10―17 ニッセン伯爵との交渉
ベルグランドに逃げ道を塞がれ避難民達に必死に懇願されては、断る事も出来なかった。
こうなったらやむを得ない。
「分かりました。貴方達を連れてクマルヘムに戻りましょう」
俺がそう言うと避難民はほっとした顔になったが、何人かはそうでもなかった。
「貴方達の中にはクマルヘムに戻る事を望んでいない方もいるでしょうから、希望される方だけ連れて行きますね」
俺がそう言うと、顔を曇らせた男ははっとした顔になった。
「魔女様、違うのです。私もクマルヘムに帰りたいのです。ただ、娘をあの町の連中に奪われてしまって、帰るに帰れないのです」
「娘を奪われた?」
「はい、魔女様がこちらに到着される前に、町の中から出てきた奴隷商人に娘を攫われたのです」
男は涙を流しながらそう訴えてきた。
もしかして避難民が怪我をしていたのは、そいつらにやられたのか?
「その奴隷商人は町の中にいるのですか?」
「魔女様が来られたので、バンマールに逃げ込みました」
「そう」
周りを見ると避難民は皆口には出さないが、俺に助けて欲しいと目が訴えていた。
ええい、毒を食らわば皿までという言葉もあるしな。
グラファイトとインジウムを伴って城門の前まで行くと、そこには俺に出て行けと怒鳴った男が物理的に見下していた。
俺はその男に声をかけた。
「そこの兵士、避難民の娘を返還するように奴隷商人に命じなさい」
城壁の上から偉そうな態度で口ひげをしごいていた男は、命令されるとは思っていなかったのか顔を真っ赤にして怒りだした。
「な、ふ、ふざけるな。ここは王国だ。よそ者にそんな命令をされる覚えはない。とっとと去れ」
どうやら聞く気はないようだ。
「お前は奴隷商人が目の前で人攫いをするのを、黙ってみていたというのか?」
「なんの事か分からんな」
そう言うと小指で耳くそをほじる仕草をしていた。
この男に何を言っても無駄なようだ。
それなら上の者を出してもらうしかないな。
「おい、木っ端兵士、お前じゃ話にならない。伯爵を連れてきなさい」
「な、ぶ、無礼者、俺を誰だと思っている。そんな戯言が聞けるか」
男は立派な鎧を着ていることから将軍クラスだと思われるが、自国の避難民を見捨てるような奴に敬意を表する必要は全くないだろう。
「おい、お前のその軽はずみな行動が、どれだけ伯爵の立場が悪くしているか分かっているのか? 今なら寛大な心で許してやるから、さっさと呼んで来い」
「き、き、貴様、先ほどから聞いていれば無礼な言動の数々、絶対にゆるさんぞ」
男は怒るだけで全く話を聞かないようだが、こちらも男の御託など聞くつもりはないのだ。
「お前に許しなど求めていない。さっさと呼んで来い」
俺が再びそう言うと、相当頭に来たようだ。
男は顔を真っ赤にすると、部下の兵士に弓を構えるように命令していた。
「おい、これ以上減らず口を叩くなら、矢の雨をお見舞してやるぞ」
「それは私に敵対行動を取るという事? お前達が矢を放てば、後ろのゴーレムが壁を突き破って街中で暴れまわるぞ。そうなったらお前は文字通り身の破滅だ」
「ふん、こけおどしだ」
そう言うと更に威嚇するように弓兵に矢を引き絞らせた。
「さあ、どうする? 頭を地面に叩きつけて泣いて詫びたら、許してやらんでもないぞ」
男はそう言って得意そうな顔で見下してきた。
「それがお前の返事なのね。それじゃあこれが私からの返答よ」
そして後ろに合図を送ると、それまで座り込んでいた運搬用ゴーレム達が一斉に立ち上がり、前足を上げて順次地面に叩きつけていった。
「ズシン」、「ズシン」
ゴーレム達が前足を地面に叩きつけるたびに地面が揺れ、その振動が城壁にも伝わって弓兵の間に動揺が広がった。
「おい木っ端兵士、私の前に跪いて靴を舐めるなら、許してやってもよいぞ」
「き、貴様、これが目に入らないのか?」
そう言って後ろの弓兵を指さしていたので、俺も同じことをしてやった。
