まあ、秘書を困らせても仕方が無いか。
「まあ、良かろう。会ってやるから連れてくるように」
「はい、畏まりました」
モヒカ男爵の使者は強行軍で馬を走らせたのか、ところどころ埃をかぶったヨレヨレの服装だった。
「随分、急がれたのですね?」
「はい、何分、大変な事態が発生いたしましたので、取る物も取り敢えずやってまいりました」
ドゥランテは、使者をソファに座らせると、飲み物を用意してやった。
「それでモヒカ男爵の御用をお伺いしても?」
「はっ、旦那様は、この度王国から独立して新しい国を興しました。そして貴国との間で友好を深めたいと考えております。詳細はこちらの書簡でお確かめ下さい」
独立しただと?
そんな事をしても魔女に知られた途端、潰されるんじゃないのか?
ドゥランテは使者の手から書簡を受け取ると、中身を改めた。
そこにはドックネケル山脈以西の地を最悪の魔女に割譲した事、それに不満を持ったモヒカ男爵が自領を独立させた事が書かれてあった。
男爵はフリン海国を後ろ盾にしたいようだが、そんな事をしたら魔女との争いに確実に巻き込まれる。
しかし魔女領と隣接するよりは、緩衝地帯があった方が安全保障上は都合が良いのは確かだ。
それにしても圧倒的な武力を持つ魔女に歯向かうなんて、多少なりとも時勢が読める者なら絶対にしないはずだよな?
頭に障害でも抱えているのか?
「時に男爵様、いえ、モヒカ陛下は健やかにお過ごしかな?」
「はい、毎日食事をしっかりとり、地元産の酒を毎晩楽しんでおります」
普通か? いや、待て。
既に魔女に服従していて、魔女からの指令で独立したふりをしてこちらの動きを調べているのだとしたら?
「モヒカ陛下は、最悪の魔女について何か言っておられたか?」
「はい、業突く張りの淫売女だと」
使者から思わぬ悪口を聞かされてドゥランテは目を見張ったが、これも魔女からそう言えと指示されているかもしれないのだ。
「驚きましたな。モヒカ陛下は、魔女がお嫌いなようだ」
「それはそうでしょう。突然やって来て領地を明け渡せと言われたのですから」
ちっぽけな自尊心の為、圧倒的な武力を有する魔女に歯向かうとでも言うのか?
それほどまでにモヒカ男爵は時勢が読めないのか?
いや時勢が読めるからこそいち早く魔女に取り入って、こちらの動きを探る道具になっていると思った方が妥当だな。
魔女が直接動けば我々は警戒するし、場合によっては港を放棄する。
おそらく魔女は我々が此処に居ることで、何か利益を得ようと考えているのではないか?
そこでドゥランテは恐ろしい可能性が脳裏をよぎり、戦慄を覚えた。
ちょっと待て、9番も10番も、魔女が奴らの拠点にやって来てから始末されたはずだ。
魔女は、相手が黒蝶の一員だと確かめてから手を下すという事じゃないのか?
そして俺が黒蝶の一員だと疑っているが、確信が持てていないとしたら?
それを確かめようと、何らかの行動を起こすはずだ。
俺がモヒカに肩入れをしたら、それを口実に乗り込んで来るのではないか?
下手な対応をしたら、身の破滅になるぞ。
魔女に目を付けられるのだけは絶対に駄目だ。
少なくとも1番が魔女を倒すまでは、魔女と敵対してはならない。
「うむ、趣旨は分かった。しかし、何分突然の事で我々も検討する時間が必要だ。モヒカ陛下には、他の行政執行官と協議して後ほど決定をお知らせすると言ってもらえるかな」
「はっ、ありがとうございます」
使者は何も知らないのか知っていてうまく隠しているのか、本当にうれしそうな顔で帰っていった。
後はのらりくらりと引きのばしている間に、魔女の興味が別に向かうのを期待するしかないか。
こうなってくると、益々フェラン号の行方が心配だ。
魔女にフェラン号の事を知られる訳にはいかないのだ。
ドゥランテは突然目の前に魔女の怪しげな顔が現れるのではないかと気の休まらない日々を送っていたが、実際は意外なほど平穏だった。
シャウテン女史が懸念していた避難民が海国に押し寄せる事も無く、魔女からの新たな圧力も無かったからだ。
まあ、コーバスからの報告も無いのだが。
ミニバーからお気に入りのダルテソス王国産の高級酒をグラスに注いで寛いていると、困惑顔のビクネーセが部屋に入って来た。
「会長、白猫と名乗る若い女性が面会を求めております。会長とは只ならぬ仲だと言っているのですが、お知り合いですか?」
白猫だと?