「お前こそ、これがこけおどしだと思うのなら、矢を射ってみなさい。お前の人生だ。破滅しようがひき肉になろうが好きにしな」
余裕の表情を崩さない俺とその両脇で恐ろしい形相で睨みつけるグラファイトとインジウム、後ろで威嚇する大きなゴーレム達を見て、弓兵隊の隊長が男に進言した。
「将軍、このままでは拙いと思います」
「うるさい。黙れ」
口では怒鳴っているが、男の表情はうつろになりどうしたらよいか分からなくなっているようだ。
すると先ほど男に進言した隊長が、自分の部下に命令を発していた。
「おい、大急ぎで伯爵様にこちらにお越し頂くのだ」
「はっ」
木っ端兵士は、部下の勝手な行動をとがめる事も無く呆然としていた。
暫くして城壁の上に身なりの良い初老の男が現れると、木っ端兵士に声をかけていた。
「おい、いきなりこんな所に呼びつけて、一体何事だ?」
伯爵は突然面倒事に巻き込まれて、憮然とした顔をしていた。
「はっ、実は不審者が現れたので急いで迎撃態勢を取ったのですが、その時町に入り損ねた避難民を人質に取って、救出に成功した住民を引き渡せと言ってきたのです」
「何だと?」
「それに伯爵様の事も、木っ端貴族と侮辱しておりました」
おい、俺はそんな事は言っていないぞ。
「なんだと。私を侮辱する田舎者は一体どこのどいつ・・・だ」
そう言ってこちらを見てきた貴族の顔には、かろうじて見覚えがあったので片手を上げて挨拶してやった。
「あら伯爵様、フェラトーネで会って以来ね。健やかにお過ごしですか?」
伯爵は俺が誰だか分かったようで、赤かったその顔はみるみるうちに青くなっていった。
「ま、ままま、魔女ぉ。な、なな、何故ここに居る・・・のですか?」
「ニッセン伯爵、私は無理やり連れ去られた娘さんを返して欲しいだけです。そこに居る木っ端兵士は、娘さんが連れ去られるのを知っていながら何もしなかった怠け者ですよ」
俺がそう言うと、伯爵は木っ端兵士の方を睨んだ。
「は、伯爵様、違います。連れ去られたなんて全くの誤解です。その者達は、兵士達が職務を果たして助け出した者達です」
「あら、兵士が仕事をしたというのなら、なんでこんなに取り残された人達が居るのかしら?」
俺がそうわざとらしく言うと、木っ端兵士は額に汗を流していた。
「お、お前が来るのが速かっただけだ」
兵士がそう言うと、慌てたのは伯爵だった。
「ば、馬鹿者、あのお方にそんな無礼な口を利くんじゃない。怒らせたらこの町が消滅するんだぞ」
「しょ、消滅って、伯爵様そんな大げさな」
伯爵様は、今度は真っ赤な顔になって怒鳴っていた。
「大げさもなにもあるか。あのお方は最悪の魔女様なのだぞ」
「え、そ、そんなはずはありません。あれは外に居る避難民に食事を振舞っておりました。魔女が人間にそんな事をするはずがありません」
ああ、それで避難民は直ぐに俺が魔女だと思ったのに、あいつはそう思わなかったのか。
「ば、馬鹿者、あのお方は本物だ」
「え?」
それを聞いた木っ端兵士は俺を改めてみると、目を見開いてその場に膝から崩れ落ちた。
ようやく自分が誰に喧嘩を売っていたのか分かったようだ。
木っ端兵士が使い物にならなくなったので、今度は伯爵が俺に声をかけてきた。
「魔女様、無理やり連れ去られた娘とは一体何の事でしょうか?」
伯爵がそう尋ねてくると、それまで後ろの方で成り行きを見守っていた避難民達が駆け寄って来て口々に攫われた自分の肉親の名前を叫び、返せと言い始めた。
それを聞いた伯爵の顔色が、みるみるうちに悪くなっていった。
「お前は、一体何をしたんだ?」
「いや、その、俺が悪いんじゃない。誰も教えてくれなかったのが悪いんだ」
伯爵に睨まれた木っ端兵士はそれでも言い逃れようとしていたが、その言動は伯爵をいら立たせるだけだった。
「もうよい」
すると伯爵は俺の方を見てきた。
「あ、あの魔女様、どうしたらよろしいでしょうか?」
おい、俺に聞くのか?
俺はバンマールの城門にある門番詰め所でニッセン伯爵とテーブルを挟んで相対していた。
伯爵からは是非館に招待したいと申し出てきたが、クマルヘムに残してきた獣人達も気になるので、それを断り城門横にある兵士詰め所で話をすることにしたのだ。
「それで魔女様、い、いえ、ガーネット様でしたな。その私の部下が失礼な態度をとって申し訳ない」
「あの男は、私に矢を向けたわ。伯爵は私と事を荒げたいのかしら?」
俺がそう言うと途端に伯爵はブルブルと震え出した。
「い、いえ、滅相もありません。ガーネット様とは、出来るだけ友好的な関係を望んでおります。あの者はもはや私の部下ではありません。ご所望でしたらいつでも引き渡します」
ニッセン伯爵は、額にかいた汗を何度も拭っていた。
その姿があまりにも哀れだったので、文句を言うのはこれで止める事にした。
「その必要はないわ。それよりも、あの男が奴隷商人と結託して攫った娘達を返してもらいましょうか」
「あの、その者らをお返ししたら、ガーネット様は満足してお帰り頂けるのでしょうか?」
「ええ、そのとおりですわ。伯爵様」
それからの伯爵の動きは早かった。
部下に何かを命令すると、直ぐに囚われていた避難民を解放したのだ。
避難民は連れ去られた家族が戻って来ると、涙を流して喜んでいた。
俺もその光景に満足していると、伯爵もほっと溜息をもらしていた。
「ガーネット様が満足いただけて、とても安心しました」
「ええ、これからは隣同士になりますから仲良くしましょうね」
俺がそう言うと、伯爵はぎこちない笑みを浮かべていた。
「た、大変光栄です」
伯爵との挨拶を終えて帰ろうと踵を返すと、突然俺の前に跪く男がいた。
「魔女様、どうか靴を舐めさせてください」
「はい?」
よく見るとそれはあの木っ端兵士だった。
「ば、馬鹿者、お前は何をしているのだ。す、すみません。ガーネット様、とんだお目汚しを」
そう言って伯爵は俺の前に出ると、元部下を叱責していた。
「気にしておりませんよ。後はそちらで良しなに」
あれはその場のノリで言ったのであって、本当に靴を舐められるのはちょっと嫌だ。
それに俺の靴を舐めたからといって、伯爵が再雇用するとは限らないんだぞ。
そんな無駄な行動力があるのなら、伯爵に頼み込めばいいじゃないか。
そんなわけで、なおも俺の靴を狙ってくる木っ端兵士は、グラファイトとインジウムが軽くあしらってくれていた。
木っ端兵士から逃れた俺は、避難民達を乗せる乗り物を作る事にした。
今回は人数が多いので運搬用ゴーレムではなく、大きな屋形船のような物だ。
避難民は屋形船というものがどう使われるのか知らないようで、不思議そうな顔で乗り込んでいった。
そして自分達が乗り込んだ船が突然浮き上がると、事態が飲み込めずあちこちから悲鳴が上がった。
だが、それも自分達が安全だと分かると、クマルヘムまでの短い空の旅を楽しんでくれたようだ。
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