白猫は怪盗三色の1人で、奴らにはアイテールの禁書庫から歴史書を盗んで来るように依頼をしたが会ったのはその時だけで、秘書に関係を疑われる仲になった覚えはないぞ。
そこでドゥランテの脳裏に、最悪の魔女が口角を上げて怪しく微笑む姿が浮かび上がった。
これが魔女の次の一手なのか?
ドゥランテが恐ろしい可能性に内心動揺していると、目の前のビクネーセがじっと俺の顔を覗き込んでいた。
「なんだ?」
「いや、顔に思い当たるふしがあると書かれているようなので」
いや、あれこれ悩んでいても始まらん。
魔女からの次の一手というのなら、その思惑を知るためにも接触してみるしかないな。
「良し、会おう」
「畏まりました」
ビクネーセは意味深な笑みを浮かべて部屋を出て行ったが、これは色恋沙汰じゃなくて油断したら切られる殺し合いのようなものだ。
部屋に入って来たのは金髪と茶髪の若い女性達だった。
「お前達は誰だ?」
ドゥランテは入って来た女達の顔を見た途端、部屋の中にある武器を手にした。
「あら、冷たいわね。歴史書は役に立ったかしら?」
くそっ、こいつら本物か。
「何故人間に化けているのだ?」
「獣人の姿だと、此処まで通してもらえないでしょう」
まあ、偏見の無いフリン海国といっても獣人は珍しいからな。
「此処に来た目的は何だ?」
「貴方も知っているでしょう。最悪の魔女が王国に来たのよ」
「ああ、知っている」
「魔女は、私達が大教国から歴史書を盗んだのを知っていて、探しているのよ」
「何だと?」
魔女は、あの歴史書に自分の事が書かれているのを知っているのか?
まさか、こいつら保身のために俺を売ったんじゃないだろうな?
「何故、魔女はお前達が歴史書を盗んだ犯人だと知っている?」
「ああ、それはね」
もしかして、こいつら凄い馬鹿なのか?
なんで、犯行声明を現場に残してくるんだ?
「仕方がないでしょう。誰があんな物、魔女が狙っているなんて分かるのよ。そもそも魔女があの歴史書を狙っている事を教えてくれなかった貴方が悪いのよ。だから貴方に責任を取ってもらうわ」
「責任だと? 何を言っている?」
2人の盗賊は俺の了解も無くミニバーに行くと、勝手にグラスに酒を注いでいた。
そして味を確かめるように一口飲むと、顔を俺の方に突き出し口をすぼめて人差し指を左右に振った。
「だ・か・ら、貴方に匿ってもらおうと思って、やって来たのよ。貴方だって、私達が捕まって歴史書の行方をバラされたら困るでしょう?」
確かにそうだが、それは俺が歴史書を持っている事を魔女が知らないと言う事実でもある。
これは好機ではないのか?
こいつらの口を封じて歴史書を焼いてしまえば、問題が1つ解決するのだ。
ん、待て。
「お前達は確か3人組じゃなかったか? もう1人はどうした?」
「ああ、もう1人は別の場所に居るわ。私達からの定時連絡が途絶えたら、魔女に貴方が歴史書を持っている事を知らせる手筈になっているわ」
「何だと」
ドゥランテがそう聞くと、白猫はにやりと笑みを浮かべた。
「当然でしょう? 貴方に口封じをされたくはないもの」
そう言うと白猫は勝手にソファに座り、グラスに入れた酒を楽しんでいた。
くそっ、こいつら俺が何をするか分かっているじゃないか。
だが、これでこいつらが魔女と無関係なのは分かった。
「分かった」
ドゥランテがそう返事をすると、目の前の娘達は微笑んだ。
そして俺も微笑み返してやった。
もう1人の行方はコーバスに探させよう。
それまではせいぜい短い人生を楽しむんだな。
だが目の前の娘達の笑みは、安住の地を手に入れた安心感というよりも何か別のもののように感じていた。
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